カフェモンマルトル

text:高野雲

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《ブルー・ボサ》の思い出

      2017/05/30

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kurage

先日久々に高田馬場にあるジャズ喫茶「intro」のジャムセッションに参加してきた。

ベースを始めたての頃に《コンファメーション》をやるためだけにセッションに参加して以来店に顔を出していたかったので、かれこれ8~9年ぶりの参加になる。

そこで初っ端に弾いたのが《Blue Bossa》。

《ブルー・ボサ》は、新主流派としてデビューしたテナーサックス奏者、ジョー・ヘンダーソンのファースト・リーダーアルバム『ページ・ワン』(Blue Note)が最初の演奏だったと思う。

トランペット奏者のケニー・ドーハムが、ヘンダーソンのことをかなり買っていたので、彼がリーダーアルバムを出す際には全面的に協力し、自らもこのアルバムに参加している上に、冒頭一曲目の曲まで提供している。そしてこの冒頭の曲が《ブルー・ボサ》だ。

どことなくワビサビの聴いた曲調は聴くだけでも充分に楽しめる。

1コーラス16小節。それなりに演り込めば奥の深い世界なのだろうけれども、少ないコード数と分かりやすいケーデンス、それに基本的にはルートと5度だけで形成されるラインは、初心者が弾いてもカタチになりやすい曲だと思う。

私もベース始めたての頃、随分とこの曲を演ったものだ。

ベースを初めて一番最初に出たライブでもこの曲を演奏した記憶がある。

私にとってのこの曲は、「持久力」の必要性を痛感させてくれた思い出の曲だ。

私が大学時代の頃だ。

ジャズ研の部室に「上々颱風」のドラマー・渡野辺マント氏が遊びにやってきた。

よその大学のジャズ研のプレイヤーとその大学のOBら数人も一緒だった。

当時スクールに通っていた後輩にドラムを教えていたのが渡野辺マント氏だったのだが、彼がジャズ研に所属していることを知り、恐らくお手並み拝見ということだろう、数名の楽器奏者を引き連れて来たのだと思う(随分前の話なので、細かいイキサツは忘れた)。

とにもかくにもセッションをしてみようということになり、ブルースだのスタンダードなどのセッション大会がすぐに始まった。

その前に、私はマント氏の引き連れてきた中の一人を見逃さなかった。重そうにたくさんの楽器のケースを抱えている。

彼がセッションを始める前に、楽器を広げ始めたが、アルト・サックスとバス・クラリネットとフルート。

お、この人エリック・ドルフィーが好きなのかな?と3つの楽器を見て思ったが、やはり、この人の跳躍の激しいアドリブのフレーズはまさにドルフィーそのものだった。

チャーリーさんと呼ばれている人で某大学のジャズ研のOBらしいのだが、「パーカーのようなサックスだから」という理由でチャーリーというニックネームがついたのだという。

チャーリーさんよりも、ドルフィーさんの方がいいのにな、と思いながら、私は大好きなドルフィーを生で聴いているつもりになってベースを弾いていた。

何曲かやって、そろそろ4ビートではないリズムの曲をやってみようか、ということになった。じゃぁボサノバだね、ということで、《ブルー・ボサ》。

マント氏ドラムで私がベース。

ピアノやギターなどのコード楽器がいなかったので、残りの人たちはみな管楽器でそれぞれ好きなだけソロを吹いて回してゆく。

ドラムとベースはひたすらリズムを刻んでゆくだけ。いや、ドラムは刻むだけではなく、そこらへんはさすがにプロ、どんどん派手に盛り上げてくれる。フロントのサックスを強烈なリズムでプッシュする。

マント氏はラテン系、アフロ系のリズムが得意な人なだけあって、時々「いち・にぃ・さん・しぃ」と言葉で数えていると絶対に見失ってしまうようなポリリズムを叩く。もうこちらとしては、彼のリズムから取り残されないようにひたすら堅実にリズムを刻むしかない。

最初は余裕で弾いていたのだが、だんだん左手が痛くなってきた。

当時はベース教室に通い初めて数ヶ月は経ってはいたが、まだネックの握り方の基礎すらも出来ていない状態での長時間セッション。手の平のちょうど真ん中あたりがグリグリと痛む。早く終わってくれよー、と祈りつつも延々とブルー・ボサの16小節のラインを繰り返す。

基本のラインは、ルートと5度を交互に繰り返しているだけなので、弾いているうちにだんだんと飽きてもきた。

「退屈しのぎ」という消極的な理由で、少しだけフレーズをイタズラしてみたり、適当にフィルを入れてみたりもするのだが、あまり冒険しすぎると演奏の雰囲気を壊してしまうし、何よりマント氏の煽るリズムに取り残されてしまうのが怖い。だからひたすら単調なラインを繰り返すワケだ。

前述したチャーリーさんという人、最初はアルトで本当にドルフィーが目の前で吹いているんじゃないか、と思うぐらい音色もフレーズも見事にドルフィーばりなアドリブを取る。

ソロが終わるとうちのジャズ研のテナーがしばらくソロを吹くが、今度はバス・クラリネットに持ち替えて再びチャーリーさん登場。

今度は10コーラス、いや、20コーラスは優に越えているだろうと思われるほどの長いソロを取り、ソロをチェンジ、他の誰かがサックスなりトランペットで満足ゆくまでソロを取る。

そして、再々度チャーリーさんが登場、今度はフルートでソロを十数コーラスアドリブを取り、その間ベースはただひたすら同じラインを弾く。

チャーリーさんを始めとした様々な管楽器のソロを堪能出来たので弾くのがイヤになったというわけではないのだが、とにかく長い演奏で手の平が痛くなったこともあり、早く終わってくれと祈っていたことは確かだ。察しの良いテナーが、私が辛そうな顔をしていたからだろうか、めざとくウイスキーの瓶を演奏中の私の口にねじ込んでくれたので、景気づけにはなったが。

ようやくテーマが二回繰り返され、演奏が終わったときの安堵感といったら……。

何の雑誌か忘れてしまったが、レイ・ブラウンのインタビューを読んだことがある。

彼はビ・バップの勃興期からニューヨークのジャズクラブで夜な夜な繰り広げられるジャムセッションでベースを弾いていた一人なのだが、次から次へと管楽器奏者が何人も交代でソロを取ってゆくので必然的に演奏時間が長くなり、一曲が30分以上なることもザラだったという。

管楽器奏者はソロを取り終われば席に戻ったり煙草を吸ったり、酒を飲んだりすることが出来るし、ピアニストも手を休めることが出来るが、ベースとドラムは演奏の最初から最後まで休むことなくひたすらリズムを刻み続けねばならない。おまけにベースにソロを取らせてくれることは滅多になかったのだそうだ。

延々と裏方な上に「華」の見せ場ないのかよ、と思ってしまうが、もうこれは「我慢」の世界としかいいようがない。

体力と気力が続かないともたない。ましてやエレキベースではなくて、ウッドベースだし。

当時のレイ・ブラウンの生活は、ベースを弾くか寝ているかどちらかだけの生活だったと語っていたが、彼の強靱でしなやかなビートは、若い頃の夜を徹したジャムセッションでの長尺演奏が下地になっているのかな?と思った。

奇抜なラインを弾いてアンサンブルに面白い効果を出すことや、高速パッセージを弾いて人を驚かすのも楽しいことではあるが、ベースの基本はやはり「続けること」だと思う。

しかも、単にワンパターンに続けるだけではなく、「躍動感」を常に演奏に送りつづけつつ「続けること」。

ウイントン・マルサリスがビデオで「ベースはクルマでいえばエンジンのようなものだ」と言っていた。人間でいば心臓にあたるのだろう。ベースは絶えず生き生きとした鼓動を演奏に送り込み続けなければいけないのだ。

この長尺「ブルー・ボサ」体験が、疲れずに引き続けるにはどうしたら良いのかを考えるキッカケになった。

結局行き着くところはフォームの安定。

無駄なエネルギーと余分な動きを排す。これしかない。少しずつリラックスして弾けるフォームが固まっていくのに比例して、面白いぐらい長尺演奏にも絶えられるようになってきた。

昔ヘロヘロになりながら長時間引き続けた《ブルー・ボサ》も今では良い思い出だ。

記:2001/02/04(from「ベース馬鹿見参!」)

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>>ページ・ワン/ジョー・ヘンダーソン

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