ボブ・クランショウのウッドベース - カフェモンマルトル

カフェモンマルトル

ジャズと映画とプラモの日々:高野雲

ボブ・クランショウのウッドベース

      2018/09/14

Pocket

conclete

またか……(笑)

ソニー・ロリンズの新譜が出る度に「またか…」と溜息をついてしまうことがある。

パーソネルを見ると、相も変わらずベースがボブ・クランショウ……。

いや、別にイヤというわけじゃないんだけどね。ましてや、ボブ・クランショウが嫌いというわけでもないんだけど。

ただ、最近はスゴイ若手ベーシストもたくさん出てきているんだから、たまには違うベーシストをバックに吹いてくれてもいいんじゃないかな?と思うのがロリンズ・ファンとしての偽らざる心境だ。

ロリンズのお抱えベーシスト

ボブ・クランショウは、もうかれこれ20年以上ロリンズのバックでエレクトリック・ベースを引き続けているのではないだろうか?

一時期ロリンズのバックでギターを弾いていた増尾好明がインタビューか何かで語っていた言葉を思い出した。

「ロリンズ親分は、ジャズ界の三波春男なんですよ。」

とにかくロリンズ親分がバンド内では絶対なのだそうだ。

ロリンズ親分はサックス奏者だけれども、偉大な歌手でもある。

そして偉大なるマンネリでもある。

ロリンズが違う曲を吹き始めれば、バックも瞬間的に伴奏を合わせなければいけないし、ロリンズがリズムを1拍間違えたり、小節を飛ばしたとしても、バックがきちんとフォローしなければいけない。

とにかく親分を引き立て、親分のプレイに忠実なまでに反応するだけの資質がバックの器楽奏者には求められる……。

なんとなくジェームス・ブラウンとバックバンドの関係を連想してしまうが、近年のロリンズのバンドはJBほどスリリングな展開は残念ながら、ない。

各々の発した音に当意即妙に反応するインタープレイがジャズの醍醐味の一つだが、スターは親分のみ、聴いて欲しいのは親分のサックスだけだというバンドのあり方ではそれを期待するのも無理だろう。

まぁ、70過ぎて現役で頑張っているのもスゴイことだとは思うので、ジャズ特有のスリリングさを求めるのはちょっと酷だということは分かっていつつも。

とにかく上記の話から察するに、現在ロリンズがサイドマンに求めている要素は、言い方悪いが「忠実なるシモベ」のような気がする。

そして、長年ロリンズバンドのベーシストの座と守りつづけてきた男、ボブ・クランショウこそ、ロリンズ親分の意向に添う忠実なるシモベなのだろうか、と思わざるを得ない。

腰のこもった《サイドワインダー》

良く言えば、非常に安定感のあるベースラインを提供するベーシスト、クランショウ。
しかし、悪く言えば、無難なだけで創造性があまり感じられないベースともいえる。

ボブ・クランショウは以前はウッドベース奏者だった。

どこかで聞いた話によると、腰か背中を壊したためにウッドからエレキに転向したのだそうだ。

たしかに腰を壊すような、「腰のこもった」ベースを彼は弾いていたと思う。

私が一番印象に残っている彼のプレイは、リー・モーガンの『ザ・サイドワインダー』のベースだ。

お馴染みのテーマの前に、一瞬タメを置いて出てくる「(ッ)クックク~ン」。

この一瞬ベースだけになる瞬間が非常にカッコいい。

「(ッ)クックク~ン」の、(ッ)の部分のタメが非常に重要で、この絶妙なタイミングの黒さこそがボブ・クランショウが「腰を込めて」弾いていた証だとさえ思ってしまう。

音色も非常に太く、ベースラインも脈打つ血管のよう。血管の中を血液が勢いよく「ドックン・ドックン」ではなくて、「(ド)ックン・(ド)ックン」といった趣きだ。

武骨ながら太いベースを弾いていたボブ・クランショウ。

そしてノリも非常に彼独自のものを持っていた。

4ビートにエレクトリックベースは似合わない?

レイ・ブラウンは『Bass Magazine』のインタビューで「4ビートにエレキベースは似合わない」と断言していたが、さすがに私はそうは思わない。

たとえばミシェル・ペトルチアーニが晩年に組んでいたトリオ。

ベーシストはアンソニー・ジャクソンだが、彼のオリジナルのフォデラの6弦ベースで奏でられる重心の低いベースラインは華麗なペトルチアーニのピアノと良いコントラストをなしていたと思う。

また、ジャコ・パストリアスのフレットレスに改造されたフェンダー・ジャズ・ベースからは、創造性豊かなサウンドが無数に放たれれていた。
あまり評価はされていないようだが、ジャコが晩年にピアノのジョン・デイビスと共演したピアノ・トリオの作品は私はすごく好きだ。

水野正敏のフニャフニャしたフレットレス・サウンドはあまり好みではないが、かつて彼が在籍した「PONTA-BOX」でのプレイはなかなか面白い効果を出していたと思う。

スティーブ・スワロウの5弦ベースをピックで奏でる音は非常に色気と独特なグルーブ感があるし、カーラ・ブレイ奏でるアコースティック・ピアノに非常にマッチしていると思う。

以上の例からも、エレクトリックだからといって、4ビートが似合わないとは言い切れないと思う。

同様にボブ・クランショウがエレキに持ち替えたからといって即4ビートがダメになったと言うつもりは毛頭ないし、先述した彼独特のノリを失ったというわけでもない。

特に進化しているというわけではないが

面白いことにエレキに持ち替えても、彼独自のノリはそのままだ。

しかし、そこから先の発展があまり感じられないような気がする。弾いている楽器がタテからヨコに変わっただけな感じ。

エレクトリック・ベースを使っているという音楽的意図や必然性があまり感じられないプレイだ。

エレキに持ち替えたことによって新境地に達したというわけでもない。
堅実で手堅いプレイが引き継がれていること。

それはそれでスゴイことだが、だったらウッドベースのままでもいいんじゃないの?という気もしないでもない。

まぁ腰を壊しているのなら無理なんだろうけど。

この発展の無さっぷりが、いつも新譜や来日時のメンバーを見るたびに「またもやクランショウ……」と私が思ってしまう最大の原因なのかもしれない。

もっとも、発展することだけが良いことだとは思わない。

また、いくらアイディア斬新でも音楽自体がつまらなければ本末転倒だ。

自分の「芸風」のようなものをスタイルを変えずに守りとおすことも、それはそれで立派だと思う。要はいちリスナーの単なるワガママなのだ、ということも重々分かっている。

また、私はソニー・ロリンズのファンだし、近年の彼のスタイルは、昔のような緊張感やスリルこそ失せたものの、それなりに円熟した味わいがあるので悪し様に言うつもりはない。

それでも、「やっぱりクランショウか」と思われてしまう彼の不幸は、ある意味最近のロリンズの設定した音楽的枠組みの狭さ、ベーシストの創造性を生かせないほどに矮小なスペース設定をしている可能性があるのではないのか?と思えてならない。

とにかくボトムを堅実に支えてくれればそれでいい。

余計な遊びを入れるな。俺が気持ち良く吹けさえすればそれでいいのだ、と親分の意向をうまく察してプレイに反映させているのかもしれない。

そして20年近くもの長きにわたってロリンズ親分のお膝元に収まっている……?

だとしたら、非常に腰のあるベーシストなだけに残念な気がしないでもない。

かつての、ウッドベース時代の太くて創造性あふれる彼のベースはもう聴けないのだろうか?

記:2001/03/08

関連記事

 - ジャズ , ,