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ジャズと映画と本の日々:高野雲

コンパッション/リー・アン・レジャーウッド

      2017/05/20

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リー・アン・レジャーウッドのピアノソロのアルバム『コンパッション』は、全曲コルトレーンの愛想曲に挑んだ作品で、ラストのビリー・エクスタイン作曲の《アイ・ワナ・トーク・アバウト・ユー》を除けば、すべてコルトレーンのオリジナル作品がセレクトされている。
もっとも《アイ・ワナ・トーク・アバウト・ユー》も、コルトレーンのライブにおける長尺カデンツァで有名なナンバーなので、コルトレーンの代表的演奏曲でもあるのだが。

彼女が弾くコルトレーンナンバーを聴いていると、マッコイ・タイナーがコルトレーンサウンドに占めていた役割の大きさに改めて気がつく。

個人的にはエルヴィン・ジョーンズのポリリズミックで躍動感のあるドラミングがコルトレーンのテナーと不可分だと感じていたし、実際、コルトレーンは長尺演奏に突入した際は、マッコイのピアノが抜け、次いでジミー・ギャリソンのベースが抜け、最終的にはエルヴィンのドラムとの一騎打ちになることが一つの流れとして形成されていたので、コルトレーン・カルテットの音の感触といえばエルヴィンのドラムの占める比重がもっとも大きいと考えていたのだが、それに負けず劣らずマッコイのピアノの音色、ハーモニーがカルテットに占める割合が非常に大きかったのだということ、コルトレーンのあの鉄のようなテナーサックスの音色にセットとなって頭の中に刷りこまれていたのは、マッコイのあのピアノのハーモニーだったということを、リー・アン・レジャーウッドのピアノを聴くことによって逆説的に気がつくのだ。

彼女のピアノを聴くと、同じコルトレーンナンバーということも手伝い、マッコイ・タイナーのピアノの響きとを無意識に比較をしてしまう自分がいるのだ。マッコイの「あの響き」とは異なる響きが、しかもピアノ一台で奏でられるため、まるでコルトレーンの曲がコルトレーンの曲ではないように聴こえるところが面白い。

このアルバムでのリーアン・レジャーウッドのピアノは、マッコイを土台にしながらも、非マッコイ的だ。

それは、和声的な相違はもちろんのことだが、リズムのノリ、フレーズの粘りの大きな違いがより一層両者の違いを浮き彫りにしている。

特に彼女の3連譜には独特なものがある。
駆け抜けるような、ちょっとせっかちなニュアンスで3つに連なる音を弾く癖があるのだ。

多くの黒人系プレイヤー達が奏でる3連は、
♪ター・ター・ター
と時間ぎりぎりいっぱいに伸ばすような(テヌートしたような)ニュアンスで奏でられることが多いことに対し、リー・アンの3連は、
♪タタタッ!
と素早く、次に出す音を急いでいるようにも感じられる。

じつはジャズの鑑賞においては、3連譜のノリのニュアンスの違いを聞き分けられると、各ジャズマンの個性や、表現のニュアンスを把握しやすいのだ。

一般に初心者が「跳ねている」と勘違いしやすいウイントン・ケリーのピアノや、《モーニン》のテーマを奏でるボビー・ティモンズのピアノなどは、跳ねているようで、じつはギリギリのところで重く引きずっているのだ。

♪タッタ

と跳ねているようでいて、そのじつ、

♪タータ

と重く粘るように、あるいは「跳ね」に感じるギリギリ一歩手前で踏みとどまったような

♪ター(ッ)タ

ということになる。

「黒いor白い」「重いor軽い」と我々が感じるこのニュアンスの違いは、音の粘り、音の繋ぎ具合、とくに、上に表記した「タータ」における「ー」と伸ばす部分が要ともいってよく、一般に(あくまで一般的にだが)黒人プレイヤーのほうが音の繋がりが密接で、逆に白人プレイヤーになると音の連なりが淡白、もしくは性急さを感じさせることが多い。

具体例を挙げると、黒人ピアニストのソニー・クラークの「タ・タ・タ」に対して、チック・コリアのピアノは「タタタッ!」と駆け抜けるようなスピード感が伴っていることは両ピアニストの演奏を聴いたことがある人は、容易に思い浮かべることができるのではないだろうか。

もちろん、リー・アンのピアノは、後者の「タタタッ!」だ。
かなり性急に感じる。
そして、駆け抜けるような3連が、演奏のいたるところに出現するため、この3連のニュアンスを好きになるか嫌いになるかで、ずいぶんと彼女に対する評価が分かれるのではないかと思う。

私の場合は、このようなニュアンス、スピード感で奏でられるコルトレーンナンバーも悪くはないと思う。ただし、リー・アンのピアノのニュアンスは、コテコテのハードバップや、アーシーなソウルジャズなどを「ジャズの中心」に据えて鑑賞している人からしてみれば、非ジャズ的で、ジャズ的な躍動感やノリとはだいぶ異なるものに感じるに違いない。

このアルバムのナンバーで特に興味深いのは、コルトレーンの晩年に録音された『インター・ステラー・スペース』に収録されている《ヴィーナス》を取り上げていることだろう。
このアルバムはラシッド・アリのドラムとコルトレーンのテナーサックスによるデュオアルバムなのだが、管楽器と打楽器のみの編成ゆえ、このアルバムに収録されているナンバーにはハーモニーがない。

だからこそピアニストとしては、独自のハーモニーを付加することにおいて腕の見せ所なのだろうが、個人的にはよくもまぁ単純なモチーフの多い『インター・ステラー・スペース』のナンバーに着目したものだと感心することしきり。

このアルバムのコルトレーンナンバーは、テーマが非常に単純なものが多い。
作曲、というよりも、アドリブとして展開させてゆくための単なる音の切れ端というと言いすぎかもしれないが、音の一筆書き的なモチーフが多く、たとえば、《レオ》というナンバーは、
♪ミミ・ミミ・ミミ・ミミ と、オクターブ違いの「ミミ」の羅列だし、
《ヴィーナス》においても
♪ミレミレミレミレミレミレ……
と、「ミ」と「レ」がトリルのように連なる部分が大部分の非常に単純な音のモチーフがテーマとなっている。

サックス奏者にとっては、モチーフの単純さゆえに感情やニュアンスを込めやすいのかもしれないが、逆にハーモニーを伴う楽器はこの単純なモチーフを聴き応えのある内容にハーモニー付けをする楽しみがあるのかもしれない。
そして、リーアン流に味付けされた《ヴィーナス》は、現代音楽的な内容に生まれ変わっている。

ハーモニーは重層的でかなり凝った響きが付加されており、絵でいえばデッサンのようなコルトレーンの演奏に対し、リーアンのピアノは幾重にも絵具を塗り重ねた油絵のような仕上がりになっている。

おそらく、このアルバムの中ではかなり力を入れた演奏なのだろうし、ハーモニー、アレンジに凝り過ぎたゆえか、次に続く《ネイマ》のハーモニーが、比較的あっさりと物足りなく感じてしまうほどだ。

かろうじてジャズ的な躍動感を味わえる曲は《ワイズ・ワン》だろう。

アップテンポということも手伝っているのだろうが、この曲の演奏がもっともマッコイ的な響きゆえか、コルトレーンチックな雰囲気が漂っている。

スピリチュアルなイメージのコルトレーンが、白人女性ピアニストによって現代音楽的な要素を内包したピアノソロに描きかえられたこのアルバムは、後期コルトレーンから端を発したスピリチュアル系のジャズが好きなファンにはあまりお勧めできる内容ではないが、逆にミシャ・メンゲルベルクなどの、ハーモニーに美学と重きをおくようなピアニスト(ヨーロッパ系に多い)が好きな人にとっては興味深い1枚になるのではないかと思う。

album data

COMPASSION (Steeple Chase)
- LeeAnn Ledgerwood

1.After the Rain
2.5th House
3.Love
4.Venus
5.Naima
6.Resolution
7.Wise One
8.Compassion
9.I Wanna Talk About You

Lee Ann Ledgerwood (p)

1998/11月

記:2011/11/26

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