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ジャズと映画と本の日々:高野雲

ジェリ・アレンや秋吉敏子が弾くバド・パウエルのナンバー

      2017/07/10

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パウエルが凄すぎるため、フォロワーが霞んでしまう

先日、「いーぐる」でバド・パウエル特集をやったこともあり、その準備段階においては、パウエル以外にも様々なピアニストの演奏を聴いたことはいうまでもない。

結局、最終的にパウエル以外にかけたピアニストは、ビル・クエストだけだったが、選曲の際においてのごくごく初期段階では、秋吉敏子とジェリ・アレンも、じつは俎上に乗せようかとチラリと思ったことを、裏話として白状しておきましょう。

趣旨は、簡単で、「パウエルと比べると全然ダメじゃん」(笑)。

あ、誤解しないでね。
“パウエルと比べると”、ですから。

でも、それだけのことを言うために、比較しても仕方がないし、ましてや、良い音源をかけてこその「いーぐる特集」に、比較のためとはいえ、あまり良くない演奏をかけてお客さんを不快にさせてもどーかな?と思ったので、このアイデアはすぐに引っ込めましたです、ハイ。

それでも、興味がある人は、ジェリ・アレンの『イヤー・オブ・ドラゴン』の、タッチが団子になっている《オブリビアン》と、『ジーニアス・オブ・バド・パウエル』の《オブリビアン》を聴き比べてみてください。

ジェリ・アレンの高速演奏、悪くはないんだけれども、無理無理感がひしひしと漂っている。

ポール・モチアンのシンバル刻みも苦しそうだし、なによりジェリのタッチがもつれもつれの団子タッチ。

原曲の清冽かつ凄烈さはどこにいったの? って感じ。

べつに、原曲とおりのイメージで弾く必要はないんだけどね。
でも演奏として、単純によくない(笑)。



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秋吉クレオパトラ

さて、もうひとつが、秋吉敏子の『リメンバリング・バド』。

これの《クレオパトラの夢》が、ちょっとねぇ……。

《ウン・ポコ・ローコ》もそうだけど、ハーモニックマイナー旋律をただ弄んでいるだけ。

読者の皆さん、是非、パウエルの『シーン・チェンジズ』の《クレオパトラ》をじっくり聴きなおして欲しいんですけど、極論すれば、あの演奏に、アドリブないでしょ?

つまり、アドリブパートになっても、すべての旋律が「作曲」されているように聴こえるということ。

それが証拠に、あの演奏のアドリブは、流れに非常にメリハリがあるし、起承転結もある。

ところどころに山場があるけれども、「おっ?!」と感じる旋律を持ってきている。

もちろん、「作曲」して演奏に臨んだのか、次から次へとフレーズが「湧き」でたのか、真相は分からないが(もちろん後者だとは思うが)、あの《クレオパトラ》が名演な理由は、アドリブまでもが完全に「テーマ」と化しているところなのです。

ところが、秋吉ピアノは、民族音階(なんとなくエジプトっぽいニュアンスの、ちょっと哀れっぽいニュアンスのドレミファソラシド)をただ上下しているだけ。

とくにイントロの無伴奏での思わせぶりな旋律は、クサ過ぎ、かつ、クレオパトラだから、こんな感じなのかな? なアタリをつけた感じが見え見え。

全然、曲の芯を理解していないし、「頼まれてやっている感」がムンムンと漂ってくる。

秋吉敏子の『リメンバリング・バド』

『リメンバリング・バド』のその他の曲を俎上に載せてみる。

3拍子の《オブリビアン》は、まあ聴けるし、ラテンタッチの《シリア》はアプローチにメリハリをつけた面白さという点では評価するけれども、ただそれだけ、って感じが拭えない。

バド・パウエルの曲って、構造的には簡単なだけに(それが証拠にパウエルはモンクの曲を演奏しているけれども、モンクはパウエルの曲を弾いていない。

良い曲・悪い曲ということは抜きにして、構造的にはモンクの興味外の曲ばかりだったのだろう)、それだけ、作曲者、演奏者との「曲演一致」のイメージが強い。

だからある意味、演奏者はそれを認識しておかないと、たとえ良い演奏をしたとしても、聴き手の記憶と照らしあわされた上での下方修正度が高くなる可能性が高い。

よって、私のジェリや秋吉に対しての評価もどうしても、いつもより辛口になっちゃうのよね。

もちろん、彼女らの演奏、普通に先入観を持たずに聴けば、心地よいといえば心地よいかもしれないけど、バド・パウエルを演奏したのではなく、スタンダードを演奏しているという感じがする。

もちろん、それでもイイんだけど、あえてパウエルを演奏している「意味」みたいな深読みがどうしてもされやすい題材ではありますよね。

補足

と、ジェリ・アレンや秋吉敏子ファンを怒らせるようなことばかりを書いてしまっているが、誤解のないように書いておくと、私はジェリも秋吉敏子も凡百のピアニストよりも随分と優れたピアニストであると認識している。

ただ、やはり比べる対象が悪いというか偉大過ぎてしまうのようね、なにせバド・パウエルですから。

そのへんのところも差し引いて考えなければならないことは重々承知の上、そして、あの素晴らしいピアニストのお二人ですらも、パウエルに比べるとやっぱり小粒感が出ちゃうんだなぁということを「音」でまざまざと思い知ってしまうところが、ジャズの怖いところでもあるのですね。

記:2007/07/05

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>>「いーぐる」で講演します。バド・パウエルです。6月31日です(笑)。

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