カフェモンマルトル

ジャズと映画とプラモの日々:高野雲

ゴーン・アゲイン in セントラルパーク

      2017/05/20

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10年近く前のことだが……。

昼下がりのニューヨークのセントラルパークを私は自転車に乗ってノンビリと走っていた。

季節は真夏だが、時折涼しい風が吹いてくるので、気温のわりには快適な午後だった。

セントラルパークにやってきた人たちは、それぞれ思い思いのことをして過ごしている。

ベンチに座って新聞を読んでいる人。

ラジカセに合わせてダンスの練習に励む人たち。

犬の散歩をしている人。

当時は、今よりも東洋ブームだったのだろう、太極拳のような拳法の型をじっくりと練習している人や、池のほとりの岩の上で胡坐をかいて瞑想にふけっている人なども散見できた。

私は、セントラルパークで過ごす人々をゆっくりと自転車を漕ぎながら、流れる景色とともにとりとめもなく眺めていた。

夜になると、女性はとても一人歩きの出来ない公園だと聞いてはいたが、昼下がりのセントラルパークにはそのような雰囲気は微塵もない。のどかだ。安穏としている。

タバコが吸いたくなったので、木陰のベンチに腰をおろした。

リュックの中のウォークマンを聴きながらタバコを一服。

ウォークマンから流れてきた曲は、レッド・ガーランドの《Gone Again》だった。

『グルーヴィ』(プレスティッジ)というアルバムに入っている演奏だ。

グルーヴィーGroovy

しっとりとした演奏が、妙にこの昼下がりのノンビリとしたセントラル・パークとマッチしていて、しばらく時間を忘れて聴き惚れてしまった。

テーマは、ガーランドお得意のブロックコード。メロディを大切になぞるような演奏で、意地悪な言い方をすれば、すごく普通で何の変哲もない演奏なのだが、そこが逆に、その時のシチュエーションにハマっているように感じた。

心の襞にじわじわと染みてきた。「いいなぁ~」と思わず、まるで温泉に浸かっているような溜息。最高に贅沢な瞬間を味わっているような気すらした。

神妙にブラシをさするアート・テイラーが雰囲気を出している。

ピアノソロが終わった後、一瞬のタメを置いて奏でられるポール・チェンバースのベースソロがとても良い。

ベースソロ自体もとても良いのだが、ベースソロが始まるタイミングが絶妙で、この瞬間がとても良い。

そして、チェンバースのソロを受けて再び「ひらひらひら~」と奏でられるガーランドのピアノも、また素敵。本当、この曲を聴いているときは至福の瞬間だ。

セントラルパークののどかな昼下がりに似合うこれ以上の曲はあろうか?

ジャズは夜だけの音楽じゃない。

このようなシチュエーションにもピッタリと合う演奏だってあるんだな、と感じる瞬間だった。

レッド・ガーランドの『グルーヴィ』は、ちょっとジャズをかじった人なら誰もが知っているほどの有名なアルバムだ。

ドラムスのアート・テイラー、ベースのポール・チェンバースのサポートも素晴らしい。

goredgo

ところが、語り草になるのは、決まってA面の1曲目の《Cジャム・ブルース》か3曲目の《ウィル・ユー・スティル・ビー・マイン?》。

あるいはB面の1曲目の《柳よ泣いておくれ》の3曲だ。

《Cジャム・ブルース》はゴキゲンなノリの名演ということで。

《ウィル・ユー・スティル・ビー・マイン?》は、コロコロとしたガーランド特有のシングル・トーンの美しさで。

《柳よ泣いておくれ》は、ガーランドのブロックコードに関して。

上記3曲は私も大好きだし、それぞれが際立った特徴のある演奏なので、言葉で語りやすい内容なことは否めない。

ところが、《ゴーン・アゲイン》は、「ブロック・コード」とか「シングル・トーン」とか言葉で説明出来るような際だった特徴は、これといって無いのだ。

しかし、「演奏」には明確な特徴はないのかもしれないが、それ以前に「曲」が素晴らしい。

本当に泣けてくるメロディとハーモニーだ。

しかし、この曲を演奏しているジャズマンって意外と少ない。

私のささやかなセントラル・パーク体験よりだいぶ後のことだが、ドロ・コカーの『カリフォルニア・ハード』(ザナドゥ)というアルバムを知人からプレゼントされた。

California Hard, Featuring Art PepperCalifornia Hard

基本的にはアート・ペッパーのアルトサックスと、ブルーミッチェルのトランペットが加わったクインテット編成のアルバムだが、《ゴーン・アゲイン》は管が2本とも抜けて、ピアノ・トリオで演奏されている。

レッド・ガーランドの演奏と比べると、さらにテンポをグッと落としている。

テンポを落とせば落すほど感動度も増すのだろうか、確かに深夜にシンミリと一人で聴くと泣けてくる。

ただ、演出過剰なキライも無きにしも非ずで、特にラストの思わせぶりな「タメ」の利かせかたにはあまり好感が持てない。

また、ドロー・コカーのアドリブは特に何のヒラメキも感じられず、原曲のメロディを凌駕する旋律を生み出すまでにはいたっていない。しかし、テーマのメロディを凌駕するメロディなど、そうそう生まれるわけは無いとも思える。

それほど、テーマそのものが素晴らしい旋律なのだ。

こういう曲は、別に無理してアドリブなど取らずに、少しずつフェイクさせた原曲のメロディを3回か4回ほど、繰り返し演奏してくれても良いのにな。

再びレッド・ガーランドの《ゴーン・アゲイン》をかけてみる。

こちらの方がドロー・コカーよりも「感動させてやるぞ!」という気負いが感じられない分、非常にあっさりと淡々とした感じに聴こえる。

ふんわりとそよ風が流れ込んできた、って感じ。

そう、曲が良いから余計な飾り立ては不要なのだ。素材が良いのだから、味付けは最小限のほうが良い。そんな素晴らしいメロディを持った《ゴーン・アゲイン》。

考えてみれば、私が好きなスタンダードって、べつに気負って演奏しなくとも、そして、頑張って原曲から新しい旋律を紡ぎだそうと努力せずとも、「普通に」演奏するだけで、その良さが発揮されるものが多いような気がする。

あまり小細工をしないでストレートに勝負すること、これが一番ジャズマンにとっては難しいことなのかもしれないが。

記:2001/08/12

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