カフェモンマルトル

text:高野雲

*

回想:板谷博

      2017/05/19

Pocket

trb

久々に板谷 博氏のアルバムを聴いた。

遺作の『VAL』だ。

氏は数年前にこの世を去った。

私は氏の弟子の一人だった。

それも、デキソコナイの。

私は氏に数年間アンサンブルを習っていた。

課題曲の譜面を渡され、氏の元に集まったギター、ドラム、ピアノ、サックスなどのプレイヤー達が氏の見守る中、初見で演奏をする。

プロミュージシャンの厳しい目に監視下のもとで演奏するわけなので、我々は手に緊張の脂汗をしたたらせながら楽器を奏でていたものだ。

口当たりは優しいが、その実、楽器をやめようかとすら思うほどの厳しい指摘。

私達の演奏があまりにもお粗末だと、ジャズ理論の初歩から1時間以上にも及ぶ長い長い講釈が繰り広げられる。その間、私達に演奏は許されない。

当時の私は、オリジナル馬鹿パンクをやっていた勢いもあって、「理論書なんぞ燃やしちまえ、いい匂いがするぜ」がポリシーだった。

理屈よりも実戦第一だぜ、考える前にカラダで覚えさせろこの野郎。口には出さなかったが、心の中ではいつもそう思っていた。

当然、氏の講議が退屈だったのは言うまでもない。

頭の中に入るすべもなく、ひたすら欠伸をしながら退屈さに耐えていた。

また、氏にとっても、私の反抗的な態度は目障りだったに違いない。

ところが、氏と私には一つだけ共通点があった。

セロニアス・モンクの熱狂的なファンだということ。

言うまでもなく、モンクの曲は、そのユーモラスで分かりやすいメロディとは裏腹に、脳味噌が三角になるほどの難曲のオンパレードだ。

《モンクス・ムード》、《リズマニング》、《ウェル・ユー・ニードント》、そして《エピストロフィ》。

嫌がる他の生徒らをなだめ、私が希望する曲を積極的に取り上げてくれ、ある時は自らトロンボーンで長尺のソロをとったりもしてくれた。氏のトロンボーン奏でる《モンクス・ムード》のメローなトーンは今でも耳から離れない。

板谷博氏のトロンボーンは、あくまでも精巧で緻密。演奏のアプローチは、あくまで理論的かつ科学的。ただし、これはあくまで演奏に臨む際の氏の姿勢に過ぎない。

あのふくよかで、丸いトーンを見よ!!(あ、聴けか)。

意識的にエッジを丸くし、アタックを遅きに置いた、聴きようによってはユーモアさえ感じられるトボけたマイルドなトーン。そして、ここぞとばかりに放出されるラウドでアタックの強いハイトーン。

私は氏の演奏に触れるまで、トロンボーンとは、これほどまでに表現力のある楽器だとは知らなかった。

もっとも、メリハリが効き過ぎていて、人によっては好き嫌いが別れるかもしれない。

しかし、氏のデリケートな楽器のコントロール技術と、あの痺れるようなトーンに生で接した私から言わせてもらえば、氏は間違いなく世界にただ一つのオリジナルのスタイルを築き上げた偉大なるスタイリストだった。

カーティス・フラー、J・J・ジョンソンだけがトロンボーンじゃないのだよ。

『VAL』のラスト曲、《虹の彼方へ》が流れてきた。

アドリブの無い、テーマだけのごく短い演奏。

このフワリと全身を包むがごとき、このトロンボーンの甘いトーンはどうだ。無防備で丸裸になった板谷博の演奏。

そして、氏はこの曲の録音を最後に、本当に「虹の彼方」へ逝ってしまった。

VALVAL

記:1999/03/25
加筆:1999/11/12 

追記

明田川荘之のピアノソロアルバム『Mr.板谷の思い出』が店頭に並んでいたので、早速購入してみた。

何しろ帯のコピーが、「板谷博への、すさまじいまでの思いが演奏にぶつけられた。これは現代日本における、最も悲痛な葬送行進曲である。」だから、嫌が応でも聴いてみたくなるというものだ。

明田川荘之氏は、自他共に認める「天才」ピアニスト、そしてオカリナプレイヤーだ。
中央線沿線にあるジャズのライブハウス「アケタの店」の店主でもある。

一曲目の《Mr.板谷の思い出》。

バド・パウエルの《クレオパトラの夢》をひっくり返したようなメロディがオカリナとピアノによって交互に紡ぎ出されてゆく。

別に有名曲に似ているからダメというわけでは毛頭ないのだが、感想は「?」。

凡人の私に「天才」の思いなど理解できる術はないのだが、へぇ、彼にとっての板谷さんの思い出ってこうだったのかぁ、と興味深いものは感じた。

私にとっての板谷博は、巨匠とまではいかないにしても、とてもスケールの大きなイメージと近寄り難い存在感があった。

それがこんなに「コジンマリとした感じ」にまとまってしまっていいのか?」という思いが強い。

この「コジンマリさ」は、ソロというフォーマットだからというわけではない。

事実3曲目の《越後の乳配り》などはマル・ウォルドロンばりの低音を駆使したダイナミックな演奏が繰り広げられている。

もっともプライベートで接する機会の多かった明田川氏からしてみれば、こういう素朴でベタなマイナー曲調こそ板谷氏への葬送曲として相応しいものだと感じたのかもしれないが……。

そこらへんのところも凡人の私には分かりません。

記:1999/12/05

 - ジャズ ,

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。