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ジャズと映画とプラモの日々:高野雲

ジャズは死んだのか?

      2018/10/16

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ジャズって死んだ?

死んでません。
死んでないと思います。

今、ジャズがブームかといえばそうではないと思いますが、「ブームではない=死んでいる」ではないはずです。

ブームとまではいかないにしても。
ジャズが世間の話題によく登場するトピックスか否かと問われれば「否」と言わざるをえませんが、マスメディアが取り上げる頻度と「生きてる・死んでる」は関係ありません。

たとえば、一時期は、テレビに出まくっていたお笑い芸人の小島よしおもナベアツも、最近はテレビではとんと見かけなくなりましたし、メディア上でも話題には上りませんが、誰も彼らのことを死んだとは言わないし、思ってません。

今、ジャズは世の中の注目を集める熱い音楽のジャンルかといえば、「その通り!」だとは言えませんが、「注目を集める熱い音楽ではない=死んでいる」だとしたら、ロックも演歌もアンデス民謡とっくに死んでいるといわざるを得ません。

しかし、ロックも演歌もブームとは無関係に、本当に好きな人たちによって聴かれ、語られ、演奏され、歌われています。
ジャズとて同様なのではないでしょうか?

活力減退に渇!

いや、気持ちは分かりますよ。

実際、死んでいないんだけど、死んだというレトリックを使いたいという気持ちは。

「お前の目は死んでいる」というのと同じレトリックだと思います。

目が死んでる状態は、視力を失った状態をさすわけですが、「お前の目は死んでいる」と言う人の言いたいことはそういうことではなく、「かつての目の輝きが失われているぞ、今のお前は生気(やる気)を失くしているぞ、どうしたんだ、しっかりしろ!」という意味が言外には含まれているわけで。

つまり、活力を失った人に「渇」を入れたい気持ちなんでしょうね。

それと同じだと思います。「ジャズは死んだ」と言いたい人の気持ちは。

つまり、「ジャズ(シーン)よ、かつての活気を取り戻せ!」と言いたいのでしょう。
「もっと素晴らしい演奏で俺たちをビックリさせてくれ」あるいは「もっと新しい切り口(アプローチ)を引っさげてシーンをにぎわせてくれ」ということなのでしょう。

だとしたら。
言葉の裏にそのようなニュアンスが込められているのであれば、まだその人はジャズに期待をしている証拠ですし、程度の差こそあれジャズにまだ(かすかな?一抹の?)希望を持っている可能性があります。

なにしろ、「ジャズが死んだ」という言説は、1978年とかそれ以上も前から言われ続けているのだそうですよ。

仮に1978年に言われたとすると、今年は2018年ですから、もう40年もの間「死んだ、死んだ」と言われ続けて、生きながらえているということになります。

余計な先入観なしに聴ける幸福な時代

私ごときがあーだこーだ言うよりも、「死んでない」についてを分かりやすく、かつ的確に語っている文章があるので、引用させていただきましょう。

もはや半世紀前の黄金時代のようなパワーも音楽的影響力もないことだけは事実だろう。しかし一方で、音楽としてのジャズの基本的骨格が今やある意味で古典になったがゆえに、聴き手の側からすると、壮年期のジャズ周辺に常にあった音楽そのものとはあまり関係のない流行や思想など、余計な概念や先入観に捉われずに済むようになった。

これは、アンディ・ハミルトン・著『リー・コニッツ ジャズ・インプロヴァイザーの軌跡』の翻訳者である小田中裕次氏が巻末の解説の冒頭で述べられている部分の引用です。

そうなんです。
我々は流行やブームというようなものから切り離された状態で、冷静にかつある意味客観的にジャズを楽しめる非常に幸福な時代にジャズを享受できる時代に生きているとも言えるのです。

また小田中氏はこうも記されていますよ。

昔のように「ジャズとは……」と大上段に構えたり、「真剣に聴く」ことが稀になった代わりに、クラシック音楽とヨーロッパの関係と同じく、アメリカを起源とするワールド・ミュージックの一つとしてジャズを純粋に楽しむことができるようになったと言える。

これは確かにその通りだと思います。

特にジャズ愛好家でもない人が言う「ちょっとジャズでも聴いてみようかな」という言葉には「いつも耳にしている音楽とはちょっと違うオシャレな音楽を(精神的にほんの少しだけ背伸びをして)聴いてみようかな」という意味が含まれていると感じます。

つまり、日ごろ歌舞伎に馴染みのない私が「たまには歌舞伎座に行って歌舞伎でも鑑賞してこようかな」という感覚と同じようなものなのでしょう。

便利な世の中にあるチョイス可能な多様なコンテンツの中の一つ、ということなのかもしれません。

これを象徴するのが、先日創刊された『JAZZ 絶対名曲コレクション』シリーズがまさにそうでしょう。

「絶対的」と太鼓判を押された鉄板曲を解説付きで気軽に楽しめる。

歌舞伎に疎い私がプロによる「歌舞伎・鑑賞の手引き」が必要なように、ジャズに疎い人にとっては、この「音源付き・鑑賞の手引き」は、まさに便利かつ親切な商品であることには違いありません。

これを手にした人々は、「ジャズとは……」と大上段に構えたり、「真剣に聴く」ことは無いでしょうが、気軽においしくジャズという世界にアクセスが出来るわけです。

その昔、ジャズ喫茶に入るのが怖かった時のような精神的敷居の高さはまったくありません。

そして面白いことに、この気軽にジャズの世界にアクセスできる商品を監修しているのが、ジャズ喫茶「いーぐる」のマスターであり、誰よりも真剣に「ジャズとは……」と求道的精神でジャズと接し続けていた後藤雅洋さんであるというところが面白い。
いや、皮肉じゃないですよ、全然。

フラット化する時代の変容とともに、ジャズとの接し方が大きく変わってきていることをジャズ喫茶という「現場」で誰よりも敏感に感じ取っている後藤さんならではの仕事なのだと思っています(発刊おめでとうございます!)。

~つづく

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