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ジャズと映画とプラモの日々:高野雲

ウィントン・ケリーとジョー・ザヴィヌル~マイルスから同時に声をかけられた2人のピアニスト

      2018/07/07

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2人同時に声をかけていたマイルス

ウィントン・ケリーとジョー・ザヴィヌル。

この2人の鍵盤奏者に共通することといえば、マイルス・デイヴィスのグループに所属していたピアニスト(ザヴィヌルの場合はオルガニスト&エレクトリックピアニスト)だったということだ。

ザヴィヌルとマイルス

この二人が所属していた時期のマイルスの音楽性はかなり異なる。

ケリーがピアノの椅子に座っていた頃のマイルスは、まだアコースティック4ビートの最先端の路線を突っ走っていた。

いっぽう、ザヴィヌルが所属していた時期のマイルスは、アコースティックからエレクトリックへと移行しはじめた時期。

そう、あの名盤『イン・ア・サイレント・ウェイ』でオルガンを弾き、タイトル曲を提供したのもザヴィヌルだった。

まったく音楽性の異なる時期のマイルスを支えた2人のピアニスト、じつは同時期にマイルスから声がかかっていたことはあまり知られていない。

つまり、ケリーと同時期にザヴィヌルにも「俺のグループにはいらないか」と誘いをかけていたということは、マイルスはかなり早い時期からザヴィヌルに注目していたことにもなるし、この時期のザヴィヌルはもっぱらアコースティックピアノを弾いていた。

つまり、エレクトリックキーボーディストとしてではなく、アコースティックピアニストとしてザヴィヌルの能力にマイルスは目をつけていたということが興味深い。

結果的に、ザヴィヌルは、マイルスからのオファーを丁重に断っている。

なぜかというと、まだ「その時期ではないと判断した」から。

つまり、当時のザヴィヌルは、故国オーストリアを離れ、アメリカを拠点に活動を始めたばかりの時期だったのだ。しかも、ダイナ・ワシントンという大物歌手のバックでピアノを弾けるという僥倖にも恵まれ、この状態を手放すには惜しいと判断したのだろう。

しかし、マイルスから声がかかったことを契機に、二人の親交は始まり、しばらくは音楽のパートナーとしてではなく、純粋な友人同士としての親交を結んでいたという。

『ビッチェズ』の頭脳

そして、「その時期」はやってきた。

先述した『イン・ア・サイレント・ウェイ』への参加。

そして、ザヴィヌルの才能は、大作『ビッチェズ・ブリュー』へと結実する。

今では、マイルスに関しての研究も進み、ザヴィヌルは『ビッチェズ・ブリュー』という作品のブレイン的存在であったということが分かっている。

たとえば、1曲目の《ファラオの踊り》の作曲者はザヴィヌルだ。

そして、演奏後半、マイルスが妖しくも壮大なフレーズを吹くが、この印象的なフレーズは、マイルスの即興演奏ではなく、あらかじめザヴィヌルが作曲したものだということも分かっている。

私は、あのマイルスのオープントラペットが奏でる「例のフレーズ」に痺れて『ビッチェズ・ブリュー』が好きになったクチだが、じつは、これもザヴィヌルの仕掛けだったというわけだ。

もし、オーストリアから渡米してきた直後のザヴィヌルが、マイルスからの誘いに応じていれば、ケリーの後釜のハービー・ハンコックはマイルス・クインテットのピアニストになっていなかったかもしれないし、『ビッチェズ・ブリュー』も生まれていなかったかもしれない。

さらに、個人的フェイヴァリットでもある小傑作『ブラックホーク』ももちろん生まれていない。

そう考えると、ザヴィヌルの「まだ、その時ではない」という直感がなければ、ジャズの歴史はずいぶんと異なる様相を呈していたに違いないのだ。

記:2018/02/11

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