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ジャズと映画とプラモの日々:高野雲

マイ・ファニー・ヴァレンタイン。憂いのマイルス、哀愁のドーハム

   

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2つの《マイ・ファニー》

ここに2枚のCDがある。

トランペット奏者、マイルス・デイヴィスとケニー・ドーハムのアルバムだ。

マイルスのアルバムは『クッキン』、ドーハムのほうは『ショート・ストーリー』。

世代もほぼ同じトランペット奏者が、同じフォーマットで奏でる同じ曲だが、表現内容がまるで違う。

まずは、マイルス『クッキン』の《マイ・ファニー・ヴァレンタイン》の「例の」イントロ。
レッド・ガーランドが奏でる美しく宝石のような素敵な出だしだ。

かたや、ケニー・ドーハムの『ショート・ストーリー』ラストの《マイ・ファニー・ヴァレンタイン》のイントロは、ガーランドのピアノのイントロを少々崩したかのようなテテ・モントリューのイントロから始まる。

スタートの時点から受ける印象は、それほど変わることがない。

しかし、主役のトランペット奏者がテーマの旋律を奏で始めるあたりから、世界の「色」がまったく異なることに気が付く。

テーマを奏でるマイルスの鋭いミュート・トランペットは、水分たっぷりの瑞々しい輝きを放っている。

その一方で、ケニー・ドーハムのトランペットは、水分が少々不足しているぶん、逆にそれが枯れた味わいを醸し出している。

同じトランペットなのに、こうまで音色が違うのかと思うほど、両者が放つ音はまったくの別物だ。

計算されたかのようにムダのないフレーズを奏でるマイルス。
ドーハムの場合は、ライヴということもあるのだろうか、言いたいことがたくさんあるかのように、次から次へと新しいフレーズを綴ってゆく。

マイルスの「憂い」と、ドーハムの「哀愁」。
まったく違う表現でありながら、どちらの演奏も思わず耳をそばだててしまう。

ピアノの個性の違い

トランペットが違えば、ピアノもかなり違う。

マイルスを最小限の音数と絶妙なタイミングで引き立てるのがガーランドのピアノだとすると、ケニー・ドーハムが切々と奏でるトランペットのバックを務めるテテのピアノは、かなり音数が多い。

まるで無口なゲストから話を引き出そうとする饒舌な司会者かのよう。
相槌を打ったり、ゲストの語りを反芻したりと。

このピアノがどう聴こえるのか、聴く日や聴くときの気分によって印象が変わるのが面白い。

ある時は、ピアノの伴奏が邪魔に感じ、もっとドーハムのトランペットを中心に聴きたいと感じることもある。
逆に、良い気分で酔っている時などは、お節介なほどに語りまくるテテの伴奏にシンパシーを感じることもある。

マイルスの《マイ・ファニー》は、ビシッと完璧に構築され、有無を言わさぬほどの完璧な世界が、常にブレることなく提示されるが、ドーハムの《マイ・ファニー》の場合は、まるで聴き手の気分を映し出す鏡のようだ。

どちらが良くて、どちら悪いというわけではない。
両方良い。

だから、いつまでも交互に末永く聴き続けることが出来るのだろう。

記:2018/08/24

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