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ジャズと映画とプラモの日々:高野雲

「オーネット騒動」陰の仕掛け人はジョン・ルイスだった

      2017/08/13

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ちょっとジャズの歴史に詳しい人なら、フリージャズの旗手、オーネット・コールマンの出現時には、彼の奏でる音楽に対して当時はかなり賛否両論の物議をかもしたということはご存知のことだろう。

物議をかもしたということは、それだけ多くの人に聴かれたということ。

当時は珍奇な音楽とされた彼の音楽が、なぜ多くの人の耳に届いたのか?

それは、あるライブハウスに長期出演をして日夜、ドン・チェリーらとともに演奏を繰り広げていたからこそ、注目を集めたのだ。

あるライブハウスとは「ファイヴ・スポット」。

エリック・ドルフィーとブッカー・リトルが歴史的な名演を繰り広げたライブハウス。
また、セロニアス・モンクとジョン・コルトレーンもこのライブハウスで歴史的な名演を繰り広げている。

>>アット・ザ・ファイヴ・スポット vol.1 /エリック・ドルフィー

このようなライブハウスに、なぜ新人オーネットは出演できたのか?

しかも、長期で。

それは、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)のリーダー、ジョン・ルイスのお陰なのだ。

ジョン・ルイスは、「ファイヴスポット」のオーナーにオーネットのグループの長期出演の交渉をし、了解をとりつけることに成功した。

つまり、オーネットの音楽が広く世に知れ渡ったのは、ジョン・ルイスの功績が大きいということだ。

オーネットにとってジョン・ルイスは、感謝してもしきれないほどの大恩人だったに違いない。

ジョン・ルイスも自分のバンドMJQで、オーネットの代表曲《淋しい女》を演奏しているので、彼はそうとうオーネットの才能に入れ込んでいたことがわかる。

▼MJQの《淋しい女》
淋しい女淋しい女

音のたたずまいからは、どちらかというと保守的かつクラシカルな印象を受けるMJQではあるが、リーダーのジョン・ルイスは、単なる懐古主義のジャズマンではなく、それどころか、先進的な感性を持ったジャズマンだったのだ。

記:2014/03/14

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