カフェモンマルトル

text:高野雲

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サイモン・ナバトフのピアノで、新鮮な《セント・トーマス》や《ジャイアント・ステップス》を味わう

      2017/05/21

happa

「黒さ」をまったく感じることのない、「漂白」されたセロニアス・モンクの《エピストロフィ》や、ジョン・コルトレーンの《ジャイアント・ステップス》も、ときには悪くない。

それと、ソニー・ロリンズの《セント・トーマス》も。

これらの曲が持つ脂分が丁寧にアク抜きされ、そのかわり、曲の骨格を殺すことなく、再度、綺麗に肉付けがなされている。

微毒まじりの危険な曲が、丁寧に再構築されている様を追いかける作業は、それはそれで気持ちが良いものだ。

サイモン・ナバトフのピアノは、スタティックで、優雅ですらある。

たとえるならば、蒸留水のようだ。

蒸留水=まじりっ気なし

まじりっ気なし=ピュア

ピュア=純粋

純粋=無害

必ずしも、そうとはいえない。

蒸留水は、たしかに、まじりっ気のない水ではあるが、このまじりっ気のなさは、「安全」を意味するものではない。

それが証拠に、蒸留水を飲むと大抵の人は下痢をしてしまうのだから。

毒の無い攻撃力というのもあるのだ。

一聴、まじりっ気のないピュアさを感じるナバトフのピアノも、心してかからないと、やられてしまうかもしれない。

この危険度は、分かりにくいぶん厄介ではある。

タイトル曲の《スリー・ストーリーズ・ワン・エンド》などの演奏を聴けば、たしかに叙情的で柔らかなピアノを弾く人ではある。

一聴、攻撃力も殺傷力も低いピアノだと感じてしまう。

少なくとも、一撃でガツーンを聴き手のマインドを揺さぶるピアノではない。

しかし、水の浸食作用と同じで、我々のマインドの中に幾重にも張り巡らされたフィルターを、その無毒性ゆえ、やすやすとくぐり抜け、結果的に、いつのまにか我々の内部を彼のピアノの音が占拠しているという、なかなかにシタタカなピアニストでもあるのだ。

やわらかく突んのめるロリンズの《セント・トーマス》も、慣れてくるとちょっとアザとさも感じられるのだが、それはそれで面白いアプローチだと思う。

基本、私は50年代のハードバップを中心に聴くリスナーだし、そのあたりが自分の守備範囲だと思っているが、たまにこのような、まったくタイプの違うピアノをはさんで気持ちの流れにメリハリをつけるのも楽しい。

ハードバップ風なピアノに飽きたら、この1枚をどうぞ。

バップ風のピアノに慣れ親しんだ耳にこそ、かえって新鮮度が高く感じられるかもしれない。

記:2006/04/22

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