カフェモンマルトル

text:高野雲

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スモールズ・パラダイスのジミー・スミス Vol.1

      2017/05/21

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Groovin at Small's ParadiseGroovin at Small's Paradise vol.1

スモールズ・パラダイスのvol.1で演奏されている《マイ・ファニー・ヴァレンタイン》を、いつも私は興味深く聴いている。

いうまでもなくこのナンバーは、アコースティック期のマイルス・デイヴィスが愛奏していたナンバーで、時代やそのときのメンバーによってずいぶんとアレンジ、ことに演奏のテンポが変えて演奏されている。

しかし、どのバージョンにおいても、フレーズとフレーズとの「間(スペース)」を大事にしながら、自分が吹くメロディを印象づけるアプローチをしていることに、もっと気をつけてみると良い。よりいっそう鑑賞の楽しみが広がるかもしれない。

もっとも、「間」を大事にするマイルスのこと、「間」に対しての眼差しは《マイ・ファニー・ヴァレンタイン》だけではないのだが、トランペットという管楽器の特性なのだろう、当たり前だが、演奏中には必ず息継ぎがあるため、いつまでも音を鳴らし続けることは不可能だ。

つまり、これはトランペットのみならず、サックスなどすべての管楽器にいえることなのだが、アドリブをとる演奏者には必ず「ブレス」という概念が無意識につきまとう。

ローランド・カークのような循環呼吸が可能な管楽器奏者ならばともかく、普通は身体能力の限界として、必ず息継ぎが大前提の上でフレーズが組み立てられることは当然のことといえよう。

そのいっぽうで、鍵盤奏者や、弦楽器奏者はどうだろう。

鍵盤楽器であれば運指、弦楽器であればネック上のポジション移動があるので、いつまでも音を弾きつづけることがムリなフレーズや運指はあるのかもしれないが、その気になれば、ノンストップで「間」を設けることなく弾き続けることは可能だ(テンポや音価にもよるが)。いい例がベースが等間隔で4ビートを刻むウォーキングをイメージしていただければ良いと思う。

体力さえあれば、一晩中でも音を出し続け、ビートを刻み続けることが出来るだろうし、実際、ベーシストのレイ・ブラウンが若い頃は、朝までぶっ続けのセッションは日常茶飯事で、ひとつの演奏が終わるまで1時間近くかかることもザラだったという。

鍵盤奏者が管楽器奏者のフレーズやアイデアを真似て鍵盤に落とし込むのはそのあたりがあるのかもしれない。

息継ぎという制約のある中で編み出された効果的なフレーズは、きっと、押すだけで音が鳴ってくれる便利な鍵盤楽器から繰り出されるフレーズとはまた違う力強さをたたえるのだろう。

そういえば、以前、私がジャズのラジオ番組のメインパーソナリティをつとめていた時に、ゲスト出演されたピアニストの松本茜さんも同じことを仰っていたことを思い出した。

ピアノは押すだけなのでいくらでも弾きつづけることが出来る。しかし、管楽器は呼吸の問題があるので、いつかは音を吹くのをやめる瞬間がやってくる。

だから、その制約の中でよいフレーズを紡き出そうとする管楽器奏者の発想と、ピアニストの発想は違うだろうし、管楽器奏者の節約したフレーズ作りは参考になる。自分も「間」をもっと有効に活かしたピアノを弾きたい。

たしか、このようなことを仰っていたが、なるほど、その通りだと思った記憶がある。

さて、オルガン。

この楽器は、ピアノよりも鍵盤のタッチが軽い。

だから、ピアノ以上に軽やかに弾きつづけることが出来る楽器でもあるが、だからこそ、時として冗長になり過ぎなプレイに陥る危険性も秘めた楽器でもあるといえる。

さらには、ペダルを踏まなければ、発音した次の瞬間から音が減衰しはじめるピアノと違い、オルガンの場合は設定次第では、鍵盤を押さえているかぎり音が鳴り続ける。

だから、こそ演奏次第では「間」が埋め尽くされ、クドさが先立つことになりかねない。

ジミー・スミスの場合は、たしかに音数多く、彼が持つつきることなきバイタリティにまかせて、とめどめもなく洪水のように音が生まれては消えてゆくが、決してしつこく、クド過ぎる内容にならないのは、彼は優れた音楽性をもった鍵盤奏者だからに他ならない。

だから、ここで収録されている《マイ・ファニー・ヴァレンタイン》に関しても、彼なりのセンスとバランスが保たれた演奏になっているし、彼なりの「間」もキチンと設けられているので、ヘンな圧迫感は、もちろん皆無だ。

しかし、やはり面白いんだよな。彼のアドリブを聞いていると。

つくづく管楽器奏者とは演奏の発想が違うのだなと思う。

その顕著な例として、音数を節約気味のトランペッターのマイルス・デイヴィスを引き合いに出したわけだ、やはり彼が演奏する《マイ・ファニー・ヴァレンタイン》と、ジミー・スミスの《マイ・ファニー・ヴァレンタイン》では、アドリブを聴き比べるにつけ、ミュージシャンの音楽性以前に、まずは楽器の操作性、そして、それが演奏者にの肉体におよぼす効果と、それがベースとなって生まれる音楽性というものを考えてしまう。

たとえば、マイルスの名演の誉れ高い『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』のバージョンなどと聴き比べてみると面白いだろう。

もちろん、どちらが優れた演奏で、ダメな演奏というわけではない。両方とも優れた演奏だということは言うまでもない。

正直、ブルーノートからは、1500番台ひとつとっても、ジミー・スミスのアルバムが多くて、勢いにまかせるまま揃えたはいいが、改めてジックリと聴くのは大変だ~と思っているリスナーがいれば、このように彼が演奏した一曲に焦点を絞り、他のジャズマンの演奏と、それもできれば違う楽器奏者の演奏と聴き比べてみると面白いのではないかと思う。

記:2011/02/19

album data

GROOVIN AT SMALLS' PARADISE VOL.1 (Blue Note)
- Jimmy Smith

1.Imagination
2.My Funny Valentine
3.Slightly Monkish
4.Laura

Jimmy Smith (org)
Eddie McFadden (g)
Donald Bailey (ds)

1957/11/15

 - ジャズ , ,