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ジャズと映画と本の日々:高野雲

こぶし考

      2015/05/25

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syouwa_machinami

宇多田ヒカルの唱法は限りなく演歌に近い。

なぜか。

それは彼女の「分かりやすいビブラート」のかかった唱法にある。このビブラートのかかった歌声でファンになった人も多いと聞く。

ところが。

アン・ルイスを筆頭に、宇多田ヒカルのビブラートを「未熟」「露骨」と貶している人も多い。

なぜか。

この宇多田ヒカル的なビブラート唱法は「チリ麺ビブラート」と呼ばれ、長い間音楽業界からは「ヘタ」「素人くさい」の象徴として忌み嫌われていたからだ。

なぜか。

現在の日本が、そのような受け手側の感受性を無意識にはぐくんでしまう土壌だからに他ならない。

具体的に。

明治以降のわが国の急速な欧化政策、それに伴って激変したわれわれ日本人の音楽を享受する環境と価値観の変化に関係がある。
言うまでもなく、ヨーロッパの音楽的価値観と体系をそのまま移植したものが、明治以降の音楽教育だ。ヨーロッパの音楽は一般に露骨で極端なビブラートを「品位格調を低下させる」という理由により廃する傾向にあった(もちろんオペラなどの例外はある)。

なぜか。

農耕民族の音楽だからだ。

農耕定着化に伴い、定住式の生活とコミュニティをいち早く確立した地域の一つにヨーロッパの西端がある。農耕民族の歌にはビブラートは不要だ。

なぜか。

人間の行動様式や思考パターンは、我々の想像以上に環境や身体的な条件によって規定されるものだが、狩猟生活と農耕生活という生活形態の違いは当然ながら音楽の表現方法にも大きな影響を及ぼすはずだ。
良い例が「歌」だ。
騎馬民族の歌には個人による長唄が多い。
「個」の表現者によるパフォーマンスの重視。
当然、内容が単調にならないよう、「個人芸」としてのビブラートなどの技法が発達するのは想像に難くない。
逆に農耕生活者の歌。
農耕生活というのは少人数で営めるものではない。「個人」に求められる資質よりも、「組織」としての生活運営に重きが置かれる。

よって。

一人だけ極端なビブラートをかけるような突出した人間が出てくると、もはやアンサンブルどころのハナシでなない。合唱ではなくなってしまう。
事実、西欧の歌は農耕社会定着後に近代的市民社会を構築していく過程で、こぶしつきの歌い方を失ってゆき、集団で歌う短い歌の合唱へ傾斜を強めていった。

だから。

定住式の生活とコミュニティをいち早く確立した地域ほどアンサンブルが発展する傾向にあると判断しても良いだろう。

たとえば、ガムラン。

豊かな水田農耕社会を確立し、強固な共同体を基盤とした文化が形成されたバリとジャワ。そして、水田生活を営むコミュニティから生み出された高度で緻密なアンサンブルを誇るガムラン。

ガムランのあの細かい役割分担と、そこから生み出される猛烈なスピード感は何人もの楽団員がいて初めて成立する世界なのだ。個人一人の力であのようなスピードを刻んでいるのではなく、厳然とした緻密な役割分担ゆえに生まれるスピードなのだ。

同様に、西欧でも個人芸よりは集団芸(アンサンブル)のほうに磨きがかかった。良い例がオーケストラだ。このヨーロッパ式の方法を、我が国は教育の近代化政策の一環として取り入れた。

そして明治以降の日本人は西洋和声によって形作られた旋律と和声が周囲の環境や教育によって刷り込まれ、慣れ親しんできた。

音楽の授業の「起立・気をつけ・礼」の和音ひとつとっても、まさに西洋平均率の権化、理屈と合理主義が具現化された「どこから始めてもドレミファソラシド」という、ある意味非常に整った構造でカタチ作られた音楽。

並行して急速に近代化政策を推し進めた明治以降の音楽教育は「こぶし」のように露骨に声を震わせる唱法が失われていってしまった。

基本的に「平成」の現在も、歌を観賞する際の大きなポイントの一つに「音程」があることは確かで、その良し悪しを判断する基準は、明治以降の「西洋和声」にほかならない。

我々が「あいつの歌は音程が外れていて下手クソだ。」と評する際には、無意識に幼少時の頃より繰り返し刷り込まれてきた「西洋和声」のドレミファソラシドと比較しているわけだ。

よって、宇多田ヒカルの場合、
音程は正確→上手い
ビブラート→(「極端なビブラートは品位を下げる」と教えられた人たちから見ると)露骨すぎる
と、感じてしまうわけだ。

さてさて。
日本の歌のルーツを辿ると、その源流は中国大陸・朝鮮半島、東南アジア、インド、西アジアとなる。
その証拠の一つとして、先史時代の出土品の中には土笛、銅鐸、和琴、磐石などがあるが、これらの楽器はいずれも大陸側の出土品との共通性が認められる。

史実によれば七~八世紀に中国・朝鮮半島から、そこを経由したインド、タイ、ベトナムなどを含めて、音楽家や楽器が渡来したことが分かっている。

そして、これらの渡来した音楽のほとんどが、「こぶし」系の音楽だということも見逃せない。
そう、極端なことを言ってしまえば、ユーラシア大陸全域が「こぶし」の文化圏と括ってしまってもよい。むしろ西欧のみが一部の例外と考えてしまった方が話しは早いかもしれない。
とにもかくにも、ユーラシア全体を覆う「こぶし」文化が日本に流入し、やがて定着した。

海外から流入してきたこれらの音楽も、やがて菅原道真の遣唐使船廃止により、日本独自の音楽に少しずつ変化してゆく。
もちろん大陸から伝わった「こぶし」の要素は失わずに、だ。

鎌倉時代の「平家物語」の平曲。
田植え行事の「田楽」。
室町時代の「能」。
江戸時代に中国→沖縄という順に伝わってきた三味線を用いた地歌・長唄などの唄物。そして、人形浄瑠璃の義太夫節の語り物。

日本人は農耕民族と言われているが、水稲生産を中心に、高度な定着型農耕社会が確立されるのは、実は江戸時代になってからであり、それ以前はかなり流動的な社会構造を持ち、江戸期とそれ以前はまったく異質の文化を持っていた。

つまり農耕社会が定着する遥か昔に、大陸から渡来した「騎馬民族的」な文化が根付いていたと考えた方が妥当だと思う。

これを元に、日本にはやがて独自の芸能が生まれる。それが、明治以降の日本では「伝統芸能」と化してしまった「長唄」などの「こぶし系」の歌だ。
ところが、カタチこそ変われ、「伝統芸能」としてではなく、いまだ「こぶし」の要素を全面に出している表現形態が今の日本にはある。
バックのサウンドや和声構造は、さすがに西洋的なものが主となってはいるが、歌そのものの表現は「こぶし」が全面に押し出されている音楽。

もうお気付きだろう。
演歌だ。

演歌の「こぶし」のルーツは、実は大陸系騎馬民俗の唱法だったのだ。

音楽的フォーマットこそ違えど、表現技法はカタチを変えて、全く違う土地で脈々と受け継がれている!

なんとも興味深いことではないか。

記:2000/05/03

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