カフェモンマルトル

ジャズと映画と本の日々:高野雲

宇多田を買わずに椎名林檎。そして京田未歩の『ゆううつな熱帯魚』

      2016/03/22

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ゆううつな熱帯魚ゆううつな熱帯魚

人がCDを買い求める理由は様々だと思う。

店頭で視聴して。

ジャケットに惹かれて。

好きなミュージシャンだから。

人に勧められて。

好きな曲がはいっているから。

贔屓のレーベルだから。

目隠ししてパッと手に取った1枚だから。

興味ないんだけど仕事の必要に迫られて。

中古コーナーで安かったから。

……などなど。

あるいは、先述した理由のいくつかがブレンドされて、ということの方が多いのかもしれない。

しかし一番つまらないのは、単に「売れているから」という理由だけでアルバムを買うこと。

もちろん、これから好きになるアーティストかもしれないという期待感はあるかもしれないし、何を聴いて良いのか分からないから手頃なところで「売れている」アルバムを買ってみるか、という消極的な理由もあるのかもしれない。

「良い」という評価の確立しているアルバムを買えば、まずハズレではないだろうという判断が働くことは分からないことではない。私も人から「良かった」と薦めてくれたアルバムは積極的に購入するようにしている。

しかし、当たり前のことだが、「売れている」は「良い」とイコールではない。

今年の3月28日に、宇多田ヒカルのニューアルバムと浜崎あゆみのベストが同じ日に発売された。

ワイドショー、スポーツ紙や夕刊紙の芸能面、週刊誌の芸能特集など、一斉にこの2枚のアルバムの売り上げに関しての報道が派手にされた。

しかし、肝心な音楽の内容の良し悪しに関しての報道は、私の知っている範囲では、一度も耳にも目にもしていないが、「売り上げ枚数」に関しての報道は連日アホのように繰り返されていた。

やれ「初日は宇多田がリードの模様」とか、路上の若者に「どっち買う?」のインタビューとか、「渋谷の某店では、一日だけ浜崎の売り上げが逆転した」とか、「浜崎が僅差で宇多田に追いついてきている。宇多田、逃げ切れるか?」とか……。

これって、ブッシュとゴアの大統領選挙か?

買う人は、お金払って投票に参加しているのか?

発売日に、まだ開店していないCDショップの前に列を作って、お金払って「投票」に参加。

彼らはワイドショーの話題づくりのためのサクラ?

いや、どうも、そうではないようだ。

しかし、なんて嬉しい選挙戦でしょう。経済効果は抜群ですね。「売り上げ合戦」という日本全国を席巻した巨大な「イベント」に、国民が大枚3000円近くもはたいて参加している。

レコード会社にとっても、CDショップにとっても、こんなオイシイ話はない。

いや、ひょっとすると政府の景気対策の一環だったのか?なんて穿った言い方はもちろん冗談だが、音楽の内容にはまったく言及せずに「セールス枚数」だけで「白・黒」、「勝ち・負け」をつけようとしているような風潮は、冗談じゃないと思う。

もちろん、購買者の多くは、純粋に浜崎や宇多田のファンなのだろうが、単に話題に乗せられて買った人も多かったハズだ。彼らは今でも買ったCDを聴いているのだろうか?買って安心、何回か耳を通して、はい、オシマイなのだろうか?それじゃツマラナすぎやしないか?

CD買うときゃ、もっと想像力働かせろよ、情報集めろよ、未知の領域に足を踏み入れたければ少しぐらい勉強しろよ、と私は思うのだが、まぁ宇多田や浜崎のCDを買ったすべての人が日常的に音楽を聴いている「音楽ファン」だとも思えないので、あまり声だかに言ってもしょうがないことではある。

なにせ、ベストセラーを狙うには、普段、そのジャンルに関心の無い人の関心をいかに惹きつけ、いかに財布を開かすのかにかかっているわけだから。

宣伝以外の部分での、話題作り、付加価値、大量のパブリシティは、欠かすことの出来ない重要な要素なわけですからね。

え、私ですか?

そりゃ、当然3月28日の発売日にCD買いましたよ。

浜崎のほう?
宇多田のほう?

いえいえ、その日に発売だった椎名林檎の『真夜中は純血』に決まっているじゃないですか(笑)。

真夜中は純潔真夜中は純潔

私は、自分が贔屓にしているミュージシャンが新譜を出せば、なるべく当日に買う。

聴きたいから買う。

「売れている・売れていない」の理由で買うことは、まず無い。

聴きたいから買うのだ。

もしも、そのアルバムが「売れている・売れていない」とメディアの俎上に乗せられたとしても、それは「たまたま」私の好みとメディアの関心がシンクロしただけ。ただ単に「売れているから」という理由だけでは、買う動機にはならない。

ところが、某書店やCDショップの店員何人かに聞くと、特にここ数年の著しい傾向として、とにかく店頭で展開する手作りPOP(Point Of Purchase=紙などで商品の前にディスプレイする販促物)に書いて、一番効果のある文句は、「売れている」「ベストセラー」「当店ベスト○○位」なのだそうなのだ。

とにかく「売れています!」「大人気!」を連発した商品は、他の商品よりも売れ行きが違うらしい。

昔から子供が親に欲しいモノをねだる時の必殺文句は、「○○ちゃんも持っているし、△△君も買ってもらったんだよ。クラスで持っていないの、ワタシだけなんだから…」なのだそうだ。こう言われた親は、ヨソに遅れをとってはマズイ、ヨソはみんな持っているのにウチだけが持っていないのは恥だ、といったような世間体を気にする意識が働くのだろうか。

だとしたら、それって村社会ぢゃん。その家庭は江戸時代の「五人組」にでも入っているのか?「ウチはウチ、ヨソはヨソ。知ったことかコノヤロー。」でいいじゃん。と、思うのは私だけなのだろうか?

たしかに多くの人が買ったということは、それだけ良いものだ、という考え方もあるのかもしれない。もちろん、辞書の版を改訂したものや、版を重ねている本だったら内容の面白さや実績を測るバロメーターにもなろう。CDだって古くから売れ続けているものは、「いまだショップの店頭で売られている」という、ただそれだけ事実だけでも、内容の良さはある程度推測出来る。

だって、2~3ヶ月ですぐに新譜も絶版とされてしまう世界の中、「いまだ売られている」という事実だけでも「時代の風雪」に耐え、淘汰されずに生き残ってきたという証なのだから。

発売当時のマスメディアの煽りに乗せれられた瞬間風速的な売り上げだけではなく、時代が変わってもその内容の良さが語り継がれ、長い間、様々な世代の人々の心を捕らえているという証拠なのだ。

ところが、新譜のCDや、新刊の書籍なんかは、内容が良いか悪いか分からないじゃん。もちろん、店頭で試聴も出来るだろうし、立ち読みも出来るかもしれない。

でも、普通アルバム全部は試聴しないだろうし、本も最初から最後まで全部立ち読みするわけじゃないよね(仮に隅から隅まで立ち読みした人がいたとしたら、きっとその人は買わないで満足してしまうと思う)。商品のすべてを鑑賞して、最終的に「良い・悪い」「面白い・つまらない」という総合的な判断を下すのは、どうしても「家の中」で、ということになってしまう。つまりレジでお金を払ったあと。

で、味噌や醤油じゃないんだから、本やCDは、一度買ってしまえば、同じものを買うことはない。

「宇多田ヒカルの新譜、聴いてみたら素晴らしかったから、あと13枚買いました」なんて人はあまりいないと思う。

つまり、リピーターがつかない商品なのだ。

なので、最後まで吟味出来ない商品なので、どうしても判断のバロメーターを必要とする気持は分からないでもない。

「売れている」という情報が、もっとも簡潔で直截的で、分かりやすく、なおかつ財布の紐を解く一押しの言葉となることは確かなようだ。

しかし、私の場合は性格が天の邪鬼なのかもしれないが、とにかく「売れている」と言われているものは、まず疑ってかかることにしている。

大衆が好むものになればなるほど、「薄口」「甘口」「平板」「低レベル」になりがちだと思っているから(もちろん、そうじゃないものもある)。

だって、お酒や食べものもそうでしょ?個人的嗜好が強くなればなるほど、アクやクセの強いものに走りやすいわけで。

お酒や食べ物の新商品を開発する際、消費者から様々なアンケートを取ることもあるらしいが、たとえば、「あなたの好きな食べ物(お酒)を10個書いてください」といったアンケートを募ると、最初のベスト1や2を除外して、真ん中に順位に位置する結果を集計するのだそうだ。

ベスト1や2にランキングされるものは、その人の個人的嗜好の強いもの、高価なものになりがちだが、アンケートの中位に位置するものは、どちらかというと日常的に慣れ親しんでいるものが統計的に多いからだ。売れる商品を作ろうと思ったら、アクが強いものよりも、多くの人が慣れ親しんでいる、平均的なフラットな味に照準を定め、そこに微妙な差異をつけてゆくのが最も効率が良く効果的な方法なのだという。

それと同じで、人が良いと言っているものは、私個人にとっては8番目に良いものになる可能性はあるかもしれないが、1番目になる可能性はまず無いだろう。

というか、これも私のヘソ曲がり根性なのだが、たくさんの人が良いと思ったものを自分の中のベストにはしたくない。

「自分が好きなものぐらいテメェで見つけなくてどうする!」と思ってしまうのだ。

たくさんの音楽や本を鑑賞して、少しずつ耳や感性を養って、その上で誰もが知らないような「自分だけの」秘やかな楽しみを見つけ出す喜び。これが、日々私がCDショップや本屋めぐりをさせる原動力なのだ。

まぁそんなわけで、私は「売れている・売れていない」ではCDは買わない。

店頭で知らないミュージシャンのジャケットを手に取り、これって面白いかな?と帯に書かれた文章やデザインに目を凝らし、あれこれと想像をめぐらせることが楽しいのだ。

想像通りの内容だと、嬉しくなり、
想像以下の内容だと、頭にきて、
想像以上に素晴らしい内容だと小躍りする。

こんな、馬鹿みたいなことを繰り返すことを無上の喜びとする私。

前置きが長くなった……。

そんなわけで、ジャケットのデザインと、今年の自分の誕生日にデビューしたばかり、という理由で購入した京田未歩の『ゆううつな熱帯魚』。

ジャケットが、ちょっとだけ面白いので手に取ってみた。プラスティックのケースの上にオレンジ色の小さなマークがたくさんプリントされているのだ。

この模様を生かすために、ケースの中に収められている紙のジャケットは白の空間をたっぷりと使い、中央よりも少し左寄りに大きな花を二本、背中に持っている京田未歩の全身がレイアウトされている。こういうデザインってわりと好きなのだ。

私は、男性誌よりも女性ファッション誌のレイアウトのほうが断然好きなので(あ、ファッション誌といっても、「おトク感」は感じられるけど、悪く言えば貧乏くさくコテコテに文字と写真とイラストが盛られている『ViVi』とか『Ray』とか『Can-Cam』なんかはその限りではない)。音楽もこんな感じだったら良いのにな、と思い購入した。

肝心な音楽のほうは、というと……。

歌もサウンドも、そこそこ綺麗にまとまって、無難に仕上がっている感じ。作曲のセンスも作詞のセンスも「並」といったところで、心の奥深くまでは届いてこなかった。

でも、まぁ3ヶ月に1回ぐらいの頻度で、家の中のBGMでかけるかもしれないかな?とは思った。

が、一つだけ特筆すべきことをあげるとすれば、キーボードがなかなか面白い。

4曲目の『ゆううつな熱帯魚 ラムコークRe-mix』。

途中で、曲のトーナルを一瞬無視したかのような割り込みかたをしてくるキーボードのソロがなかなか危うい感じで良かった。

ほんの数小節程度の短いソロだが、テンションの高い音選びがうまい具合にサウンドを「締めて」いる。そんな感じがした。

特筆すべきことは、それぐらいかな?

京田未歩のことを書くつもりだったのだが、前フリが随分長くなってしまった……。

もちろん「売れている」ものでもイイと感じたものは素直に認めるけどね。

記:2001/08/19

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