ルシダリウム/スティーヴ・コールマン

   

エジプトへの接近

曼荼羅だ。
フラクタルだ。

思索的かつ執拗なリズムのリフレインが、頭の中に幾何学的かつ相似形な図形を執拗に描き、軽い意識の麻痺状態を作り出す。

この計算されつくした複雑なくせにすっきりと整理されたリズム・フィギュアは、明晰でありながらも呪術的でもある。

さらに、呪術的かつ肉感的。
それは、多数参加している女性ヴォーカルの呻きがもたらす効果なのかもしれない。

先日、iPodのイヤホンを耳につっこんで渋谷を歩いていた。イヤホンの向こうから聞こえてくるのは、スティーヴ・コールマンのこのアルバム。

夕暮れどきの渋谷。
普段から人でごったがえす街だが、年末ということも手伝ってか、さらに輪をかけた数の群集がひしめきあっていた。
年末の東京の街の風物詩ともいえる救世軍。
それと、12月になると、どこからともなく現われる「悔い改めなさい。イエスキリストは~」といった説教を録音したテープを背中に立てかけたスピーカーから大音量で流す人々。
行きかうサラリーマン、学生、地方からの上京者、あてもなくブラつく人々…。

無秩序かつ雑多な年末の街並みと、スティーブ・コールマンの描き出す音世界が見事に渋谷の街の退屈な景観とシンクロしていた。

雑踏の中で心洗われ、穏やかな気持ちになる人は少ないと思う。むしろ、年末の雑踏の夕暮れ時に一人で街を歩いて感じることは、えもいわれぬ不安ではないだろうか。

恐怖ではない。そこまで具体的な感覚ではなく、もっと曖昧模糊と漠然と感じる不安。一瞬、自分自信の座標軸が定まらないなんともいえぬドンヨリと不安定な感じ。

この感じが、まさにスティーヴ・コールマンの《ルシダリウム》が醸し出す気分なのだ。

特に《メディテーション・オン・カーディナル》や《エジプト・トゥ・クライプツ・ヒエログラフス》の、覗けば覗くほど、どんどん鏡や万華鏡の中に引きずりこまれてしまいそうな世界は、一見無秩序に見える街の営みも、じつは、遠く離れた地点から俯瞰すれば、誰もが単調かつ同じ営みを過去から未来へと永劫に相似形的に繰り返しているだけなんじゃないかと思うほど。

焦点のブレた不思議な既視感を感じるとともに、街を徘徊する人々の単調な営みが、複雑なラセン状のリズムの中にパッキングされてしまったかのような、そんな錯覚をも覚えてしまう。

ヴォーカルが5人、ヴィオラにハーモニカ、そしてラッパーも加わるという特異な編成から生み出されるこのサウンドは、幻覚的でありながらも、非常に現代的なエッセンスをも含んだ不思議な響きを含んでいる。

M-BASE派の親分、スティーヴ・コールマンのこの作品は強くエジプトを意識した内容となっている。

《カバラ》、《エジプト・トゥ・クライプツ・ヒエログラフス》といったタイトルからも分かるとおり、彼のエジプトへ旅行した際の研究が実を結んでいるようだ。

スティーヴ・コールマンがエジプトに興味を持ったキッカケというのが面白い。

90年代半ばより、彼は後期のコルトレーンを聴くたびに象形文字の幻覚を見始めたのだという。さらに、この幻覚はパーカーを聴いたときにも起きはじめ、このことを盟友のカサンドラ・ウィルソンに相談したところ、彼女は、これはエジプトを訪問しろというサインだから行くべきだと強く勧めたのだそうだ。

彼女の言葉に従い、エジプトを訪問したコールマン。結果的に彼は古代エジプトの調整システムから占星術、天文学までの分野への興味を広げ、音楽的な表現領域を広げることにもつながった。

その成果は、99年の『ザ・ソニック・ランゲージ・オブ・マイス』や、2001年の『アセンション・ライト』の中で早速現われているが、今回フランスのレーベルLabel Bleuから発表された本作品が、その決定版とでもいうべき内容となって仕上がっている。

私が渋谷の雑踏の中で感じた妙な感触は、スティーヴ・コールマンが取り入れたエジプトのエッセンスからだったのかもしれない。

もちろん、エジプトのエッセンスだけにとどまらず、M-BASE独特のシャープかつ複雑な、まるで4歩進んで、4歩目に後ろを振り返るような独特なリズムは健在だ。

たとえば、1曲目の《テン・ストッピン》や、2曲目のタイトル曲などは、彼お得意の“複雑系ファンク”なリズムが冴えわたっている。

ノリノリなんだけれども、複雑なリズムフィギュア。このアルバムにおいても、リズム面での冴えは相変わらずだ。

私はスピード感とスローなニュアンスが絶妙なバランスでブレンドされた《エジプト・トゥ・クライプツ・ヒエログラフス》の中盤以降のアレンジが、いつ聴いても新鮮だと感じている。

テンポではなく、スピード感のコントロールが巧みにほどこされているのはさすが。

スティーヴ・コールマンは、ソニー・クリスを彷彿とさせるような軽やか、かつ澄んだ音色とプレイが身上だが、このアルバムでは、いや、彼のグループ「ファイヴ・エレメンツ」のほとんどすべてにおいては、彼のアルトのプレイ単体にスポットを当ててもあまり意味がないところがある。

彼のアルトそのものが、複雑なリズムや重層的な曲構造を構成する一要素なのだから。

徹頭徹尾、アンサンブルに徹する人なのだ。

だからといって、アンサンブルに埋没することなく、彼のアルトのスピード感のある鋭い音は、どの局面においてもエッジが立っているのが魅力だ。

とくに2曲目のリズミックなヴォーカルとの絡みはカッコいい。

いやはや、それにしても、これはかなり濃い内容のアルバムだ。

緻密に練られたアレンジと、緻密にコントロールされた演奏。

頭デッカチな音楽だと聴かず嫌いで断ずるなかれ。

このアルバムから発散される知的な情念は、こちらのマインドの奥底にも深く染み込んでくるものがある。

記:2004/12/31

album data

LUCIDARIUM (Label Bleu)
- Steve Coleman & Five Elements

1.Ten Steppin' (Door to the Sixty)
2.Lucidarium (Beyond Doors)
3.Plagal Transitions
4.Meditations on Cardinal
5.Kabbalah
6.Beyond All We Know
7.Diasporatic Transitions I
8.Diasporatic Transitions II
9.Egypt to Crypts in Hieroglyphs
10.Perspicuity

Steve Coleman (as)
Jonathan Finlayson (tp)
Ralph Alessi (tp)
Ravi Coltrane (ts)
Gregoire Maret (harm)
Dana Leong (tb)
Mat Maneri (viola)
Craig Taborn (key)
Anthony Tidd (b)
Drew Gress (b)
Dafnis Prieto (ds)
Ramon Garcia Perez (per)
Kyoko Kitamura (vo)
Judith Berkson (vo)
Theo Blackmann (vo)
Kokayi (vo)
Lobin Benedict (vo)
Yosvany Terry (shekere)

2003/05/27-30

 - ジャズ