新潟・冬の曇り空・雨の日のバタフライ

   

cloudy

新潟、冬の曇り空

《雨の日のバタフライ》を聴くたびに、新潟の冬の曇り空を思い出す。

大学生のときの春休み、新潟県新潟市にある友人の実家に居候していた私。

起床時間は、いつも夕方の5時ぐらい。

私も友人もとくに起きる時間を決めていたわけではないが、日が沈みはじめる時刻になると、いつしか目が覚める。

朝まで飲んでいた酒が体内にまったりと残っているためか、それとも寝すぎのためか、頭痛気味の頭がボーっとしている。

眠気と、気だるい身体のダルさを覚醒させようと、煙草に火をつけ、持参したCDをコンボにいれ、スイッチを入れる。

私が持参したのは、佐野元春の『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』と、万代シティのダイエーで買った、さだまさしの『親父の一番長い日』(笑)。

ナポレオンフィッシュと泳ぐ日ナポレオンフィッシュと泳ぐ日

『ナポレオンフィッシュ』の1曲目のタイトル曲で少し目が覚め、勢いのある《陽気にいこうぜ》で八割がた頭が覚醒してくる。

1本目の煙草が終わり、2本目に火をつけようとするタイミングで、《雨の日のバタフライ》が始まる。

このカチッとアンサンブルがタイトにまとまっているのに、どこかアンニュイな雰囲気の漂う曲が私は大好きで、この曲が終わると再びリピートをさせていた。

サビの「♪いつか、新しい日が、いつか訪れる」の微妙に外した音程が魅力な上に、この箇所の元春の歌唱をいろどる、フルートに近いキーボードの音色が、なぜだか、スー・レイニーの『セプテンバー・イン・ザ・レイン』を彷彿とさせるのだ。

雨の日のジャズ雨の日のジャズ

このスー・レイニーのアルバムは、オーケストラの編成がフルートとトロンボーンだけという非常に特異な編成ながら、フルートって吹きようによっては、かなり湿った感じ、雨な感じ、曇り空な感じが出るのだなぁと私に思わせた非常に興味深いアルバムだ。

《雨の日のバタフライ》のサビにかぶさるフルートに近い音色のキーボードは、まさに雨の匂いをこの曲に運んできて、センチメンタルすぎない湿り気を良い具合に曲にもたらしていた。

いつか新しい日が訪れる

新潟の夕方は、雨こそは降らないものの、限りなくグレーな曇り空だった。
窓を開けると、冷たい空気が、うっすらとした日本海の湿り気とともに入ってくる。

新潟の晴れた空は哀しく青く澄んでいるが、曇り空は、どうしようもなく陰鬱だ。
ベッタリと重たく、どんよりとしている。

いつまで友人の家にお世話になろうかな、持ち金も底をついてきたな、いつまでもこの状態はマズいよな、というか、オレの将来どうしようかな?

深刻になるほどの不安さはないが、曇り空を見ていると、小さな不安が次々と浮かんでは消えてゆく。

でも、根拠なく「なんとかなるさ」なんて思いながら、結局考えて結論を出すことを先延ばしにし、今はとりあえず、元春の歌声に聴き入り、コーヒーを啜ることにする。

佐野元春のアルバムの中では1、2を争う完成度と統一された色彩を誇るアルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』。このアルバムの中では比較的ひっそりとした佇まいでありながらも力強い存在感を主張する《雨の日のバタフライ》を聴きながら、出かける仕度をし、私と友人は、再び夜の古町や万代シティ(新潟市内の繁華街です)に繰り出してゆくのだった。

今でも《雨の日のバタフライ》を聴くたびに、陰鬱でどんよりとした冬の新潟の空を思いだす。
どんより、まったりとした気分が8割、2割がポジティヴに「いつか新しい日が訪れる」。

あれから20年近く経ってしまった現在。

「今日」という日は、はたして、あの頃からみたら「新しい日」なのだろうか?
煙草に火をつけながら、どうでもいいことを自問している私がいた。

記:2008/01/16

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