前衛ジャズと前衛短歌

   

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text:高良俊礼(Sounds Pal)

陽気なテロリスト

6月11日、フリー・ジャズの巨匠、オーネット・コールマンが亡くなった。

追悼文はサウンズパルのブログに、最初神妙な気持ちで書こうと思った。

しかし、私が最も「これはオーネットらしいなぁ」と思い、長年愛聴している『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』を聴きながら文を書いているうちに、心が完全に高揚してしまい、かなり砕けたアッパー系のレビューになってしまったが、オーネットには「しんみり」という言葉は似合わない。


ダンシング・イン・ユア・ヘッド

根っからの天然児であり、天衣無縫を地で行ってた「陽気なテロリスト」の追悼には、深刻な言葉も反省も要らんちゃ!というのが、私なりの彼への敬意の表明だと思って読んで頂けたら有り難いと思う。

パンクと前衛

さて、オーネット・コールマンは「フリー・ジャズの巨匠」と書いたが、日本語には「前衛ジャズ」という言い回しもあって、私はどちらかと言えばこの言い回しが好きだ。

私の音楽への傾倒は、中学の頃のパンクロックへの目覚めが原点だった。

ブルーハーツ、ザ・スターリンを皮切りに、ザ・クラッシュのジョー・ストラマー、デッド・ケネディーズのジェロ・ビアフラの闘争姿勢に憧れた当時の私の将来の夢は「革命家」。

「理論武装」という言葉に感化されて、学校の図書館と自宅にある本という本はとりあえず全て読んだ。

「先生、ちょっとお腹痛いんで図書室行ってきますわ」と、勉強する間も惜しんで、本を読んでは音楽を聴きまくってた私を、同年代の連中は「アイツはイカレてる」と言ってたようだったが、そんなことは一向に気にならなかった。

日々の行為、言動の全てが「パンクとは姿勢である」というジョー・ストラマー先輩の言葉を実践する“行”として私は捉え、そしてそれを貫き通すことこそが「前衛」だと、無垢な私は本気でそう思っていた。今にして思うと微笑ましいしツッコミどころも満載であるが、私は単純バカな性分なので、その基本姿勢は、今も恐らく変わっていない。

やがて中学、高校、短大と、奇跡的に受験に挫折することもなく、進学、そして上京して一人暮らしをはじめ、奇跡的に就職浪人をすることもなく、ディスクユニオンにアルバイトで潜り込むことが出来た。

ここでフリー・ジャズという音楽に出会い、人生観が変わるほどの衝撃を受けるが、同時に「短歌」とも衝撃の出会いを果たすことになる。

前衛短歌

私が好きだった「前衛」という言葉が、人生を変えるほどの衝撃を受けた音楽の枕詞であったことが、どれほど嬉しくて感動的な出来事であったかは言うまでもない。

その時、フリー・ジャズを経由して、寺山修司、福島泰樹という「凄い短歌」と出会い、彼らが影響を受けた歌人、塚本邦雄に出会い、ここでまたしても心臓が高鳴り過ぎて倒れてしまうぐらいの感動を覚えた。

そう、塚本邦雄という人こそが、我が国における「前衛短歌」と呼ばれるジャンルのパイオニア的存在だった。

いや、むしろそんなことよりも単純に、自分が「コレだ!」と思ったものに、まるで見えない糸でもあらかじめ繋がっていたかのように「前衛」という言葉が出てくる。その事に、もうまるで運命的な何か巨大なものが動いているとしか、私には思えなかった。

「前衛ジャズ」 「前衛短歌」 という言葉を立て続けに“発見”すると同時に、自分自身の歴史の中で、どこか「大切だけど建前として忘れてしまわなきゃ世間では生きていけないんだ」と、無理矢理思って閉じ込めていた思春期の頃の思想とその実践の記憶がムクムクと蘇り、私の内をゆさぶった。

これは押さえつけてどうこうなるものではない。

「あぁ、自分が今まで姿勢や思想と思っていたものは”衝動”であったのだ」

ようやく気付いた時、私は前衛ジャズのミュージシャン達の音盤を買い漁るのと同じ勢いで、古書店で「短歌」のコーナーで目を血走らせていた。

塚本邦雄の選集がまずあって、それを迷わず手にし、自室でアイラーのレコードに針を落とし、本に目を血走らせた。

革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ(水葬物語)

殺戮の果てし野にとり遺されしオルガンがひとり奏でる雅歌を(水葬物語)

昔、男ありけり風の中の蓼ひとよりもかなしみと契りつ(睡唱群島)

意味などはよく分からないが、いわゆる「短歌」でイメージする「日常を57577で綺麗に詠む」という概念とはまるでかけ離れた「破調・格調・幽玄」の美がそこにあった。

短歌+サックスのステージ

それから1年後、奄美に帰ってテナー・サックスを手に、見よう見まねでデタラメな「前衛ジャズもどき」を演奏するバンドも始めたし、ソロで即興演奏のライヴもした。

それから16年、コツコツと書き溜めていた短歌「のようなもの」に少しずつ手を加え、「これでようやく短歌になった、はず」と確信を持った50首を、新人賞に出してみた。

当然ながら選考には漏れたものの、それなりの手応えを感じた私は、右も左も分からないまま「短歌人」なる結社に飛び込んだ。

全ては「衝動」である。

その「短歌人」に入って2年、今、私は「短歌と音楽というふたつの“前衛”をどうにか同じ土俵で表現できないか?」と考え、ライヴの場で「短歌詠とサックスの即興演奏」を行っている。

恐らくはどこの土地に行っても「前衛」は通じ難い。

特に何事も「ノリ」を最重要視する奄美という土地において、これはもしかしたら実験を通り越して不毛な試みであるとも思う。

実際、今年に入ってから2度「短歌+サックス」でステージを行った。

まずは自作短歌をいくつか朗読し、静まり返った空気に余韻を漂わせながら、おもむろに全力でテナーを絶叫させる。

私のサックス・ソロは基本「限界まで」だ。

「美しく儚いメロディ」というものを意識はしつつ、それをやおらブチ壊したり、フラジオの咆哮でぶった斬りながらカタルシスに一直線に飛んで行くイメージで、時間にして10分前後を吹き切る。

お客さんの反応は「ポカーン」である。

賛否は多分あるだろうし、そのほとんどは今のところ「否」が多いとは思う。

だが、私は止めない。いや、やめられない。

だってこれ、前衛、・・・いや違う「衝動」だからだ。

オーネットのハーモロディック

そういえばオーネット・コールマンも、フリーとか前衛とか色々勝手に評されて、自身もハーモロディックとかいう「要するに音が外れててもリズムがバラバラでも、その音を出したいっていう気持ちがあれば出せばいいじゃない」という思想を、事ある毎に使ってたが、彼を50年以上突き動かしていたのは、最初から最後まで凄い単純で個人的な衝動だったんじゃないか、いや、そうに違いないと淡く思ってる。

記:2015/06/14

text by

●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル

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