飲食店の方必読! ピアノソロの音源は、ライブのインターバルにはご法度だよ

      2016/12/01

yukatabijin

私は、ライブハウスだけではなく、飲食店でライブ演奏をさせてもらうたこともあるけれども、その中で、過去に演奏したいくつかの店は、演奏と演奏のインターバルの間に、ジョージ・ウインストンを流していた。

しかも、面白いほど判に押したかように流れるアルバムは、きまって『オータム』。

これ、私が高校生のときに、すごく流行ったアルバム。

ウインダムヒルという、ギタリストのウイリアム・アッカーマンが創設したレーベルの名を一躍世間に名を知らしめ、かつ、「アコースティックで、ナチュラルで、ちょいお洒落なサウンド」というレーベル・イメージを定着させたのは、なんといっても、ピアニストの、ジョージ・ウィンストンであり、彼の代表作『オータム』であることは疑いない。

このあと、やってくるニューエイジ・ブームのさきがけだったのも、このアルバムだった記憶がある。

《あこがれ/愛》がCMにも起用され、さらに、このアルバムがブームになったタイミングで、ジョージ・ウインストンも来日し、譜面も出版され、「小さいときにクラシックピアノを習ってました」なオトコの子たちは、『オータム』の譜面を買い、“彼女を口説くため”という下心でピアノの練習を再開させ(私の後輩にいた)、彼の来日公演のチケットを2枚買い、意中の女性を射止めるためにコンサートに誘い(それも私の後輩だ)、ピアノなんて弾いたこともないくせに、音楽室でピアノに消しゴムを挟んだり、グランドピアノの弦を木琴のバチで叩いて遊んでいる私に、「おれ、ピアノはじめようと思うんだけど、ジョージ・ウィンストンのCMの曲を教えてよ」などと、ピアノをかじっている友達に教えてもらえば、簡単に弾けるようになるだろうとカン違いする輩もいたりと(それはクラスメートだ)、とにもかくにも、ジョージ・ウィンストンのこのアルバムの登場で、今までは歌謡曲やニュー・ミュージックしか聴いてない輩までもが、アコースティック・インストゥルメンタルに興味を持つ(といっても、ジョージ・ウィンストンだけかもしれないが)ようになるという、珍奇な現象が起きた。

このピアノブームのようなものは、私が小学校ぐらいのころのリチャード・クレイダーマン以上のものだったと記憶している。
少なくとも私の周りでは、ね。

私も、周囲があまりにもジョージ・ウィンストンと騒ぐので、お小遣いでレコード買ってみた。
譜面は高いから、コピーさせてもらったけど(笑)。

このレコードを聴き、譜面をピアノをなぞってゆくと、悔しいぐらいにツボなピアノなのね。

うわぁ、こんなに簡単で「感動っぽいの」って、なんかズルい!と思ったのが、最初の記憶。
しかし、そういう先入観をとっぱらって鑑賞しても、たしかに、良いことは良いんだよね。
ちょっと恥ずかしいんだけどさ(笑)。

しかし、その恥ずかしさもふくめて、我ら思春期の男女には良かったかもしれない(笑)。

ほら、このレコード1枚でインスタントに大人な気持ちになったような感じになれたような錯覚と、それを無意識にわかった上でのお互いの共通認識が、色恋沙汰のスパイスや演出にもなったような気が、いまになってはするから(笑)。

でも、このような恥ずかしさを含めて、内容、演奏自体は、それはそれで独自の「ひんやりとした清廉な世界」を築きあげていたので、この『オータム』というアルバムは、世界観のパッケージとしては、非常に優れた作品だと今でも思っているし、それこそ昔はよく聴いたものだ。

A面の《カラーズ/ダンス》や、《森》なんてよく聴いたし、次曲の一番ポピュラーな《あこがれ/愛》が、じつは、一番ダメで、CMで流れる一番キャッチーなフレーズを除けば、じつは、大した構成も展開もなく、しつこくメインモチーフを繰り返すのみという飽きやすい演奏で、いつもA面の3曲目は飛ばしていた。

あと、B面はなんといっても《月》が秀逸で、「和」の要素の強いスケールを用いた、なんとなくワビ・サビを感じさせる世界は、なかなか魅力的だった。

というわけで、一時期、かなりハマりました。
すぐに飽きたけど(笑)。

しかし、今でも時折聴き返すと、腹いっぱいにはならないにしても、なかなかよく出来た優れたアルバムだとは思う。

私と同じ思いの人も多いことでしょう。

しかし、これを飲食店でかけるのはご法度ですよ(笑)。

雰囲気がカッチンコッチンになってしまうから。

吉祥寺にはかつて『A&F』というジャズ喫茶があったが、この店は、ピアノソロは一切かけなかった。

なぜなら、場が固まるから。
緊張感を強いられるから。

私がバイトをしていた四谷「いーぐる」でも、ソロ演奏は、そうちょくちょくかけてはならないという御触れ(?)があったように記憶している。

いうまでもなく、夜の時間はせっかく酒を飲みながらくつろぎにきているお客さんが会話を楽しめなくなるから。

これは、音楽がいいとか、悪いとか、そういう意味ではない。
要は、フォーマットの問題なのだ。

リー・コニッツやスティーヴ・レイシーのサックスソロほどではないが、やはりピアノという楽器1本のみの演奏というのは、必然的に耳をそばだてたくなってしまう内容。

リズムセクションとの協調関係がないゆえ、どうしてもゼロからすべてピアニスト一人が世界を構築しなければなならないことからも、聴き手に演奏者の“音楽時間”を強要してしまう構図になりやすい。

ましてや、ライブ演奏が終わり、次の演奏までのインターバルの間は、会話を楽しむ時間でもあり、また、オーダーをする時間でもあり、トイレに行く時間でもあり(笑)、つまるところ、演奏に集中していた気持ちを弛緩させるべき時間であるべきはず。

演奏者の方向に収斂していた視線と耳と意識が拡散すべき時間に、ソロピアノ、しかも、ひんやりとキンキンしたジョージ・ウィンストンの『オータム』は相応しくない。

それは、ジョージ・ウィンストンのピアノが良い・悪いという問題ではなく、これは実際、経験した者がいちばんよくわかるのだが、演奏に集中していたお客さんが、さらにまた観賞モードに入らざるを得ないような硬直した雰囲気が生まれてしまうからなのだ。

休憩時間なのに。

結果、声を出すのもはばかられるような雰囲気になり、店としてもドリンクのおかわりのオーダーが落ちる。

客にとっても、店にしてもイイことのない悪循環なのだ。

複数の楽器のアンサンブルがBGMであれば、会話もしやすく、会話内容もとくに近隣に聞こえないだろうという安心感もあるのだが、ひとつの楽器しかバックになっていないような状況での会話は、自分の発する声が妙に場から浮いて聞こえるという懸念が働き、多くの客は押し黙ってしまう。

「ビールおかわり」の一声も言えないような雰囲気で、次の演奏まで休憩!といっても、それって休憩じゃないだろう、と思う。

だから、私がインターバルの間にジョージ・ウィンストンの『オータム』がかかるたびに、
はぁ、硬質なピアノではなく、ゆるいギター聴きてぇ、といつも思ってしまう。

私がジョージ・ウィンストンの『オータム』がかかるたびに、真っ先に聴きたいと思うギターのアルバムは、グラント・グリーンの『ザ・ラテン・ビット』や、タイニー・グライムスの『スウィング・ヴィル』などがあげられる。

グラント・グリーンにしろ、タイニー・グライムスにしろ、いずれも、太く甘いトーン音でシングルトーンを奏でるギタリスト。

おまけに、リズムも包み込むようにやわらかく、華やぎを提供してくれるゴキゲンさがある。

これがかかれば、ライブ演奏で緊張していた空気がぱっと変わり、さらに次の演奏までの良い息抜きとなり、ネクストステージに向けての集中力のエネルギーチャージとなる。

内容が良いからって、それをそのままかけるのは客の心の変化をとらえていない愚の骨頂な選曲。

インターバルに流す音楽ひとつでも、ときとして、その店の音楽への理解や、音楽センス、ひいては営業センスが分かってしまうこともあるのだ。

もし、仮に、「熱い演奏のあとは、ピアノソロをかければ、いい雰囲気にまとまるだろう」と考えている飲食店の方がいらっしゃれば、それは逆効果。

客も疲れるうえに、オーダーが減る可能性もある、ということを是非覚えておこう。

記:2007/10/18

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