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ジャズと映画と本の日々:高野雲

椎名林檎とマイルス・デイヴィス

      2015/12/15

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machi

《月に負け犬》という曲は、椎名林檎の2枚目のアルバム『勝訴ストリップ』にはいっている人気曲だ。

この曲の歌詞自体、個人的には何も響いてくるものはないのだが、私の周りでは、

♪明日くたばるかも知れない・だから今すぐ振り絞る

というフレーズが好きな人が多いようだ。

「そんなんあたり前やん」という野暮な突っ込みはともかく、良い曲なことには間違いない。

前回のライブも、そして次回のライブもこの曲が演奏レパートリーに入っているので、ベースを弾きながらついつい色々なことを考えてしまうのだが、ベースを弾きながら思い浮かんだことをつらつらと書いてゆこうと思う。

まず、この曲のベースラインはなかなかユニークだ。

特にAメロのベースラインの譜割りが面白い。亀田誠二のベースが、歌とは違った場所で独立したメロディを奏でているようだ。

対位法のように歌と有機的に絡んでラインが動くということもなく、着かず離れずな感じがしつつも、しっかりとまとまって聞かせてしまうところがすごい。音から音への跳躍が激しいのと、グリスやハンマリングが多用されつつも、ベーシックなコード・トーンを、ほとんどハズさずに押さえているからなのだろう。

椎名林檎のバックで演奏されている楽器の編成はギタートリオだが、このサウンドの分厚さはどうだ!そして、3者3様、好き勝手に演奏しているようでいて、その実、まとまって聴こえてしまうというアンサンブルの妙!

何よりスゴイのが、ツワモノミュージシャンがバックで演奏しつつも、全くヒケを取らずに歌いきってしまう椎名林檎!

彼女の歌声には余裕すら感じる。

ここのところが、私がいつも感じている椎名林檎という歌い手のスゴイところ。

バックのベテランミュージシャンが真剣勝負で挑まないと、逆に押し返されてしまいそうな存在感がある。

ベースの亀田誠二は、矢野真紀というシンガーのプロデュースと、ライブではバックも務めている。椎名林檎と矢野真紀、両方のライブを見に行った人から聞いた話によると、矢野真紀のバックでベースを弾いている亀田誠二は終始笑顔のリラックスした雰囲気で演奏していたそうだが、椎名林檎のバックの亀田誠二はかなり真剣勝負な様相でベースをプレイをしていて、両方を見比べると、そのギャップが凄いとのこと。

私も林檎のライブや、ライブの模様を収録したDVDでベースを弾いている亀田誠二をチェックした限りでは、演奏に臨む姿勢は真剣そのもの。「挑む」といった意気込みでベースに取り組んでいる。「歌に伴奏をつける」といった、生やさしいものではなく、楽器隊が一丸となって「襲いかかる」といったニュアンスのほうが近いように感じる。

この関係、このサイトの別のコーナーにも書いたと思うが、緊密でテンションの高い演奏を生み出すマイルス・デイヴィスと、彼のグループのメンバーの関係に似ているのかもしれない。

極度の緊張と集中力が、一番良い状態で各々のプレイヤーの一番良い側面を引き出してしまうマジック。

やっている音楽は全く別モノなのだが、マイルスにも林檎にも楽器弾きをシャカリキにさせてしまう牽引力、ニュアンスはちょっと違うかもしれないが、カリスマ性のようなものは、たしかにあるのだと思う。

そういえば、マイルスは常にサウンドの中に「異物感」を求めていた。

自身のデリケートなトランペットと好対照なコルトレーンの起用。

ピアノのハンコックに「バター・ノート(=おいしい音・ベタなコードを暗示するような音)を弾くな」と命令した逸話。

『オン・ザ・コーナー』では、タブラとシタールといったインドの楽器の導入。

本来ならば、シンバル・レガートの美しいアル・フォスターに、かなり乱暴にシンバルを連打する8ビートを叩かせた『パンゲア』や『ダーク・メイガス』。

一見サウンドに溶け込みそうもない楽器や自分とは異なった資質を持つ楽器弾きの演奏をも包括して一つの独特な世界を構築してしまう力量。

ある意味、アクとアクのぶつかり合い。

アクの強いもの同士がぶつかり合うと、サウンドが崩壊してしまう危険性は充分あるのだが、どうやらマイルスも椎名林檎もプラスに左右してしまうことが多いようだ。

最近の椎名林檎だと、スカパラと共演した「真夜中は純血」。これなんか良い例だろう。林檎もスカパラもワン・アンド・オンリーの独自のテイストを持っている。つまり、アクが強い。

料理や調味料で考えてもらえれば分かるが、個性の強い素材や味がぶつかりあうほど、両方の良さや持ち味を殺しあってしまう危険性がある。しかし、《真夜中は純血》の場合は、両者のテイストを殺しあわずに、ぶつかり合いが良い意味で曲のエキサイティング度を高めている。

プレイヤーの個性以外にも、音色的な「衝突」も彼女の音楽を濃密でテンションの高まった仕上がりにすることに貢献しているのだと思う。

亀田誠二のベースは、「ヴードゥ・ベース」という、音色に歪みを与えるエフェクターを2台、直列に繋いでいるだけあって、かなりブゥーミーな音色でプレイされることが多い。

そして、プレイ自体も本人が「破廉恥ベース」と自称しているだけあって、ハンマリングや、グリスを多用した、うねりのある、アグレッシブなプレイが多い。

しかし、武装を強化したベースで、単位時間の中に、ありったけの音をブチ込むようなプレイをしても、ようやく彼女と対等に張り合える、といった具合。まさに完全武装で挑みかかるといった様相。

それだけ、彼女は強いのだ。

音量や音色といったレベルではなく。

声量があれば、また通る声色をしていれば、大暴れする楽器と張り合える、といったような問題ではない。

うまく言葉では言えないが、林檎自身の「存在の強さ」ゆえなのかもしれない。

マイルスも同様だ。彼のラッパは「ビッグ・トーン」というわけでもなく、むしろその逆で、デリケートで繊細なプレイを持ち味としている。ただし一音のニュアンスの込め方と、タイミングの良さは天才的なものを持っている。

しかし、靄が立つほど重厚なバック、そう、その濃密さに咽せかえってメマイがしてしまうほどの、グチャグチャしたチャンポン状態なサウンドの中でも彼のトーンは一貫して立っているし、そのサウンドは「マイルス・デイビス!」としか言いようのないテイストとサウンド・キャラクターを感じさせる。

椎名林檎とマイルス・デイビス。

ジャンルこそ違えど、「異物」同士の衝突が、かえって音楽を活性化させてしまうという不思議な触媒のような存在感と、その存在そのものに不思議な「強さ」を持っているミュージシャンといえよう。

現在、世の中に音楽が溢れまくっているが、どうでも良い音楽の洪水にドップリ浸かって、耳や感覚を麻痺させてしまうよりは、マイルス・デイビスや椎名林檎のような、表現、いやそれ以前に存在自体に力のある音楽家の音だけを聴いていれば良いんじゃないか、という気にすらなってしまう。

ちょっとした努力と、ちょっとした視点と切り口さえ変えれば、誰でも出来てしまいそうな気にさせる、微妙な差異の違いを楽しむのも良いのかもしれないが、時には自分の感性のレベルでは、どんなにあがいても到達出来ない遙か彼方から聞こえてくる、圧倒的にレベルの違う巨大な「表現のカタマリ」に身を委ね翻弄されることもまた楽し。

ただし、高圧な送電線の近くに、出力の弱いラジオを持って行くと、ショートしてぶっ壊れる可能性もあるので、注意が必要だ。

え?大丈夫?何も感じない?

な人は、もしかしたら、感性のスイッチをオフにしていませんか?

迷った時は、マイルス・デイビス、そして椎名林檎。

「毒」も強いが、得られる感動も、また、深い。

記:2001/08/30

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