カフェモンマルトル

text:高野雲

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韻を踏まない呂布カルマとモードジャズ

      2017/05/23

対 R指定戦

先日、4月18日に放映された『フリースタイルダンジョン』は、R指定(モンスター)と呂布カルマ(チャレンジャー)とのバトルでした。

呂布カルマは2人のモンスター(漢a.k.a.GAMIとT-T-Pablow)は倒したものの、次に登場したR指定には負けてしまいました。
しかし、彼の負けっぷりはなかなかカッコよかった。潔いというか。

審査員のいとうせいこうが仰るとおり「史実(歴史)に残るバトル」だったんじゃないでしょうか。

呂布カルマは試合には負けたものの、今回地上波でオンエアされた映像を通して名を上げたでしょうし、ファンも増えたことでしょう。



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韻を踏まないスタイル

さて、呂布カルマのラップのスタイル。

モンスターたちから「韻を踏まないラップ」ということでバトル中にディスられてしましたが、これが彼の持ち味というか独特のスタイルなんですね。

日本のヒップホップの定型スタイルからは外れているようですが、だからといって呂布カルマは「韻を踏めない」のではなく「韻を踏まない」だけ。

「韻を踏まない」スタイルへと己のスタイルを変遷させ、確立していたラッパーなのです。

以前は、バリバリに踏んでいましたから。

「韻を踏む」という、ある意味細かなテクニカルなことを捨て、むしろ対戦相手を冷静に観察し、的確な言葉で「急所を刺す!」。
これが現在の彼のスタイルになっていったのですね。

守破離

このスタイルの変遷は、ジャズマンのスタイルの変遷を想起させるものがあります。

ビ・バップ⇒ハードバップ⇒モードジャズ⇒フリージャズ

ジャズの入門書を紐解いたことがある人はお馴染みのジャズのスタイルの変遷ですね。

私の本にも、このスタイルの解説書いています(宣伝)w。

表現スタイルの変化は、今回の呂布カルマのスタイルの変遷からもわかるとおり、ジャンルを問わず、音楽、いや表現や芸術が辿る必然的な流れかもしれません。

絵画とかもそうですし。

最初は憧れの先輩のスタイルや、その時代でトレンドとされているスタイルを踏襲し、学習し、自己を磨く。

そして、ある程度研鑽を積み、自分自身のスタイル(オリジナリティ)を追求しはじめると、従来のスタイルから離れ、己のスタイルを試行錯誤をしながら確立してゆく。

まさに「守破離」。

呂布カルマは、正しく表現者としての道を歩み己のスタイルを進化させていったのでしょう。

また、彼は芸大卒ですから、やはり「表現」とはなにか、「オリジナリティ」とは何かということは、他のジャパニーズ・ヒップホップのラッパーたちよりは深く真剣に考え、追求しつづけていたに違いありません。

バップからモードへ

モダンジャズにおいても、50年代のサックス奏者の多くは、チャーリー・パーカーのスタイルのコピーから出発して己のスタイルを確立していきました。

ピアノだとバド・パウエルが範になりました。

「パーカー派」や「パウエル派」という言葉があるのは、そのためですね。

偉大なるイノベーターである先人のスタイルを学習し、自在に操れるようになってから、少しずつ自分のスタイルを確立させてゆくためには、なにもジャズに限らず、芸術、表現の世界においては誰もが辿る道なのでしょう。

呂布カルマもまさにその道を歩んでいるといえましょう。

ジャズのビ・バップの表現手法は、細かく変わってゆくコード進行にのっとり、その場その場で高速演算処理的に即興演奏を繰り広げていました。

そのためには高度な学理的な知識と、それを具現化させるだけのスキルが必要で、かなりの鍛錬が必要だったことはいうまでもありません。

しかし、コード進行を分解してフレーズ(メロディ)を組み立てるスタイルも、しだいに限界が訪れます。

聴いたことがあるようなフレーズ、メロディになっていくのです。

また、出てくるフレーズもマンネリ化の一途をたどる危険性がある。

なにしろ、彼らジャズマンは夜な夜なジャズクラブで演奏を繰り広げていたわけですから、無自覚なジャズマンは今のスタイルに磨きをかけていけば良いと考えていたのでしょうが、進歩的なジャズマンは「このままでいいのだろうか、このスタイルのままで自分は一生を終えてしまうのだろうか?」という危機意識を持っていたのかもしれません。

そんなところに登場したのが、モードジャズ。
マイルス・デイヴィスの『マイルストーンズ』や『カインド・オブ・ブルー』などのアルバムが、その先駆けです。

>>マイルストーンズ/マイルス・デイヴィス
>>カインド・オブ・ブルー/マイルス・デイヴィス

コード進行はビ・バップ(ハードバップ)とは対極におそろしくシンプルになりました。
そのぶん、コード進行の呪縛にとらわれることなく、自由にメロディを紡いでいくことが可能となりました。

もっとも、自由度が増した半面、演奏者に求められるセンスの比重も大きくなりましたが。
たとえば、ウェイン・ショーターのような卓越したメロディックセンスを有しているテナーサックス奏者が活躍できたのは、モードジャズあってこそでしょうね。

>>ジュジュ/ウェイン・ショーター

モードジャズについては、キャノンボール・アダレイのアルバム紹介の記事にも書きましたので、そちらのほうを参考にしてください。

>>ニッポン・ソウル/キャノンボール・アダレイ

表現はルールと制約を壊し進化してゆく

コード進行の呪縛から、即興演奏が飛躍的に自由になったモード奏法。
さらに自由度が増したフリージャズ。

同様に、韻を踏むスタイルから、パンチラインの重視、そして「韻」という呪縛から解放された「韻を踏まない」スタイル。

ジャズの変遷を追いかけていると、ジャパニーズラップの変遷も相似形に見えてしまいます(スケールは小さいけど)。

もちろん、現在の価値に固執し、伝統的に良しとされているスタイルを磨いてゆくタイプの表現者も少なくないでしょうし、そのような表現者も必要でしょう。
否定はしません。
私だって、モードジャズには見向きもしなかったピアニスト、レッド・ガーランドなんか大好きですから。

つまり、表現者には、いつの時代も2種類のタイプがいるということなんでしょうね。

音楽に限らず絵画にも言えることかもしれませんが、「表現の進化の歴史」というのは、いつの間にか成立してしまっていた約束事や制約を取り払い、新しい価値を創造する行為の連続なのでしょう。

記:2017/04/20

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