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ジャズと映画とプラモの日々:高野雲

スムーチー/坂本龍一

      2018/02/23

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SMOOCHY

1995年の作品

1995年といえば、年明け直後に関西を襲った「阪神・淡路大震災」と、オウム真理教の「地下鉄サリン事件」が真っ先に思い浮かぶが、この年の秋に発売された教授のアルバムが『スムーチー』だ。

いま振り返れば、1995年という年は、かなり混迷の時代だったといえるが、その時代の様相と相似形をなずかのように、アルバム『スムーチー』も、「迷走」とまではいかないにせよ、教授の中で、「歌」「メロディ」「ポップス」というキーワードを、どう自らの音楽に結実させるかという迷いのようなものを感じる。

前作の『スウィート・リヴェンジ』もそうだったが、エッジが取れ、マイルドになり、自身の歌を前面的に押し出し、ポップ路線を狙ったつもりが、なんというか、一言でいえば、必ずしも功を奏してない。

空回りしている印象がどうしても拭いきれないのだ。



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散漫な印象

これも『スウィート・リヴェンジ』同様のことだが、どうしてもアルバムの楽曲の中の印象が散漫に感じてしまう。

『B-2 unit』、『左うでの夢』、『未来派野郎』、『エスペラント』など、強力なコンセプトがあり、そのコンセプトが各楽曲の求心力となっている上記諸作品は、もちろんアルバムの中では今一つな曲があったにせよ、アルバム独特の磁力を帯びていて、流れの中で聴くことが出来た。

また、その逆の『音楽図鑑』のように特にコンセプトを決めずに様々な楽曲を缶詰のように詰め込んだ作品であっても、そのアルバムが持つ統一された「気分」をどの曲も帯びていたため、結果的にすべての曲が統一感のある出来ばえとなっていた。

しかし、『スムーチー』の場合には、それが希薄で、どうも散漫な印象を受けてしまう。

自らの歌を前面に押し出そうとした結果、その皺寄せがさまざまなところに波及し、アルバムとしての強度がずいぶんと薄まっていると感じるのだ。

光る2曲

しかし、もちろん個々の曲には素晴らしいものもある。

たとえば、《美貌の青空》、そして《青猫のトルソ》。

《美貌の青空》は、『バベル』のラストにも使われたヴォーカル無しのアコースティックバージョンのほうが断然良いと思うが、その原曲も、もちろん悪くはない。

特に、遠くのほうから聞こえてくる金属のパーカッションのような「コーン!」という硬い音は、なかなか教授っぽいといえば教授っぽい。

しかも、この響き、この流れ、どこかで聴いたことがあるなと思ったら、《フォトムジーク》に限りなく近い。
この曲は、かつて教授がDJを担っていたNHKのFM番組『サウンドストリート』のテーマ曲だったナンバーだ。

そして、《青猫のトルソ》は、近代フランス的というか、サティ的というか。
サティが持つテイストを、さらに現代風かつポップスな成分も微量にまぶし、非常に耳ざわりの良い響きと旋律に落とし込んでいる。

短いナンバーではあるが、もう少し長く聴き続けたいとも思うが、逆にこれくらいの軽い飢餓感を覚える程度の長さのほうが良かったのかもしれない。

この2曲があるからこそ、個人的にはこのアルバムのこと「駄盤」だとは切り捨てられないんだよなぁ。

記:2012/03/18

収録曲

SMOOCHY (FOR LIFE)
- 坂本龍一

1.美貌の青空(Original)
2.愛してる,愛してない
3.BRING THEM HOME
4.青猫のトルソ
5.TANGO
6.INSENSATEZ
7.POESIA
8.電脳戯話
9.HEMISPHERE
10.真夏の夜の穴
11.RIO
12.A DAY IN THE PARK

Release:1995/10/20

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