カフェモンマルトル

ジャズと映画と本の日々:高野雲

世界はこのまま 何も変わらない 君がいなければ

      2016/01/31

Pocket

central_park

朝から、サンデイ・モーニング・ブルー。

……いや、今日はサタデイなんだけどね。

佐野元春の《サンデイ・モーニング・ブルー》などを聴きながらシゴトに向かっていた私なのであります。

これは、『VISITORS』というアルバムに収録された、アルバムの中でもひときわ輝きを放つリアリスティックかつ叙情的な歌。

『VISITORS』が発売された当時は、ファンの間で、ものすごく賛否両論が交わされました。

佐野元春というミュージシャンは、桑田佳祐や、山下達郎と同様、洋楽の“邦訳”を器用にこなしていた当時、ニューミュージック(死語)と呼ばれていた音楽ジャンルの旗手の一人でした。

サザンの桑田同様、“邦訳”どころか、もうほとんどコピーといっても良いほど洋楽の直輸入の曲もあるほど(クワタのいとしのエリー、佐野のバルセロナの夜ほか)で、原曲を知らない、多くの日本人の琴線を刺激し、多くのファンを獲得していました。

彼らの“邦訳”の手法の妙は、主にリズムやアレンジのアプローチが、“直輸入”であることに対し、メロディはオリジナルの“まんま”な箇所も散見されるにせよ、どちらかというと、リズム=洋、旋律=和 なところが多いこと。

だからこそ、親しみやすさと、(当時の日本人にとっての)新しさが絶妙にブレンドされ、歌謡曲とは一線を画した、微妙に新進的な“気分”をもかもし出し、当時の多くのリスナーの心を捉えていたのかもしれません。

《ガラスのジェネレーション》で、新進的ポップスの位置づけを獲得した元春の場合、彼のキャリアにおいて初期のその頂点が、おそらくは《サムデイ》だった。

だから、「サムデイ=元春」 のイメージな人にとっては、『VISITORS』の出現は、あらゆる意味でショックだったと思います。

まるで、YMOといえばテクノポリスやライディーンな人が、『BGM』が出たときに拒絶反応をおこしたように。

つまり、いままでの親しみやすく、口ずさみやすい元春ならではのメロディアスさがバッサリと削ぎ落とされていたのですね。

当時(80年代初頭)、1年間ニューヨークに渡った元春は、急激な勢いで変遷を遂げるシーンの中心のど真ん中で、強烈な音楽体験をしたのだと思います。当時台頭しつつあった、ヒップホップ(=ラップ)、ファンクの要素がとくに、彼のマインドを叩くように刺激したに違いない。

だから、ニューヨークでの強烈な音体験が、そのまま音になり、アルバムとなった。それが『VISITORS』だったのです。

いままでの“邦訳”は、酒でいえば、いわばカクテルのようなもの。つまり、お客さんの好みにあわせて、お酒にジュースをまぜたりして、口当たりよくして出していたわけですね。

しかし、『VISITORS』の音楽は、原酒。

混ぜ物なしで、彼がニューヨークで吸収したものを、そのまま吐き出したような荒々しさがある。

口当たりの良い、砂糖やジュースの要素が薄まっているのです。

メロディアスな要素が廃され、奇妙な日本語ラップともいえるような、叩きつけるようなヴォーカル。

無機質なビートに、幾重にも重ね録りされたピアノ、あるいはギターのバッキングは、シンプルで原始的な手法ながらも、1回の録音だけでは決して出せない太さとアタック感を得、強烈なエモーショナルさを放っていました。

私の周りの元春好きは「元春は終わったな」と、『VISITORS』に眉をひそめる人が大多数でした。

いっぽう、私を含め、クラスに1人か2人いたYMO好きな連中は、刺激的な音にいちはやく反応し、好意的に受け止めました。

きっと、このへんで分かれちゃうんでしょうかねぇ、あくまでメロディで音楽を捉える人と、メロディももちろん好きだけれども、それ以上に刺激的なサウンドや、リズムに反応しちゃう人。

それと、私のように、「現在レベルの自分の感性では捉えきれないモノに好奇心がむらむらと沸きおこる」タイプの人。

「今の自分に分からないからこそ、もっと知りたい」と思う人。

カッコ良く言わせてもらうと、「耳の冒険者」(笑)。
ロマンチックに言うと、「恋の冒険者」(笑)。

だって、恋ってミステリアスな要素、相手に謎な部分があるからこそ、悩むし、知りたいし、四六時中相手のことで頭がいっぱいになるわけでしょ?

相手といっしょにいたい、時間を共有したいのは、心地よさもあるけれども、それ以上に、「もっともっと相手のことを知りたい」という感情が強いからじゃないのかな。

恋のドキドキ感、ワクワク感は、私の場合、それがそのまま対象が音楽にもなるのです。

「あなたのこと、もっと知りたい」

この思いが、後年、ジャズの探求に向けられていったんでしょうねぇ、今思えば。

「わけわかんねぇなぁ。だから、ジャズちゃんのこと、もっと知りたい!もっと一緒にいさせて!」ってね(笑)。

未知なことにドキドキ・ワクワクし、同時に耳に刺激を求めてやまない私にとっては、『VISITORS』の登場は、とても歓迎すべきことでした。

シンプルでスリムなサウンドが第一印象でしたが、聴けば聴くほど、さまざまな音が詰め込まれている。

とくに、執拗ともいえるほどの、ヴォーカル、ギター、ピアノの重ね録りは、先述したように、洗練さとは対極の無骨かつ不器用な手法ながらも、音の骨太さと、サウンドに求心力を付与し、元春独特の言葉の言い回しに強く生命力を与えていました。

彼独特の感覚言語。デビュー時より元春が昔から得意としていた、まるで短い言葉のフラグメンツともいえる、棒を切ったような一見投げやりとも思える情景描写。

この情景と情景の行間を埋め、行間を補うのが、聴き手の想像力であり、本当の物語をつむぎだすのは、じつは送り手の元春ではなく、受け手であるリスナー。

“語り部”としての歌うたいの役割の半分を放棄し、素材提供者としての役割を強めたかわりに、しっかりと受け手が物語を構築するだけの素材とヒントを言葉とサウンドで提供する。

このような、送り手と受け手の共犯関係を築き上げる彼独特の作詞と作曲の方法は、特に、『VISITORS』で顕著でした。

つまり、『VISITORS』は、サウンドの新しさだけではなく、それにピッタリとマッチした作詞の手法ももっと評価されるべきなのです。

おそらく、彼自身もこのことには自覚的だったと思われ、それは、アルバムタイトル曲 《ビジターズ》のサビの、

♪This is the story about you (これは君についての物語だ)

のフレーズに象徴されているんじゃないかと思います。

アルバム冒頭で、「ニューヨークな気分」を聴き手にたたみ掛けるように提供し、アルバムの「気分」の下地作りをする《コンプリケーション・シェイク・ダウン》と《トゥナイト》は、16ビートと典型的8ビート、非メロディアスとメロディアス、情景描写と物語と、あらゆる面で趣きを異にする曲ですが、不思議と違和感なく溶け合っています。

この2曲のサウンドメイキング、いやそれ以上に歌詞作りが秀逸なのですが、やはり、このアルバム中、傑出しているのは、やはり《サンデイ・モーニング・ブルー》でしょう。

♪やがてこの街に 冬が訪れる 君がいなくても

♪世界はこのまま 何も変わらない 君がいなければ

サビの箇所にあらわれる、この元春の“語り”の中の主人公、“君”。

この歌の中の「君」はジョン・レノンだ説を打ち出していた人もいましたが、もちろん、君の正体は、ジョンでも、恋人でも、友人でも、ペットでも、成海璃子(笑)でもいいわけで、どの「君」を代入しても、聴き手の頭の中で物語を構築出来、なおかつ、背筋がゾクッとくるような感動におそわれる構造が見事。

そして、印象的な「君がいなければ(いなくても)」が放たれた直後のギターソロは、“衝撃的に飛んだ転調”で奏でられ、かえって、「君がいなければ(いなくても)」を強烈に聴き手の脳裏に定着させる効果を有しているのです。

『VISITORS』は、サウンドのみならず、サウンドと切っても切り離せないほどに同化した歌詞までもが、一見、荒削り&未完成感を装いながらも、じつは、すべてにおいてバランスよく完成され、完結したひとつの世界を形作っているアルバムなのです。

良い曲、素晴らしい曲がはいっているアルバムは、他にもたくさんあります(私は『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』が好き)。

しかし、強烈に完結した世界観をパッキングされているアルバムは元春のアルバムの中では、唯一『VISITORS』だけなのです。

だから、音の衝撃性はさすがに今となっては薄れてはいても、何度でも聞き返せるだけの深さがこのアルバムにはあるのです。

で、たまたま今日、土曜日の朝は、《サンデイ・モーニング・ブルー》だったわけです。 朝っぱらからため息をついて、曇り空を見上げている私は、物憂げなこの曲の主人公気分です(笑)。


記:2007/05/19

 - 音楽 , ,

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。