カフェモンマルトル

text:高野雲

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テレキャスター

      2016/03/26

DonGrosh NOS Vintage T / Vintage Natural テレキャスタータイプ (ドングロッシュ)DonGrosh NOS Vintage T / Vintage Natural テレキャスタータイプ

先日、着物に凝っている女性と寿司を喰いにいった。

待ち合わせ場所は、本屋さん。

私は音楽雑誌のコーナーで、ジャズや楽器関係の本を立ち読みして待っていた。

少しだけ遅れてやってきた彼女は『BUZZ』という雑誌を手に取り、ページをパラパラとめくる なり「お~、カッコいい!」と感嘆の声をあげた。

ニューアルバム『加爾基 精液 栗ノ花』の発売に合わせた椎名林檎特集のこの雑誌、林檎の様々なフォトがグラビアに載っていたのだが、その中の一枚の写真に目が釘付けになっていた。

紫の帯の黒い着物姿に、赤いテレキャスを持っている椎名林檎。

私もその写真を見て、「うへぇ、かっこいい!」と叫んだ。

しかし、どうやら彼女と私が「かっこいい!」と感じたポイントが違っていたようだ。

着物に凝っている彼女は、椎名林檎の着物に。

私は、林檎が持っている赤いテレキャスターに。

そう、私はギターを見るのが大好きなのだ。弾けないけど。

ベースやトランペット、サックスやバイオリンの形に魅力を感じるのとまったく同じ理由で、ギターの形そのものに魅力を感じているだ。

アコースティックギターのシンプルな構造と美しいボディのシェイプが好きだ。

だから、私は友人からライブのギャラがわりに貰ったヤマハのオレンジ・モデルを書斎 に飾り、暇な時にじーっと眺めてうっとりしている。

もっとも眺めるだけでは勿体ないので、いつか練習しようとは思っているのだが……。

アコースティック・ギターも好きだが、エレキ・ギターの形そのものが好きで、重厚さと微妙なボディの曲線がそそる肉厚なレスポールも私が好きなギターの一つだ。

スマートなストラトキャスターには不思議と何の魅力も感じないのだが、同じフェンダー製のギターだと、ジャズマスターやテレキャスターの形に惹かれる。

特に、テレキャスターは、私の最も好きなギターと言っても良い。

形がすごくシンプル。そして、無駄が無い。

いくら眺めても、飽きることがまったく無い。

テレキャスターは持っていないので、フェンダーのカタログなどを折に触れては眺めてうっとりしている私は、相当な“テレキャスの形フェチ”なのだと思う。

カタログだけでは飽き足らず、先日、ヴィンテージ・ギター編集部が出した文庫 『前略、テレキャスター様』という本も買って読んだ(眺めた)ほどだ。

この本は、中々良い作りになっていて、テレキャスの様々な年代別のモデルを豊富な写真入りで紹介しているのと同時に、ストーンズのキース・リチャーズのステージ写真や、鈴木慶一、徳永弘文、向井秀徳、TAKUYA、岸田繁などのテレキャスを弾いているギタリストのインタビューが掲載されているので、写真を眺めるだけではなく、テレキャス愛好家の生の声も楽しめる内容となっている。

一様に語られていることは、テレキャスは“弾きこなすのが難しいギター”なのだということ。

力量がばれる、音に弾き手の生き様が出てしまう、気持ちを込めて弾かないとすぐに音に現れてしまう。

こういったことを多くのギタリストが語っていて、なるほどと思うと同時に、ますますテレキャスって魅力的なギターだなぁと思った。

弾き手に媚びない。むしろ弾き手のほうが、テレキャスに合わせて自分自身をカスタマイズしてゆかねばならない。

弾きこなすのは難しいギター。

音色のバリエーションも少ないギター。

ゆえに、弾き手は練習するし、様々な創意工夫を凝らす。結果的に上達する。

生半可な気持ちでテレキャスに取り組んでいる人の音は目も当てられない(耳もあてられない?)のかもしれないが、かわりにテレキャスを弾きこなすギタリストには上手い人が多い。

このようなことも語られていて、ますます私はテレキャスというギターが好きになった。

私自身の考えだが、良い楽器になればなるほど、強い個性を持っているし、その強い個性が良い楽器たるゆえんだと思っている。

個性が強いということは、万人向けではなく、人によって向き不向きがあるということだ。

良いことではないか。

この個性の強さを御すも良し、乗りこなすも良し。そういう楽器との付き合いを経てミュージシャンはオリジナリティを獲得してゆくものだと思う。

これは、まったくファッションにも当て嵌まることだと思う。

極端な例だが、たとえばユニクロと、シャネルやエルメスのようなブランドの違いは、高いか安いかではない(それもあるが)。

強い個性があるか無いか、万人向けかそうでないかに尽きる。

万人向けで、誰が着てもそこそこ似合っているように見せてしまうユニクロの服と、着こなすにはセンスと品性が必要なシャネル。

お金にものを言わせてたくさん身につければ身につけるほど、かえって貧相に見えてしまう芸能人もいるぐらい、シャネルのような一流ブランドは着こなすのが難しい。

服のほうが着る人間を選ぶからだ。

着たいと思った人は、服に合った自分を作ってゆかねばならない。さもなくば服に着られるという情けない事態に陥ってしまう。

テレキャスもまったく同じではないか。

万人が手軽にプレイを楽しめるギターではないかわりに、弾きこなす楽しみがありそうだ。

ゆっくりと時間をかけて、自分のものにしてゆく楽しみ。

弾き手は一生懸命センスを磨いて、たくさん練習して、気がつくと手ごわいはずだったテレキャスが自分の身体の一部になっている。そのような付き合い方をしているテレキャス弾きのことを私は羨ましいと思う。

そういえば、私の周囲には、テレキャスをメインに弾いているギタリストはいないな。

前身のブロードキャスターというモデルを経て、51年にテレキャスターモデルが発売されてから早50年。

以来、細かなモデルチェンジはあったにせよ、基本的な形や作りが変わっていない点、そしてテレキャスターを愛用するギタリストが後を絶たないということから考えても、すでに「エレキ・ギターの原点でありながらも既に完成形」だったのだということが伺える。

完成形といってもプレイヤビリティの点ではない。 あの独特の「シャキーン!」とした音色。そして弾き手の姿を鏡のように映し出す、なんとも人間臭い正直な楽器といった意味での完成度だ。

ああ、なんだかテレキャス欲しくなってきたな。

記:2003/03/01
 

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