椎名林檎の「罪と罰」

   

gardshita

先日(1/25)発売された椎名林檎のマキシシングル2枚、『ギブス』と『罪と罰』。

ジャケットはそれぞれ、『ギブス』ではナイフを、『罪と罰』では日本刀を林檎は持っている。


いずれのジャケットにも刃物が登場するのが何やら暗示的でいくらでも深読みが出来そうだが、どのような意味があるにせよ無いにせよ、私にはあまり興味の無いことだ。

興味があるのはあくまでサウンド。

そしてそのサウンドだが、一聴した感想。

「またしてもやってくれた。」

前作の『本能』は良かった。とても気に入っている。特にタイトル曲以外の2曲が素晴らしい。

アルバム『無罪モラトリアム』も素晴らしいアルバムで、聴く頻度の最も高いアルバムの一つだ。

『歌舞伎町の女王』、『ここでキスして』、『幸福論』、いずれのマキシシングルも完成度の高いサウンドで、何度聴いても飽きない魅力を持っている。

しかし今回の『罪と罰』を聴いてしまうと、これら一連の作品は『罪と罰』のための何やら軽い準備運動にすら聴こえてしまう。

以前このコーナーの別項では林檎の世界を「ドロドロマグマ」的なことを書いたが、今まで自分が感じた林檎に対する世界観すら全て無効になってしまうほどの深さを感じてしまう。

とにかく《罪と罰》はヘビーだ。

サウンドは重心をグッと落として、重く、低く、トグロを巻いている。喉を絞りきって歌う林檎は痛々しいほどにリアル。歌詞も冗談じゃないほどに真剣だ。

曲全体からは目眩がするほどものすごいウネリを感じる。

しかし正直に告白すると、『罪と罰』は発売前から何度も何度も聴く機会があったにも関わらず、なかなか曲の深さに気が付かなかった。恥ずかしい話だが、なかなかピンと来なかった。

発売前からプロモーションビデオは流れていたし、カラオケの新曲にも入っていた。バンドのメンバーからも「イイ曲だからやろう」と言われていたし、このページの掲示版にも「良いので是非聴いてくれ」という書き込みもあった。それにもかかわらず、個人的には「そんなにいいのかなー?」と思っていたのが正直なところだった。

曲のスケールが大きいためか、《罪と罰》の全体像をなかなか把握しきれなかったのだと思う。

店の中や雑踏のノイズにまみれた中で聴いているだけでは、曲の骨格が届かなかったのかもしれない。

購入後、腰を据えて大ボリュームで再生してようやくこの曲の持つパワーを全身で感じることが出来た。

静かに「よし、聴くぞ」と覚悟を決め、真剣に対峙した結果(ちょっと大袈裟か)ようやく曲全体が全身に染みてきた。自分の中で消化するまでには随分時間がかかったなー、と思いつつ今ではすっかりこの曲の虜だ。

曲の一音目からどっぷり林檎の世界引きずってくれる。

3連のリズムパターンが心地よい。

どっしりと腰の据わったベースが「ベース馬鹿心」をくすぐる。

歯笛がいい。

メリハリの利いた展開に唸る。

林檎の歌唱力・表現力が一段とスケールアップしている。

ラスト部は得意の「1度上がり」の転調があるのにもニヤリとさせられる。

良いと感じたところを上げればキリがないが、やはり私がグッときたのは全体から漂う「本気感」なのだと思う。

別に命は削ってないだろうが、曲にかける熱意のようなものがヒシヒシと痛いほど伝わってくる。

それに加えて林檎の歌の表現力のアップ。

赤裸々度が増して、「本能」がより一層剥き出しになっている。

「女の愛ゆえのエゴ」を綴った歌詞を赤裸々パワー全開で歌われてしまえば、これ以上の説得力はない。

重いサウンドに、説得力のあるボーカル。

非常に精神的なカロリー消費量の高い曲と演奏だ。真剣に大音量で対峙するとグッタリとしてしまうほどだ。

だから、新譜を出すごとにパワーアップしている林檎が3月に出すアルバム、非常に楽しみなのと同時に、恐らく10曲近くは収録されるだろう曲全てに、まともに向き合えるエネルギーが自分にあるのかどうかを考えると、ちょっと不安にもなってしまうのだった。

記:2000/02/03

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