中山康樹『かんちがい音楽評論』~活字世代とネット世代の価値感・行動様式の違いが浮き彫りになった本

   

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クタびれた状態の新刊を書店で購入

先日、中山康樹さんの新刊『かんちがい音楽評論(JAZZ編)』(彩流社)を読み終えました。

かんちがい音楽評論[JAZZ編]

最初はネットで注文をしたのですが、到着が遅くなる旨の連絡があったため、近所の書店で購入し、一気に読み終えました。

この手の本(?)は刷り部数が少ないと思うんですよね。

おそらくは書店への配本も大型書店や、ニッチな属性な客層がついている書店以外への配本はゼロ、あるいは数冊程度であろうことは容易に想像できます。

よって、あらかじめ書店に電話をして在庫確認をした上で、取り置きをお願いしてから受け取りに行きました。

書店のサービスカウンター内にストックされていた商品は、店頭在庫をカウンター内に持ってきてキープされたものなんでしょうね。

けっこうクタビレていました。

立ち読みされたであろう痕跡がところどころにあります。

カバーから第1章の終わりまでは、微妙にページが折れ曲がっており、それとリンクするかのように表紙の厚紙にはうすい折れ線がついており、さらに「あとがき」にはページの隅が三角に折られていました。

おまけに、楽天ブックスで見た商品画像はオビ付きだったはずなのですが、取り置きされていた本にはオビはついていません。

私はべつに買う本の見てくれに神経質なほどのコダワリを持つ人間ではないのですが、それでも、発売したての新刊は、もっとシャキっとした状態で出来れば購入したいものです。

お店の人に、「在庫はこの一冊だけですか?」と尋ねると「はい、この一冊だけです」とのことなので、ま、いいや、どうせ本は読んでいくうちに傷んでいくものだし、早く読んでしまいたいという欲求も強かったので、そのまま購入し近所の喫茶店で読みました。

しごく真っ当な主張

それほどボリュームのある本ではないので、いっきに読めました。

煙草三本分のブレイクがあれば、読めてしまう分量ですね。

まず最初に感じたことは、当初予想していたほど「辛口」でも「過激」な内容でもなく、しごく真っ当な主張に貫かれている内容だということですね。

「しごく真っ当」というのは、「おお、なるほど!」と膝を打つような「目ウロコ」な主張は特になく、「言われてみれば、たしかにそのとおりですね」ぐらいな軽いニュアンスで納得させてくれるジャブが本書の最後まで続くといった感じ。

最後まで「おお、そうかっ!」な右ストレートはついぞきませんでした(笑)。

また、「辛口」「過激」な内容を事前に予想していたのは、ジャズ喫茶「いーぐる」のマスター後藤さんが、
お店の掲示板「いーぐる note」(こちら)に、

怖わーい本です。すべてのジャズ関係者は心して読むように。『最後のジャズ評論家』がダラケきったジャズ界に愛のムチを振るった魂の本です。一気に読めます。面白い。ディープな話題満載。これ以上ここでは書けません。ジャズファンは全員書店へ走れ!

と書かれていた紹介(煽り?)文を読んだために生じた先入観のためです。

業界向けの内容

上記紹介文からもわかるとおり、この本は、業界向けに書かれた本です。

「音楽評論」ではなく、「音楽評論評論」のおもむきが強いので、純粋に音楽を楽しみたい人や、ジャズの名盤や聴きどころを知りたい人、ジャズのデータ的なことやジャズマンのエピソードなどを知りたい人に向けて書かれた本ではありません。

また、ジャズという音楽の「音」について書かれた本ではなく、ジャズ業界内の人やメディアの「姿勢」や「現状」に関して言及した本なので、ニッポンのジャズギョーカイについて関心ない人が読んでも「はい、そーなんですか、大変なんですね」で終わってしまうことでしょう。

なかには「呆れたもんだ!」と憤りを感じる人も出てくるかもしれませんが、憤るよりも「はぁぁ」と溜め息&脱力状態に陥るケースのほうが多いのではないでしょうか。

つまりは、ギョーカイ向けに書かれたギョーカイ本なわけで、乱暴に言ってしまえば、
面倒くさい人による、
面倒臭いギョーカイと、
面倒臭い人たちについて書かれた本
といえなくもありません(笑)。

現状開示と問題提起

ただ、愚痴や批判のオンパレード本と捉える向きもありますが、私はそれだけには感じませんでしたね。

キース・リチャーズの言葉の引用などは、本来の音楽における批評とはなにかという本質的な問題をつきつけるに十分な内容でしたし、『M/D』の致命的な誤記に関する記述も、単なる菊池成孔批判というよりは、その奥に広がる日本の音楽業界の質の低下を示す一端なのでしょう。

また夜ジャズで有名なDJ・須永辰緒氏を引き合いに出すあたりも、いかに日本のジャズ評論がつまらぬものに成り果てているかを端的に示すに十分でした。

そういった意味では、幾多の事例やエピソードを交えて語られている本書は、現状認識においては一応「こういう時代なんですね、今は」と感じられるだけの材料は十分に散りばめられているといっても良いでしょう。

この本では前向きな提言のようなものは特になされてはいませんでしたが、本書執筆の意図は現状開示と問題提起。

あとは読者各々が考えるということなのでしょう。

活字とネットの齟齬

ところで、著者の中山さんの本来の意図とは違う読み方なのでしょうが、私がこの本を読んで改めて感じたことは、時代やメディアの変遷による人の意識や行動の変容についてですね。

⇒レコード時代 / CD時代 / ダウンロード時代

⇒ジャズ雑誌全盛期 / 衰退期

⇒ネット登場前(活字情報中心時代) / ネット登場以後

⇒ブログ登場前 / 登場後

⇒ツイッター登場前 / 登場後

とでは、人々(送り手・受け手ともに)の行動と、それに伴う意識は必ずしも同一ではないということを改めて再確認することができるのです。

ですので、単に品性やモラル、リテラシー、ミュージシャンや評論家としてのあり方を云々したり、現状を憂うという表面的な記述の裏にひそむ、どうしようもない齟齬のようなものを感じました。

そう、齟齬ですね。

べつだんこの本で俎上に載せられた方々を擁護するつもりはないのですが、中山さんからは「勘違い」にうつる人たちも、私からみると両者間に生じているものは、拠り所とする器(メディア)の違いから生ずる意識と行動様式(習性ともいえるかも)の差異と、不協和音なのですね。

私は、やっぱり中山さんは「活字の人」なのだと思う。

(活字の人=古い人 という意味ではないですよ)

だから、ミュージシャン発信のツイッターに関しての言及からはじまる本書の基調をなすトーンは、活字を主軸にすえて仕事をする人の価値感と、ネットを当たり前のように活用している人々の価値感の衝突と受けとることも可能なのです。

主軸に置くメディアの相違

かつてはジャズ雑誌の編集者(編集長)であり、今でも書籍を情報発信の基軸とした活動される中山さん(=活字の人)だからこそ感じるであろう違和感が、特にツイッターやブログなどの双方向性指向の強いネット時代のミュージシャンとの価値感、行動様式に向けられているところが興味深いですね。

ありていに言えば、世代による価値感の相違なのかもしれませんが、それよりも、各々が主軸に置くメディアの違いから生ずる意識のズレが、かえって中山さんを「活字の人」と定義することにより、かえって生々しくリアルに浮き彫りになってくるのですね。

特に、大西順子さん、菊地成孔さんに関しての記述に関してはそれを強く感じました。

これって、単に音楽家としてのあり方やミュージシャンシップ云々で片付けられる問題でもないと思うんですよ。

なので、深読みすれば、音楽の送り手と受け手の関係性を問うた社会学的な内容も孕んだ内容ともいえ、私はどちらかといえば、このような目線で読むことで、より一層この本を面白く読むことが出来るのではないかと思うのです。

企画者、編集者、書き手としての中山さんの「姿勢」のみに言及し、鬼の首を取ったかのごとく重箱の隅を云々する浅薄な評も見受けられますが、それだけの目線ではこの本の半分も楽しめないと思いますし、すでに読む前から先入観で心が曇っている状態では、中山さんの言わんとしていることが頭の中にはいってきようもありません。

大学のテキストにもなる?

ところでこの本、大学の商学部や経営学部におけるマーケティング論や、広告論のテキストとして使えないかな? とも思っています。

学生にこの本を読ませ、レポートを書かすの。

おそらくほとんどの学生は、昨今のジャズ業界の現状なんて知らないだろうから、まずは「日本の“ジャズ業界”という衰退の一途を辿る業界」の現状を要約させ、その現状に対し、
「では、あなたなら、どのような打開策を打ち出しますか?」
というテーマでレポートを書かせるの。

問題点の洗い出しと、解決策の考案は今も昔も社会人には必須の能力ですし、それを鍛えるテキストにもなるのでは?と。

そうすれば、本も売れるし(笑)、もし興味深い提案が出てきたら一石二鳥じゃないですか。

kirakira  押忍!! レポート書きますっ!

それに、若い子が「レポート書き」をキッカケにJAZZに興味をもってくれれば、それは、とても嬉しいことですよね。

いずれにしても、学生たちは将来は就職するわけですし、その就職先は必ずしも順風満帆な業種、業界とも限らないわけですからね。

もしそうなったときのために、若い人ならではの知恵をしぼる訓練を学生時代から積むことは決してムダなことではないと思う。

ジャズ業界の常識やしがらみなどにいつしかガンジガラメになってしまい、硬直した思考しか生み出すことしか出来ないであろう関係者よりは、「知らぬが仏」のスタンスの学生のほうが、より自由で柔軟なアイディアを生み出す可能性があるかもしれない。

そして、もしそのような案が出ないにしても、こんなこと書くとレコード会社や業界関係者からヒンシュク買いそうですが、「停滞かつ閉塞した業界の構造と要因」を知るうえでの反面教師ぐらいにはなるでしょう(笑)。

そういった意味では、「業界関係者以外の人が読む必要がない」という前言をひるがえすようですが、ジャズの「ジャ」の字も知らないけれど、各業界の市場やビジネスモデルに興味のある人にとっては興味深く読めるやもしれない、とも思うんですよね。

私のような物好きな人間は、まったく縁もゆかりもない「葬儀業界の実情と内幕」なんて本が出たら興味本位で買って読みますからね(笑)。

ま、ことジャズ業界においては、部外者からしてみればサンプルとしてはショボい実例ばかりかもしれませんが(笑)。

ということで、もし彩流社の社員の方がこれを読んでいたとしたら、どうでしょう?もし知り合いに大学関係者の方がいらっしゃれば、文系学生のテキストとして、ダメモトでこの本を売り込んでみるのは如何?

私も以前は出版社にいたからわかるんですけど、大学から思いもよらぬ自社本が「教科書採用でウン十冊注文をお願いします」という注文がよくきたものです。

それも、「大学で何教えるの?」っていうくらい柔らかな内容の本が、採用本として発注がくるのです。

そして、いったん採用されると翌年も発注がくる。

なので、これを読んでいる大学関係者、こと市場論などが守備範囲の先生も、是非ご一読ください(笑)。

と、中山康樹氏・著『かんちがい音楽評論(JAZZ編←ジャズ編ということは、ロック編とかも出るのかな?)』を読んで、そのようなことをつらつらと考えている私でした。

記:2012/01/22

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