思い出す、会いたがる、恋い慕う/佐山雅弘 with 藤原清登

   

ピアニスト・佐山雅弘

あくまで個人的なイメージなんだけれども、佐山雅弘は、「日本のトミー・フラナガン」だと思っています。

一言で言ってしまえば「手堅いピアニスト」。

出来・不出来の差がまったくない。
安定感がある。

だからといって、無難なピアノを弾く人なのかというと、そんなことはない。
どのような演奏にも必ず聴きどころがあり、アヴェレージ以上の仕事をこなしてしまう。

村上秀一の「Ponta Box(ポンタ・ボックス)」の時のプレイからも分かるとおり、表現の引きだしの数が多い上に、演奏のダイナミクスの幅も広いピアニストなのです。

村上春樹が小説家としてデビューする前は、「ピーターキャット」というジャズ喫茶を経営していたことは有名な話ですが、その時に、まだ学生時代の佐山雅弘が店によく遊びに来ていたのだそうです。

そして、学生の頃から「光るピアノ」を弾いていたということを村上春樹が書いた何かのエッセイで読んだことがあるのだけれども、プロデビューをする前から、セッションなどを通して場数を踏み、しかも、「超」がつくほどのジャズマニアでもある村上春樹氏からもその才能を認められていたほどのピアニストですから、そのような才能の持ち主がキャリアを積めば、自然、奥行きのある表現に到達するのかもしれません。

かくいう私は、学生時代に「スタンダードピアノの弾き方」といった教則ビデオで佐山雅弘というピアニストの存在を知りました。

とても丁寧でソツの無いピアノだなというのが第一印象でした。
ま、教則ビデオなんだから、当然のことなのかもしれませんが。

取り上げていた素材が《アズ・タイム・ゴーズ・バイ》で、これはデクスター・ゴードンが主演を務めた映画『ラウンド・ミッドナイト』の前半を飾る名演でも有名な曲です。

このナンバーを丁寧に解説をしながらリハーモナイズしていく佐山雅弘。この時のピアノの響きの美しさ、いや、美しさというよりも「深さ」かな? この深い響きに、「ああ、いいなぁ」と思ったものです。
だって、同じ内容を私が弾いても、全然同じ音にならないのだもの。

私が彼のピアノに感じた、「深さ」、そう「コク」のようなものは、最近だとワインに喩えられているようですね。

2010年に録音されたリーダーアルバムのタイトルは『ヴィンテージ』ですし、今回発売された藤原清登とのデュオアルバムの帯にも「時を経て熟成したボルドー・ワインの如し」と記されていました。

ああ、私だけではなく、送り手(プロデューサー)側も佐山雅弘が奏でるピアノのコク、深みを察知し、ワインという言葉で表現しようとしているのだろうな、と嬉しくなったものです。

>>ヴィンテージ/佐山雅弘

ベーシスト・藤原清登

その一方で、このアルバムで佐山雅弘の相棒を務めるベーシスト・藤原清登が奏でる低音も、佐山のピアノに負けず劣らずの深みがある。

私は藤原清登というベーシストは「音色の人」だと思っているほどです。
だいいち、私が最初に藤原清登のリーダーアルバムを購入した理由は、レコード屋で視聴した際、耳に飛び込んできたベースの豊穣な音色だったのだから。

>>ジ・イン・クラウド/藤原清登

『ジ・イン・クラウド』の初っ端、ベースで奏でられる《シスター・セディ》のテーマを聴いて以来、私は藤原清登の「音色」の虜になっているのです。

使用している楽器が年代物の名器ということもあるのかもしれないし、録音環境やエンジニアが良いということもあるでしょう。
また、プロデューサーの森川進氏も「低音シリーズ」を手がける「低音キング」(キングレコードだし・笑)だからということも、もちろん大きいでしょう。

しかし、それだけではなく、彼が本質的に持つ、低音一音一音への「こだわり」のようなもの、そして、常にメロディアスな旋律を奏でようとする「意志」のようなものが豊穣な低音を生み出しているのだと思います。

さっきから「コク」とか「豊穣」とか、なんだかリッチで味わい深いニュアンスの言葉ばかりを連ねていますが、この味わい深い表現者2人が楽器で会話をすると、こんな感じになりますよ、というのが、『思い出す、会いたがる、恋い慕う』なのです。

懐かしい気分にさせてくれる前半

ストレートアヘッドなジャズを期待して再生スイッチを押すと、軽く肩透かしを食らった気分になります。

前半は、恥かしいほどベタなメロディの連続かもしれません。
と同時に懐かしい気分になれること必定です。

昔、ヤマハ音楽教室やジュニア科アンサンブルで練習した記憶のある旋律だなぁ、なんてことを思いながら、ライナーノーツに目を向けると、あれれ?結構新しい曲もやってるんだなぁ、と。

たしかに《マルセリーノの歌》なんかは、学校の音楽の時間かヤマハで習った記憶がある曲なんだけれども、冒頭の《思い出す、会いたがる、恋い慕う》なんかは、これ韓国の作曲家・1601が作った最近の曲じゃないの。

たぶん、聴くのは始めての曲のはず。
それなのに、なぜなんだ、この懐かしさは?

おそらくだけれども、これ、メロディを慈しみながら放出する佐山&藤原コンビの「ノスタルジー・マジック」にハマってしまったんでしょうね。

他の曲も同様です。

懐かしい旋律、いや、懐かしい気分にさせてくれる旋律があふれ出てくるんですよ、このCDからは。

ピアニスト・村松健的なノスタルジーとはまた違った、もう少し都会的なノスタルジーです。
あ、決して村松健のピアノが田舎っぽいと言っているわけではないですよ。
「田舎くささ」ではなく、村松健のピアノがたたえているノスタルジーは素朴さや、純真さのようなものだと思います。

この素朴さと純真さから来る、子どもに還った時のような気分が「村松健的ノスタルジー」だとすると、佐山&藤原コンビのノスタルジーは、もう少し「大人」。
人生の年輪を重ねた大人でも、どこかに残しているはずのピュアな部分を上手に「音化」しているという感じかな?

このアルバム、プロデューサーである森川氏には、曲の配列にもこだわりがあるようで、レコードのA面とB面のように、前半と後半でテイストを分けていますね。

後半になると、もう少しジャズ寄りな演奏に変わっていくのですが、個人的には、ベタな旋律をベタに演奏しながらも、決してベタベタにはしない絶妙なプロの匙加減を味わえる前半の演奏のほうが新鮮で、今のところは、前半中心に繰り返し聴いていますね。

もちろん、後半の《セット・アサイド》のような比較的ストレート・アヘッドな4ビート色の強い演奏が挟まれると、なぜか肩の凝りがほぐれて身体を揺らしている自分もいるんだけれども。

うちのオーディオはショボいんだけれども、凝ったオーディオ装置でこのCDを聴けば、さらに心地よい音空間に包まれるんだろうなぁ、なんて思いながら、いま現在、アルバムを聴きながらこれを書いています。

高級オーディオ装置をお持ちの方なら、さらに、このアルバムの素晴らしさを体感することができるんじゃないかなぁ。

記:2016/05/01

album data

思い出す、会いたがる、恋い慕う (King Records)
- 佐山雅弘 with 藤原清登

1. 思い出す、会いたがる、恋い慕う
 JE ME SOUVIENS, ENVIE DE TE REVOIR, ME LANGUIR D'AMOUR
2. すれ違いのロンド
 VOUS VOUS APPELEZ COMMENT?
3. マルセリーノの歌
 MARCELINO PAN Y VINO
4. 若草の恋 MES
 AMIS MES COPAINS
5. 帰り来ぬ青春
 HIER ENCORE
6. マイ・バック・ページズ
 MY BACK PAGES
7. セット・アサイド
 SET ASIDE
8. ダヴィデの万年筆
 DAVIDE'S FOUNTAIN PEN
9. アートソング
 ART SONG
10. 花アリラン
 HANA ARIRANG
11. 航路
 UN AMOUR LOINTAIN

佐山雅弘 (p)
藤原清登 (b)

2015/10/16-17

 - ジャズ