貧乏な人、借金を背負う人の特徴

   

能力過信、未来に先送り

まさに、これって、現在の私に当てはまることだなって最近気がついたのですが、貧乏な人、借金を背負ってしま人の特徴は、己の力量を見誤ること、未来の自分自身に過剰に期待してしまう傾向があるのではないかと思います。

そして、結果的に未来に負債を築いてしまう。

今の自分には無理なこと、出来ないことでも、未来の自分だったら出来ているだろうという楽観的な考えのもと、結果的に未来の自分の行動を縛ってしまっている。

プラモの山

具体的にいうと、私の場合はプラモデルなんですが(笑)、とにかく欲しいプラモを見かけるとすぐに買ってしまう性分なんですね。
そして、結局作らない。
作らないまま、押入れの中がプラモの箱の山積み状態になってしまっているということです。

こんなこと、少し前までは、まったく意にも介さなかったことなんですが、なんだか最近、モノが多い状態が少しイヤになってきた。もっと身軽になりたいと考えるようになってきた。心境の変化というやつですかね。

プラモを買う瞬間は「すぐ作ろう」と思います。
だって、押入れの中に多くのプラモの箱が山積されているので、これ以上増やすわけにはいかないから。

そこで楽観的にこう考えるのです。
「プラモの山なんて、俺サマが本気になればすぐに片付くだろう」と。

そうタカをくくっているため、結局は、また新たにプラモを買い込み、作らないまま死蔵物体が増えるという悪循環に陥ってしまっている状態が何年も続いているわけです。

なぜ、そんなことが続いているのかというと、結局は自分の能力を見誤っていることに尽きると思うわけです。

未来の自分は、きっとプラモの山を難なく崩しているだろう。
そんなふうに、安易に未来の自分の能力に期待している。

しかし、結局、作らない、というか、作れない。

短時間で多くのプラモを片付けるだけのタイムマネジメント能力や、短時間で組み立てるだけの技量もないまま、プラモの山は崩れるどころか、むしろ増えているわけです。

それが「お金」だったら?

まあ、プラモはまだ趣味の領域だから良いとして。

しかし、これを「お金」に置き換えると、大変なことになりますよね?

今の自分には支払えないけれども、未来の自分だったらきっと支払えるだろう。

そんな感じで、未来の自分に期待し、未来の自分に負債を押し付けちゃっているわけですよね。

プラモの箱が増えれば増えるほど、場所は食いますが、それはそれで眺めるのが楽しくないわけではありません。しかし、借金の残額は眺めても楽しいはずがありません。

北条氏康は、食事の際、先のことを読まずに椀に汁をかける息子・氏政の姿を見て「北条も自分の代で終わりか」と嘆いたという逸話がありますが(汁かけ飯の逸話)、まさにそれですね。

未来のことをあまり考えずに、刹那的にその場、その場の瞬間風速的な反応と反射で生きていると、結局未来の自分が大変になっちゃうぞ、ってことですな。

ま、そういう生き方のほうがジャズっぽくてイイんじゃね?という意識も若い頃から染み付いている私ではあるのですが……。

記:2019/08/04

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