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足るを知る。

足るを知る。

sentakubasami

教訓めいていて、それでいて含蓄に富んでいて、なおかつ平易で分かりやすい『菜根譯』は好きで、昔から折りに触れてよく目を通すようにしている。

もっとも手許にあるのは現代語訳の本だし、目を通す箇所も原文ではなく訳の部分だけだったりするのだが。

その中で昔から気になる言葉がある。

より波の音聞くがいさやに山住居(やまずまい) こわいろかはる松風の音

意味はこうだ。

海辺にいると波の音がうるさい。それでは山に住めはよいかというと、そういうわけでもない。松風の音がさわがしくて仕方がないのだ。

どこまでいってもきりがない。人間所詮苦しみに縛られて生きねばならぬ。

という、まぁありがちな教訓だ。

「諦観」とも受け取れるこの教訓、私は昔から気になって仕方がなかった。

だって、そんなに人間って苦しみばっかりなのだろうか? というのが最初の素朴な疑問。

「住めば都」というように、人間は周囲の環境に応じて自身をカスタマイズ出来るぐらいの能力を持っているはずだ、という自分自身の考え。

「所詮人間は苦しみに縛られている」という妙に悟りきって醒めた調子への反発。

これが本当だったら、人間ってなんだかツマラない生き物だな、と学生の頃から思っていた。

苦しみに縛られている?

冗談じゃない、オレの人生は毎日楽しみにまみれているぜ、仮に苦しみに縛られていても、それを上回る楽しい状態を意地でもつくり出してやるさ、そんなオレって甘い?まだ若いからな、そのうち年をとればこういう心境になるのかな?

などと思いつつ10数年の年月が経過したが、いまだにその心境は変わっていない。

あたりまえだが、苦しみも幸福感も受け止め方次第で、いかようにも変わる。

きっと傍から見れば、私も人並みの苦しさを経験してきているのかもしれない。

でも、感覚がマヒしているのかな、それとも都合の悪いことは見えない、聞こえないという都合の良いカラダの構造になっているのかな、あまり苦しんできたという自覚はない。

渋谷の街頭で「最高ですかぁ~」と妙にニコヤカな顔と猫なで声で通行人に尋ねてくる宗教団体の人たちのようにナチュラル・ハイな状態というわけでもない。

学生時代の悩みらしい悩みといえば、受験のこと、彼女のこと、遊ぶお金がもっと欲しいな、とまあ「オレの半径30センチ」レベルでのとても取るに足らない個人的なことで、「悩み」ではあったかのもしれないが、とても「苦しみ」と呼べる代物ではなかった。

久々に『菜根譯』を読み返してみる。

現代語訳には目をつぶり原語の箇所のみを。

「波の音を嫌い、山に住む。波の音が松風の音に変わる」

といったぐらいの意味だろうか?

あれ?随分日本語訳とは違うような気がするぞ?

要は日本語訳にあった「人間所詮苦しみに縛られて生きねばならぬ。」といったラストの「教訓キメ言葉」というものがない。当たり前だけど。

原文の意味を額面通りに受け止めると、「海に住んでも山に住んでも事態は同じ」ということだろうか。

普通に解釈すれば、人生や生活に対する「諦観」だろう。

しかし、このような解釈も出来ると思う。

ここからはオレ様的唯我独尊&我田引水的解釈になるが、現状に不満を持ち、環境を変えても行き着くところは同じ。

努力したり事態の改善を計ろうとしたところで、変えられないとものは変えられない。だったら自分が置かれている状況を楽しんでしまった方が良いではないか。

遊んでしまった方が人生楽しいのではないか。確かに波の音はウルサイかもしれないが、心の持ち様によっては波の音を楽しむことだって出来るではないか。事態や環境を変えようと努力したところで得られる結果が同じなのであれば、努力や悪あがきしても仕方が無いだろう。

同じ「諦観」でも、「人生は所詮こんなものよ。苦しみの連続さ」というマイナスの諦観があるならば、「人生こんなもんよ。しかし、こんなもんの中からも楽しみを見出せるはずだ。」という諦観から出発したプラス思考もあっていいハズだ。

要は「足るを知る」という考え。

現状からの脱出よりも、取り合えずは与えられた環境の中で智恵を絞る、工夫する。そして、出来ることなら楽しんでしまう。

このように解釈した方が、たとえ誤った解釈であったとしても断然トクだ。

「モノは言いよう」とはよく言ったものだ。

最近では、このような考えが強くなってきている。

そう考えるようになったキッカケはインターネット。

昨年よりインターネットを始めて以来、世代を越えた多くの人と知り合うことが出来た。

中には10以上も年下の人も多い。

彼らと話すと当然世代の差や育ってきた時代背景の違いもあり、モノの考え方が微妙なところで違っていることを感じる。

私はバブル末期の最後の「浮かれた学生」だったと思う。

大学は遊園地だったし、世の中の浮かれた気分が学生の私にも多少なりとも伝染していたのだろう、求める遊びは「贅沢」な方向ばかり。

「アッシー君」「ミツグ君」「メッシ-君」などという男が出現したのもこの頃だ。

「イイクルマにキレイな彼女を乗せて、ホテルの高級レストランなどで美味しい食事をする。」

当時のシアワセなライフスタイルの典型、そして理想像がこのような感じだったし、同世代の学生は皆、このようなライフスタイルに憧れていた。

もっとも享受していた人は少なかったとは思うが。

私自身はクルマの免許を取らなかったし、女性に貢いだこともないが、気持ち的には「遊びの沙汰も金次第」という考えが染み付いていたことは否めない。

所持金よりも、あともう少しだけお金を積めば、その先にはもっともっと楽しい快楽が待っている。

このような考えが時代の雰囲気の中で当然のように染み付いたし、今でも完全に抜け切ったとは思っていない。

今考えてみれば、やたらと消費を促すマスコミの煽りにまんまとハマってしまっていた、とも言える。

京都の料理屋の女将にこう言われたことがある。

「食べ物がまずいから東京の人は可哀相やわ。その点、京都はいくらでも美味しいものが食べられるのよ。お金さえ払えば。」

彼女の言うことも一理ある。

確かにお金を積んだ分だけいい気分になれる事柄も多いし、たまにする贅沢や散財は気分転換にもなる。そのことは否定しない。

我々が学生の時分は日常的にそのような快楽を求める気分が横溢していた。

無理なローンを組んででも欲しいモノを手に入れようとするし、女性を喜ばす最良の手段はブランド物のバッグや指輪、外車に乗って高級レストラン、と相場が決まっていた。

「今おかれている自分自身の経済力の範囲内で工夫をする」という考えが欠落している学生が私を含めて多かったような気がする。

貧乏な学生でありながら、「手持ちの範囲内で工夫をしてみよう」という発想が生まれにくい雰囲気の世の中だった。

「今の自分がショボイのは結局お金が足りないからだ。お金さえもう少しあれば、現状からステップアップ出来る。」

そう信じて疑わなかった学生は私以外にも多かったのではないのだろうか?

もちろん、そうではない学生も私と同世代には多かったのだろうけれどもその時代の「気分」は上記のごとくだったように思う。

ところが、最近の学生はもっと堅実だ。

正確に言えば、私が大学を卒業した直後あたりの学生からなのだが、「バブル崩壊→就職難」という時代背景あってのことなのか、学生時代から着実に将来を考える学生が増え出したし、考え方も堅実になった。

遊び方も堅実で無理をしない。手持ちの範囲で楽しみ方を工夫する。

欲しいモノがあっても、自分の経済力を上回れば、無理して手に入れようとはせずに、ひとまず我慢する。

それでいて、特に不満を漏らしているでもなし、彼らなりに工夫して楽しみを見い出している。

特に女の子。彼女たちはお金のかからない楽しみ方と工夫を沢山知っているように見える。

欲しい洋服があれば、当然買うことも考えるだろうが、ちょっとしたものだったら、手作りでパッパカ作ってしまうし、昔のブランド女子大生のように豪華一点主義にこだわらずに、安いものなら安いものなりに、組み合わせを楽しんでしまう余裕と遊び心がある。

一番お金がかかるのは携帯電話をはじめとした通信費ぐらい?

携帯のストラップやカバンにつけるアクセサリー類。「微妙な差違に拘泥するセセコマシさ」と非難する向きもあるが(秋元康曰くところの「ピザのトッピング文化」)、何せ彼女らにはお金がない。無い中にも楽しみを見い出している。それはそれで良いことではないか。

とても当たり前のことなのだが、残念ながら私が学生時代の頃はそうではなかった。

今の若い人のこの堅実さは、裏を返せば「冒険しなくなった」「妙に醒めて大人びている」という見方も出来るかも知れないが、私としては「足るを知っている」と評価してもいいと思っている。

確かに彼らと話していると妙に醒めているというか「馬鹿っぷり度」が足りないし、オトナしいのかな?と感ずることもあるが、それが即彼らの本質でも無いと思う。

彼らは年上の私と接するわけだ、多少の遠慮や畏まりも無意識に出てしまうだろう。話しを合わそうと背伸びをしてくれているのかもしれない。

私とて自分よりも年上の人と接する際は同年代の友人と同じようなノリは出せないし、一応は畏まるからね(誰だ、嘘つきと言っているヤツは!?)。

「近頃の若モノは!!」と嘆くのは簡単なことだ。

しかし、私は自分よりひと回り下の世代の人たちは、我々が学生の時分よりも「足るを知っている」という一点だけでも素直に評価したいと思っている。

え?買い被り過ぎですか?
(買いかぶり過ぎですよ、とこれを読んだある女子高生に言われてしまった)

記:2000/02/15

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