やっぱりうまい!スタン・ゲッツ

      2017/05/19

purple_light

ジャズを聴き始める前の私は、ガチガチのテクノ好きのシンセ少年だった。自宅で作曲&多重録音に励んでいたものだ。

YMOが散解した後は、ヘビメタやスラッシュメタルなども好んで聴いていた。さらにピアノもちょっと弾けたので、大学に入ってバンドを組んだら、今で言うドリカムやジュディマリやドゥー・アズ・インフィニティのような、女の子をヴォーカルにした「オリジナルで、都会的なポップス(笑)」をやろうと思っていたし、その来るべき日に備えて、曲作りもせっせとしていた。

それが、どう間違ったのか、ちょっとしたカッコつけのつもりで(→こちらに詳しく書いてます)、軽い気持ちでジャズを聴き始めて、早10余年。

その間、アルバムを片っ端から買いまくったり、ジャズ喫茶でアルバイトをしたり、実際に演奏をするようになったり、ベースを始めて「4ビートを出来るようにしてください!」と、いきなりプロのジャズマンに習いに行ったり、ジャズ喫茶でジャズを聴くためだけに地方を旅したり、挙げ句はジャズのメールマガジンを発行したりと、気が付いてみると、当初の想像以上にジャズとの関わりが深いところまできてしまっている。

人並みに、色々なジャズを聴いてきたという自負はあるが(ふゅーじょんは苦手なので除く)、その時々で、集中的に聴くジャズのスタイルも随分と変わってきている。

アート・アンサンブル・オブ・シカゴや、アルバート・アイラー、そしてセシル・テイラーのようなフリー・ジャズにハマリまくっていた時期もあるし、マイルス・デイビスの計算されつくした演出(サウンド)に痺れて、ブートレッグは除き、ほとんどすべてのアルバムには耳を通したこともある。

また、インパクトのある独特のフレーズを奏でるエリック・ドルフィーに魅了されて、彼の参加しているアルバムを全部集めようとしたり、チャーリー・パーカーの気持ちよさを自分なりに解析してやろうと思い、無謀にもベースで彼のアドリブを記録した譜面にトライしたこともある(もちろん、すぐに挫折したが)。

また、セロニアス・モンクのピアノに魅せられて、モンク専門のページを立ち上げたりもしているし、バド・パウエルの不可思議に深い世界の虜になってパウエル以外のピアノはいらんと思っていた時期もあった。

しかし、その時々の「マイブーム」が何であれ、常に聴き続け、やっぱり良いよなぁ、と溜息をつくのは、決まってスタン・ゲッツだ。

この人のテナー・サックスは、一言で言ってしまえば、ウマい。

バックのリズムや、共演者の新旧を問わず、一貫して「スタン・ゲッツらしさ」を通している。マイペースで、堂々としている。

そして、どんなに曲でもスタイルでも、まったく難しさを感じさせずに、あっさりと、そして悠々と吹いてしまうのが、スタン・ゲッツだ。

吉祥寺のジャズ喫茶「ファンキー」のマスターだった、故・野口伊織氏はうまいことを言ったものだ。

「難しい方程式を、数学ではなく、なんと算数で堂々と解いてみせるのである。シンプルな方が、観戦しているギャラリーにだってより分かり易いではないか。説得力だって倍加するではないか。戦術の何であるかが、戦いのノウハウを知らない我々にも、ズシンと心に響いてくるのである。」

まったく、その通りだと思う。

ジャズを聴き始めの頃は、朗々と流れるようなテナー・サックスの心地よさに身を任せて聴いていた。今でも、基本的に、私の鑑賞する姿勢は変わらない。

しかし、時々、ハッとする。そして、舌を巻く。うまい。

しかし、よっぽど注意をしていないと聴き逃すことも多い。

ゲッツは、まるで、最初からその音が既に存在していたかのように吹くからだ。

そんなの当たり前じゃないか、といった風情で、涼しげに難しいことを簡単にやってのける。あまりにも、簡単にスルッとゆくものだから、聴いている私も、「あ、そう」とばかりに、当たり前のように頷く。

とんでもないことでも、あまりに平易にやってのけるのだ。そう感じるのも無理はない。

ウォームなトーンで「するするする~」と、心地よく通り過ぎてゆくから聴いていて非常に心地がよい。

しかし、その表面的にはウォームなトーンも、時に、とても無愛想に感じる瞬間もある。

どこまでが本気なのか測りかねることもあったりする。

しかし、表面上は穏やかで、そしてウォームな肌触りは一貫としている。

だから、平易なくせに、奥が深い。

スタン・ゲッツはそんなサックス吹きだ。

私はそれほど熱心に、彼のアルバムをたくさん聴いてきたというわけでもないのだが、ちょっと疲れた時や、何を聴こうか迷ったときは、何でもいいから、スタン・ゲッツのアルバムをランダムに引っ張り出してかけることが多い。

何を聴いても、スタン・ゲッツのサックスは同じ、ではなく、何を聴いてもスタン・ゲッツはウマいのだ。

当然、アルバムによっては好不調の波はあるし、ヴァーヴの頃のゲッツよりは、初期のルーストやプレスティッジの頃が好き、といったような私的な好みはあることは当然だが、正直、ゲッツのテナーだけに関して言えば、どの時期も「ああ、やっぱりゲッツはゲッツだよなー」としか言いようのない、サックスを聴かせてくれるのだ。

実際、今現在、キーボードを打ちながら、晩年の『アニヴァーサリー』を聴き、次いでパーカーとガレスピーと共演している『カーネギーホール』を聴いているが、時代はまったく隔たっているにもかかわらず、あー、やっぱりゲッツはいつの時代も「うまい」な、と舌を巻いている。

ゲッツ以上に、思い入れの強いジャズマンはたくさんいるのだが、思い入れの強さゆえに、時には飽きたりもするし、しばらくは距離を置きたくなることだってある。そんな「気持ちの端境期」の時には、いつもスタン・ゲッツが鳴っていた。そして今後も鳴り続けるのだろう。

きっと、これからもスタン・ゲッツとは、細く長いつきあいをし続けてゆくのだろうな、と思っている。

記:2001/11/22

 - ジャズ