仮面ライダー響鬼

   

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今年始まった、新しい仮面ライダーが面白い。

名は、響鬼と書いて「ひびき」と読む。

必殺技は、キックではない。
太鼓だ。

和太鼓のような太鼓をドンドン叩く。

これ、「お清め」の音。

お清めの音で、怪物を粉砕する。

バイクには(今のところ)乗っていない。

相棒の女性の運転する車や、フェリーで「現場」に移動する。

変身するときに「へんしん!」とは言わない。

変身する細川茂樹は、おそらくは主役としては、初の30代ライダー(アナザーアギトやオルタナティヴ・ゼロのように、30代が変身するライダーは何人かいたが主役では初のはず)。

歌の無いオープニング。

眼がない(もっとも、555に登場するライダーもそうだったが)。

……などなど、これまでのライダーシリーズとは一味も二味も違う設定が多い。

しかし、

「たちばな」という苗字のおやっさんが登場することや、

最初に登場した化け物は蜘蛛だったことや、

ベルトはアリという点などのいくつかの点においては、仮面ライダーの世界ではお約束事(必ずしも守られているわけではないが)を踏襲しているところもある。

しかし、その従来の仮面ライダーのトーンを大幅に逸脱したルックスや、ビックリ仰天な新しい闘いかたは、明らかにこれまでの仮面ライダーには無い新しい試みだ。

私は、それの要素に違和感を感じるどころか、むしろ、今回の響鬼は、前作や前々のブレイドや555以上に強く“仮面ライダー”を感じる。

おそらく、それは、我々が抱く、“異形の者の持つ力に対する畏怖の念と好奇心”が呼び覚まされるからだろう。

ヘンな言い方だが、仮面ライダーはグロテスクでなければならない。

先述した“異形”ということね。

異形ということならば、響鬼はまさにトラディショナルな異形だよね。

なにせ「鬼」なんだからさ。

そうなんだよ、仮面ライダーの格好よさというのは、格好よさとは、裏腹のグロテスクさや、闘う業を背負った男が持つ、宿命とどう付き合っているのかを描かなければならない。

苦悩するライダーもいれば、顔は笑い心で泣いていたライダーもいた。

必ずしも苦悩する必要は無いのだけれども、変身前と変身後の自分に対してどう折り合いをつけ、どう向かい合っているのかが、言葉に出さずとも微妙な態度や演技で垣間見せてくれないとライダーとしての魅力は半減する。

無自覚に、ライダーの番組だからライダーしているとしか思えない、ライダーのためにライダーしているライダーもいなくはなかったが、そういうライダーには魅力がなかった。

今回の響鬼の場合はどうか。

彼は15年以上、化け物退治をしてきたということもあり、良い意味で戦いのプロだし、職業、というか特殊技能としての己の役割を比較的達観しているところがあるので、熱血人間にありがちな暑苦しさは微塵も感じられない。

比較的、軽やか、かつクールに生きている。

とはいえ、「魔化魍(まかもう)退治」は、一歩間違えれば死と隣り合わせの危険な仕事には違いなく、それにもかかわらず人前では「ミッション終了、肉体労働いっちょうあがり」的な涼しい態度をとっているところは、人知れず苦労と苦悩をかかえていながらも、常に人前では笑顔を絶やさなかったクウガに変身する五代雄介(オダギリジョー)に近い位置にいるキャラクターなのかもしれない。

そういった意味では、バカ熱血の龍騎や、偽悪的な態度が鬱陶しかった555や、アホ熱血のブレイドのような青臭い主人公像とは対極をなす。

全国津々浦々に出現する妖怪退治にアウトドアの装備で旅して回る主人公ヒビキは、戦士というよりは祈祷師に近い存在かもしれず(その手段の一つとして格闘が生じるだけ)、飄々としながらその実、かなり成熟した大人といった役どころというのも子供にとっては、頼れる兄貴として魅力なんじゃないかな。

実際、ヒビキに惹かれている中学3年生の少年、足立 明日夢(あだち・あすむ)君が登場するが、きっと、彼は、我々が注ぐ眼差しの代弁者なのだ。

アギトに登場したG3X以来、いつのまにか、パワードスーツ、強化服としての役どころに位置づけられてしまっていた仮面ライダーが、先祖がえりを起こしたのが今回の響鬼ともいえ、そういった意味では、新しいライダーというよも、原点に立ち返ったトラディショナルなライダーといえるかもしれない。

なにせ、鬼だからね。

まさに、異形。

さらに、鬼といえば、まさに人間をちょっとだけ超えた存在だからね。

古くからの民話を紐解けば分かるとおり、鬼や天狗は、化け物というよりは、限りなく人間に近い存在で、かつ畏怖の対象だったから、目の付け所は中々だと思う。

仮面ライダー=異形の戦士

だとすると、

響鬼=鬼 はまさに、異形の戦士として相応しい。

あと、そういえば個人的にポイントが高いことがある。

劇中でBGMとして流れているマリンバの音が心地よいということだ。

フリージャズなんかでは、演奏によっては、ドラム奏者がマリンバを持ち替えで叩くこともあるが、それだけ、「打」の要素の強い楽器だということだ。

そういえば、スティーヴ・ライヒの「ドラミング」という作品も、複数台のマリンバが使われていた。

あと、ジャパンの《ゴースト》という曲も、ドラマーのスティーヴ・ジャンセンがマリンバを叩いていた。

そういったことからも、マリンバという楽器は、音の並びは鍵盤楽器そのものだが、鍵盤の「押」よりも、打楽器の「打」を連想させるのだろう。

響鬼は「打」で敵を倒すが、やはり、劇中も隠れたところに「打」にこだわっているなと感じた。

明日夢クンも高校入学後はブラスバンドのドラマーになりたいみたいだし。

ちょっとしたところにも「打」にこだわっているところが分かる、こだわりの番組「仮面ライダー響鬼」。

(今のところ)目が離せない番組の一つだ。

ローランドのドラムパットや、和太鼓のテレビゲーム、今年は「響鬼」の影響で、売れるかもしれないね。

記:2005/02/26(from「趣味?ジャズと子育てです」)

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