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ジャズと映画とプラモの日々:高野雲

水曜ドラマ『高嶺の花』観ながらメモ

   

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第1話

エンディングのクレジットを観ると、音楽は上野耕路だったんだね。

上野耕路といえば、戸川純と太田蛍一と組んでいたゲルニカというグループが大好きで大好きで好き好き大好きで、とにかく上野さんの独特なハーモニーと大胆かつダイナミックな構成力は今も昔も好き好き大好きなのであります。

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ただ、劇中ではあまり音楽面はあまり印象に残らなかったので、次回からはバックの音楽にも耳を澄ましてみよう。

やっぱり上野耕路のアルバムといえば『ポリスタイル』が好きだなぁ。

リメイクされた《ファラオの呪い》が美しい。
もちろん、『人外大魔境』の《ファラオの呪い》も妖しくて大好きだけど。

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第2話

第1話の終盤近くと、第2話の冒頭で石原さとみが詠む小野小町の「花の色は うつりにけりな いたづらに~」は、ああいうイントネーションで詠むのですな。

あの節、音の高低に合わせてフレットレスベースで、2オクターブほど低い音でユニゾンさせて弾くと、まるで男女が声を合わせて詠んでいるように聴こえて、なかなかセクシー。

第3話

しっかしねぇ、いくら芸(華道)を極めるためとはいえ、ハニートラップを仕掛けて娘の結婚を破談にまで持っていくかねぇ。

華道とか、茶道とか、戦車道とか、「道」に関しては疎いのですが(戦車等は除く)、やはり家元となるからには、人間関係をも含め数々の試練や苦難を乗り越え、それを肥やしにせねばならないということなんでしょうかね。

それとも月島流の家元である小日向文世の独自の哲学?

第4話

なんとまあ、運転手の升毅が石原さとみの父親だったとは。

いろいろどろどろ。

第5話

華道の師範になるためには、いや、華道っていう括りは大雑把すぎるかな?
少なくとも、月島流という華道の流派の奥義を究めるというか、師範としてふさわしい風格を身につけるためには、「罪の意識」を持たなければならないようだ。

現師範の小日向文世によると。

一流の華道家=一流の芸術家になるためには「罪の意識」を持たねばならんというロジックがよぉ分からんです、凡人には。

まあ、論理で説明できる境地ではないのだろうけど。
なにせ、それは険しく厳しい「道」の頂点に君臨する方の思想ですから、凡人に理解できるわけないのが普通なのでしょう。

ま、分からんでもないですよ。
たしかに、一流のジャズマン、というか私が一流だと思っているジャズマンもどこか壊れているところ、破たんしているところがあるからね。

心に傷も負っているとでもいうのかな。

バド・パウエル、セロニアス・モンク、チャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィス、チャールズ・ミンガス……。

彼らはどこか壊れているところがあったような気がする。

しかし、どうなんだろう?
彼らは人工的に壊れていないし、むしろ天然にどこか破たんしていたんじゃないだろうか。
少なくとも、意図的に自分の心に後ろめたさを持つような行為はしていないはずだ。

しかし、師匠であり「父親」でもある小日向文世の主張を受け入れた石原さとみは、人工的に罪の意識を持とうと努力をしようとしている。

意図的に人を傷つけて「罪の意識」を背負ったところで、それが「芸」や「技」や「表現の深み」のレベルをアップさせることに繋がるのだろうか?

それが疑問。
というより、プーさん可哀想。

~つづく

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