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ジャズと映画とプラモの日々:高野雲

是枝監督の「感性癖」~『万引き家族』鑑賞記

      2018/07/05

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音楽家の感性癖

以前、ジャズのラジオ番組をやっていた時のこと。

ゲストにピアニストの橋本一子さんをお呼びした時に、一子さんから「感性癖」という言葉が出てきた。

たしか、トニー・ウィリアムスがドラムを叩き、ブーツィー・コリンズがベースの《フリー・トレーディング》という曲をかけた時。

これは、坂本龍一の『ネオ・ジオ』というアルバムに収録されている野見祐二作曲のナンバーだが、コードの響き、ハーモニーの流れに話がおよんだ際に、一子さんから出てきた言葉が「感性癖」。

これは表現者であれば誰もが持っているもので、その表現者ならではのしっくりくるポイントのようなものだという。

たしかに、我々が音楽を聴いて、「あっ、この曲は違う曲だけど、あの人が作った曲だな」と分かるのは、音色、メロディ、ハーモニーふくめ、その人特有の「感性癖」をキャッチしているからだろう。

ジャズやロックなどのポピュラー音楽には、ソロイストの「手癖」というものもあるが、それとはまた違う、もっとトータルに全体を包むような、「もうこれはあの人の表現でしかあり得ない」と感じさせるようなものがあれば、それはアーティストが持つワン・アンド・オンリーの感性癖が発動した作品ということなのだろう。

この「感性癖」は、一流の表現者になればなるほど「一聴して誰なのか分かる」ほどの個性の強さ、もっと言えばアクの強さというものを持っているのだと思う。
だから、一流になればなるほど、好き嫌いや評価が分かれるのは当然のことだと思う。
ジャズで言えば、チャールス・ミンガスのナンバーなんかがまさにそうだよね。

そして、これは音楽に限らず映像作品にも「感性癖」というものはある。

映画監督の感性癖

たとえば、大島渚、あるいは降旗康男監督の作品には、初期の頃から一貫して流れる「感性癖」のようなものを強く感じる。

最近でいえば庵野秀明監督かな。

すべての作品に同じトーンが漂っているというわけではないけれども、たとえば若かりし庵野監督自身がウルトラマンを演じた自主制作映画の『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』を観た後に『エヴァンゲリオン』を観ると、なんだ描きたいことって一緒なんだな、と思うはずだ。

前者は特撮、後者はアニメと表現手段が異なっているにもかかわらず、だ。

ちなみに、庵野監督の『ウルトラマン』は、以前はDVDで発売されていたんだけど、現在は絶版のようで、そのかわり『庵野秀明 実写映画作品集』の特典映像として収録されているので興味ある人はどうぞ。

これらの作品を観れば、表現者が表現したいことは、「愛」とか「友情」とか、具体的な分かりやすい言葉に還元できるようなものとは限らないということが分かるはずだ。
さらに「人類愛」や「仲間の大切さ」とった作品全体を貫く大きなテーマや、映画のキャッチコピーになるようなスローガンになるようなものとも限らないということも分かるはずだ。

司令官であり目的のためなら手段を選ばない冷徹さを持つ父親と青臭い息子との確執だったり、やたらと仰々しいメカの発進までのプロセスだったり、現場のチームの背後にあるもっと大きな巨大な権力を持った組織の存在だったりと、こまごまとした各論的であり、作品を形成する一要素(パーツ)や設定のようなものでも構わないということが分かるはずだ。

幼少期に夢中になった特撮への憧れや、興味を持っていることを具現化して作品を形成するひとつのピースにしたいという各論的な欲求でも、その想いが強ければ強いほど、本気度が高ければ高いほど、映画を形成するトーンは、その監督独自のものになるのだ。

このような細かな設定の共通点が過去の作品のいくつかに認められるだけでも、そこから醸し出される独特なトーンは、その監督独自の世界観そのものであり、最終的に「これで良し」とOKを出す監督の「感性癖」のなせるわざなのだと思う。

是枝監督の感性癖

先日カンヌで賞をとった『万引き家族』も是枝裕和監督の感性癖が分かりやすい形で表出した作品だといえる。

まさに庵野監督の『帰ってきたウルトラマン』と『エヴァンゲリオン』が相似形に感じられるように、2004年にカンヌで柳楽優弥が史上最年少の最優秀男優賞を受賞した『誰も知らない』と、今年カンヌでパルム・ドールを受賞した『万引き家族』は相似形といえる。

是枝監督の諸作に共通して流れる「表面的に分かりやすいテーマ」は、人と人の「繋がり」だと思う。

特に、血縁関係のない者(少ない者)同士の繋がりや、逆に離れた土地に住む(住んでいた)血縁関係者同士の絆を描き出す作品も少なくない。

前者は、まさに『誰も知らない』や『万引き家族』、後者は『奇跡』や『海街diary』、『海よりもまだ深く』が思い浮かぶ。

そして、前者と後者のミックスが『そして父になる』になるのだろう。

わりと「一般的な家族関係」ではない家族や疑似家族を物語の設定の基盤に置くことによって、そこから生じる人と人の関係性をフィルムを通して浮き彫りにしようという試みの作品が多いと感じられる。

しかし、これは言葉に還元できる分かりやすい「特徴」であり、メディアが一般に紹介しやすい「トピックス」の一つに過ぎない。

是枝監督が描きだす作品のテイストには、どれもが共通している言葉に出来ないモワリとしたムードがある。

ひとつひとつ分解して解き明かすとそれこそキリがないのだが、それは音楽の選曲だったり、乳白色がかった画面のトーンだったり、目力のある子ども中心のキャスティングだったりと、たったこの3つの要素だけでも既に映画の基調をなす「是枝トーン」が形成される。

さらに、是枝監督の作品にはほとんど悪人が登場しない。

もちろん今回の『万引き家族』では逮捕者が出てくるわけだけれども、はたして彼らは悪人か?

たしかに法律からはハミ出してしまったという観点からすれば「犯罪者」なのかもしれないが、行為ではなく行動様式にスポットを充てれば、彼らの多くは根っからの悪人ではなく、むしろ善人。そして善人であるがゆえに、弱かったり、情けないところもある。しかし、それゆえ「優しい」。

そう、是枝監督の作品には「優しさ」が通底して流れている。
だからこそ、良い意味で「ツメが甘い」。
適度な「緩さ」がある。

どの作品でも、決して人の罪を糾弾しない。

一歩引いた目線で、淡々と優しく見守るように一人ひとりの登場人物をフレーミングしている。

そして、子どもに向けられる眼差しが限りなく優しい。

これがまさに是枝監督の「感性癖」なのではないだろうか。

「ツメが甘い」とは、一般的には悪い意味で捉えられがちな言葉ではあるが、逆に言えば鑑賞者が考えたり余韻を味わう「余白」があるということでもある。

また、演技をする俳優陣にも、それぞれの役者が持つ個性を自然に引き出すためのスペースが設けられているということでもあるかもしれない。
リリー・フランキーや樹木希林、阿部寛など是枝監督が好んで何度も起用する俳優陣が多いのも、彼らの演技と是枝監督の「感性癖」がピタリと一致しているからなのだろう。

だからこそ、きっちりと作り込み過ぎない適度な余白を設けることにより、人物描写にさらなるリアリティが自然に付加される。

それが、今回カンヌで話題になった安藤サクラの「目こすり泣き」も、俳優の個性がわかりやすい形で表出された好例なのかもしれない。

いつもの是枝作品の延長銭

『万引き家族』は、カンヌ受賞作だからという情報から、ガチガチに身構えてみる必要はないと思う。
過去に是枝監督の作品を諸作を観ているならば。

もちろん、テクニカル的には画質や構図など新たな試みがなされていることを感じたが、いつもの是枝作品のテイストの延長線上にある「いつもの新作」感覚で観れば普通に楽しめることだろう。

それは、村上春樹の読者が、村上春樹の新刊が出たら、普通に買って、普通に読んで「いつもの村上春樹だね。話は違うけど、テイストはつもの通り。いつものように面白く読めた」と感想を漏らす感覚に似ているのかもしれない。

記:2018/07/03

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