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ジャズと映画とプラモの日々:高野雲

庵野秀明監督の原風景~『シン・ゴジラ』遡ることの『帰ってきたウルトラマン』

      2018/08/28

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庵野秀明監督の最新作(現在のところ)の『シン・ゴジラ』を観て、その後、庵野監督が学生時代に手作りに近いノリで作った『帰ってきたウルトラマン』を観て、そして、彼の代表作というかライフワークの母体ともなっているテレビ版の『エヴァ』を観ると、本当に庵野監督が描きたい世界、原風景は一貫して変わらないことが分かる。

一貫しすぎて「それしかないよかよ」とも思う人は大勢いるのだろうけれども、天才が描き出したいモチーフの少なさとは往々にしてそんなもの。

それは、ジャズにもいえて、セロニアス・モンクが生涯演奏し続けた曲の大半は、20代の頃に作曲したナンバーだし、チャーリー・パーカーだってお馴染みの「パーカー・フレーズ」が多くの演奏記録のいたるところに登場する。
しかし、だからといって我々はモンクやパーカーの演奏をワンパターンだとは思わないし、むしろ聴けば聴くほど新たな発見を見出す悦びと、時代を経てもなお色褪せない新鮮な音の躍動に胸を躍らせることが出来る。

バリエーション、ボキャブラリー、手駒の多寡ではなく、むしろ、狭いなりの求心力、表現の強度に注目すべきなのではないかと。

一人の傑出したクリエイターが描き出したい世界なんて、モンクやパーカー以外にも、ジョン・コルトレーン、それにセシル・テイラーにオーネット・コールマンの音楽を聴けばわかるとおり、それほど広範かつ小器用にバリエーション豊かなものではない。

むしろ、不器用なほどに一つのモチーフに固執しつつも、表現の強度が作品を重ねるにつれ洗練度が増している。

ワンパターン? でも良いではないか。

むしろ小器用に様々な引出しから適宜かつ臨機応変に立ち回るだけのネタのバリエーションを持つ者の表現の薄っぺらさこそ嘲笑うべきなのだ。

真のクリエイターがアウトプットしつづけたい映像の原風景は極端なことをいえば、それは、たったの一つでも良い。

物語の根幹をなす設定や大イベントである必要はない。

ほんの数秒の映像描写であってもまったく構わない。

受け手がクラクラするほどの眩暈を感じさせるものであれば。

記:2018/08/14

 - 映画