カフェモンマルトル

text:高野雲

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シーサイド・メモリー/ディファレンシア

      2017/05/23

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kiss

結成前

大学生の頃、「ディファレンシア」というバンドの活動を半年ほどやっていました。

浪人中に、予備校で知り合ったギター&ヴォーカルの友人と、「大学入ったらバンド組もうぜ!」と話し合っていたのですが、それが実現したバンドが「ディファレンシア」だったのです。

その友人の名はアオキ君といいます。

浪人中にもかかわらず、アオキ君と私は、ロクに授業にも出席せず、家でも勉強もせずという状態でした。

日中の私は、渋谷のジャズ喫茶「スウィング」でジャズに浸り、目と鼻の先にあったタワレコでCDを買ったり、原宿の「シスコ」で古着を買ったりしていました。

勉強するのは、だいたいセンター街か竹下通りのマクドナルドで30分とか1時間とかそんなもの。

一方、アオキ君のほうも、予備校の授業にはあまり出席せず、自宅で曲作りに専念していました。

私がMTRを貸すと、さらにそのオリジナル作りに拍車がかかり、オリジナルのデモテープ作りにのめり込んでいたようです。

予備校でアオキ君に会うと、だいたい竹下通りからちょっと横に入ったところにある、常にお客さんが少ない広い喫茶店でコーヒーを飲みながら何時間も音楽の話しばかりしていました。

この店の「ストロング」という強めのコーヒーが私は大好きで、大きめのカップになみなみと注がれているため、まるでエスプレッソのトリプルを飲んでいるようなお得な気分になれたのです。

美味しいコーヒーがあると、気分が良くなり、話がはずんで良いですよね。

だから、我々は、大学に入ったら、どんなバンドにしようかということばかり話していました。

当時の私は鍵盤楽器しか弾けず、曲を作る時はいつもピアノでした。

一方、彼はギターを中学の時から弾いていて、鼻歌まじりで、目の前の言葉をすぐにギターをジャカジャカ弾きながらなんでも曲にしてしまう才能の持ち主でした。

鍵盤を押して響きを探りながら曲を作る私と、ネックを握り弦を押さえながら曲を作る彼とでは、曲を作る上での発想が全く違うようで(例えば当時の私は分数コードをやたら多用した曲ばかりを作っていた)、この作風の違いも、バンドを組んだ時にレパートリーが単調にならずに良いかもね、みたいな、そんな話をしていました。

ジャズを聴き始めたばかりの当時の私は、特にセロニアス・モンクやバド・パウエルのピアノに夢中になっていたのですが、彼は全くジャズには関心を示さず、むしろ「辛気臭い」みたいなことを言ってましたね。

そして、アオキ君の音楽の好みはほとんど洋楽は聴かず、邦楽一辺倒。

予備校の英語のクラスにいるやたら洋楽に詳しく、ウドー音楽事務所でバイトをしている帰国子女のことを煙たがっていたほどの洋楽嫌いというか、ま、食わず嫌いだったんだとは思いますが、洋楽はキム・ワイルドしかレコードを持っていないということを話していましたね。

彼にとっての音楽の原点は「アルフィー」だそうで、コミックの『アルフィー物語』も私に「読んでみて」と貸してくれたものです。

マンガと言えば、当時は2人とも毎週『少年ジャンプ』を読んでいたのですが、私が『男塾』や『ジョジョ』に夢中だったことに対して、彼は『シティハンター』や『ろくでなしBLUES』が大好きでした。

このように、音楽もマンガの好みも違う私たちの好みが唯一一致したのが、佐野元春でした。

もっとも、私は『VISITORS』以降の元春が好きだったのに対し、彼は『SOMEDAY』以前の初期の元春が好きでしたね。

このように、良い意味で、ほとんど好みが被らない我々は、受験勉強はそこそこ、日々、原宿か渋谷の喫茶店やファーストフードショップで煙草とコーヒーとともに、音楽や女の子の話ばかりしていたものです。



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メン募

そして、翌年。

なんとか二人とも大学に入学し、早速、私は渋谷のイシバシ楽器にアオキ君同伴でベースを買いに行きました。

「TOKYUハンズ」の前の坂の道沿いのところですね。

そこで私はベースと初心者向けの教則本、そしてアンプやシールドなど、ベースに必要な道具一式を買い、まだ弾き方すらロクにわからない状態でありながらも、イシバシ楽器の店員さんにお願いして、メンバー募集の掲示板にメンバー募集の張り紙をさせてもらいました。

当時は、インターネットがなかったので、楽器屋さんやスタジオのメンバー募集の掲示板は、とても貴重な情報源だったのです。

バンドを組みたい、あるいは参加したいという人は、足繁く楽器屋さんに通っていたようですね。

ベースを弾けない私でしたが、練習すればなんとか弾けるようになるだろ、という安易な気持ちで「キーボード募集! 当方完全プロ志向・オリジナル曲を中心にこれから活動します。」というような文面を書き、貼ってもらいました。

「当方完全プロ志向」というのが、当時のバンドのメンバー募集の決まり文句のようなもので、中には、「完全プロ志向!当方ヴォーカル、全パート募集!」という、ようするにカラオケのオケが欲しいんじゃないの?的な、張り紙もたくさん見てきましたけど、私だって人のことは笑えません。

だって、楽器弾けんくせにバンドのメンバー募集するんだから、いい度胸です。

当時は、真剣に自分たちのオリジナル曲が世に出るとどんなに良いだろうと思っていたのです。

この張り紙を掲出してから、1日か2日後の夜、早速キーボードでバンドに加入したいという人から電話がかかってました。

「はじめまして、ミズオカです」

この電話の声の主こそが、現在ジャズピアニストとして活躍中の水岡のぶゆき氏、その人だったのです。

結成

電話がかかってきた日は、おそらく火曜日か水曜日だったと思います。

ですので、ミズオカ君とは、数日後の土曜日、渋谷にあるペンタというスタジオで深夜パックを利用して午前0時から、翌朝の5時頃まで音を合わせてみましょう、ということになりました。

しかし、いきなりスタジオに入る前に、どこかで軽くお話をした上で、スタジオに入りませんか?ということになり、待ち合わせ時間は、スタジオに入る2~3時間前にしました。

待ち合わせ場所は渋谷のハチ公前ではなく、ハチ公広場の宝くじ売り場の小屋の横ということにしました。

そのほうがピンポイントで初対面の相手を発見しやすかったのです。

ベースを買いたての私は、スタジオに入るまでの数日間、慌ててベースの練習をしました。

チューニングの仕方を覚え、音の位置を5フレットぐらいまでは覚え、リズムに合わせてベースを弾けるよう、CDに合わせて練習しました。

その時に練習曲として使った曲がBOOWYの《B・BLue》と《Only You》でした。

両方とも『ビート・エモーション』というアルバムに収録されている曲です。

一部を除けば、ほとんどが8分音符弾きのベースラインだというのが、選曲の理由です。

まずは、リズムがヘタらず、指が疲れることなく、最後まで弾き通せることを目標に練習をしました。

ミズオカ君とは、互いのオリジナル曲を持ち寄って、とりあえずセッションみたいなカタチにしましょうということにしていたのですが、ミズオカ君はどのようなオリジナル曲を持ってくるのかは分かりません。

もしかしたら、とてつもなく難しい曲を持ってきたらどうしよう?

でも、いいや、どんな曲を持ってきても、ぜーんぶルートの8分音符弾きでゴマカしちゃえ!
そう腹を括りました。

初音合わせ

そして、当日の土曜日。

アオキ君がアルバイトをしている体育センターまでアオキ君を迎えに行き、仕事が終わったアオキ君と一緒に、渋谷の約束の場所へ。

ミズオカ君はすぐに分かりました。

私と同い年とは思えぬほど落ち着いた物腰の人で、とても礼儀正しい人だなというのが第一印象でした。

そのまま、近くの居酒屋に移動し、スタジオを予約している時間の30分前まで音楽の話で盛り上がりました。

ミズオカ君と話して分かったことは、とにかく音楽の好みが「雑食」だということ。

ピアノはクラシックからスタートしていますが、ポップスもジャズも聴くし、オリジナルもいっぱい書いているとのこと。

「ジャズ」という言葉にピクンと反応した私は、ジャズは誰が好きなのかと尋ねてみたところ、ヴォーカルが好きで、特にサラ・ヴォーンが好きということでした。

でも、ジャズ一辺倒というわけではなく、ジャズ特有の「辛気臭さ」が苦手みたいなことも話していましたね。

この「辛気臭い」という言葉にアオキ君が「そうそう」とうなずき、私の顔を見てニヤニヤしていたことをなぜか覚えています。

そして、スタジオに移動。

ミズオカ君はスタジオでレンタルしたエレピとキーボードをセッティング。

アオキ君はマイクとギターをセッティング。

そして、私は初めて目にする巨大なベースアンプを前に、テキトーにセッティングをしました。

テキトーというよりかは、セッティングの仕方が分からなかったのです。

低音が欲しいから、BASSを10にし(フルテン)、でも、音の輪郭も強調したいからTREBLEも10にし(フルテン)、でも、中域もないよりはあったほうが良いから、MIDDLEも10にし(フルテン)という、今考えれば、アホなセッティングをしたものです。

最初に音を出したら、ドラムセットの皮やスネアのスナッピーが振動しまくり、さらにスタジオ全体が微妙に揺れた感じがしたので、あわててマスターボリュームを下げました。

ミズオカ君は丁寧に五線紙に書かれた譜面を我々に配り、アオキ君は歌詞の上にコードネームがかかれた紙をミズオカ君に私、私もアオキ君と同じく歌詞の上にコード表記だけをした紙をミズオカ君に渡しました。

どの曲をどういう順番で、どんな風に演奏したのかは、まったく覚えていません。

しかし、今でも鮮烈に記憶が蘇ってくるのは、とにかくミズオカ君のピアノが「綺麗」だということです。

それは、タッチでもあり、ハーモニーでもあり、さらに音を鳴らすタイミングであったりと、様々な要素が絶妙にブレンドされた結果、一言「綺麗」としか言いようのないピアノを奏でていました。

当時の私のピアノは、鉈で薪を割るような感じの乱暴かつ力任せなピアノだったのですが、そんな自分が恥ずかしくなってしまうほど、ミズオカ君が奏でる、まるで絹をやわらかく撫でるようなピアノは、空間を蕩けさせるほどの威力を有していました。

それから2~3ヶ月後、私はミズオカ君に「レッド・ガーランド知ってる?」と聴いたら、「知らない」というので、バド・パウエルやセロニアス・モンクやビル・エヴァンスなどジャズピアノの大御所たちのCDの中に、レッド・ガーランドの『グルーヴィ』を混ぜて彼に貸したのですが、感想を聞くと、やはりというか、真っ先に「レッド・ガーランドが凄くイイ」という反応でした。

他のCDの感想を聞いても、「いやぁ、レッド・ガーランド、タッチが綺麗だ、ハーモニーがいい」などと、レッド・ガーランドの感想ばかりだったことを覚えています。

やはり、ハーモニーもタッチ美しいピアノを弾くミズオカ君が好むピアニストは、レッド・ガーランドなんだなと、こちらの読みが的中してニンマリとした記憶があります。

さて、スタジオでの音合わせに話しを戻します。

三者三様、作風もバラバラな曲を順ぐりに演奏していくうちに、少しずつ今後のバンドのレパートリーにする曲が決まってきました。

アオキ君が作詞作曲した《スマイル》、《セシリアの涙》。

ミズオカ君が作詞作曲した《シーサイド・メモリー》に《セプテンバー》。

そして、私が作曲した《傷心の作り方》。

「傷心の作り方」とは、片岡義男の短編集『微笑の育て方』に収録されている短編作品なのですが、これに触発されて曲だけを作り、あとはアオキ君に歌詞をつけてもらいました。

私、今も昔も照れくさくて、色恋沙汰の歌詞を書くことができないんですよ。

だから、アオキ君に「タイトルは《傷心の作り方》にしたいんだけど、歌詞の内容は、傷心っぽさが出ればテキトーでいいよ」というようなことを言って歌詞を書いてもらいました。

歌詞の内容は、バイク乗りのアオキ君らしく、彼女と微妙にうまく噛みあわない男が湾岸バイパスをバイクでぶっ飛ばすみたいな内容だったと思います。

で、私が弾く超初心者ベースはどうだったのかというと、なんとか合わせることが出来ました。

おそらく、アオキ君が持ってきた曲も、ミズオカ君が持ってきた曲もバラード系が多かったので、ルートの8分音符弾きどころか、ルートの全音符をボーンと鳴らしているだけで、なんとかそれっぽく聴こえたので、非常に助かりました。

反面、肝心の私の曲である《傷心の作り方》が、リズムチェンジはするは、コードチェンジが早いわで、もっとも苦労したことを覚えています。

そんなこんな音合わせをしているうちに、いつしか夜も明け、スタジオのレンタル時間も終了。

近所の喫茶店で朝食を食べながら、また翌週、同じ時間、同じ場所で練習しようということになりました。

バンド名は「ディファレンシア」にしたいという私のリクエスト、ミズオカ君は快くOKしてくれたのが嬉しかったですね。

ドラマー参加

翌週の練習日の時は、私は大学のジャズ研で知りあったドラマーを連れて行きました。

彼はジャズ研に入部しながらも、大がつくほどのビートルズマニアで、特に、リンゴ・スターのシンプルだけども、シンプルな中に味わいのあるドラムが大好きだったのです。

実際、彼が叩き出す8ビートは、非常に堅実で、派手なことは一切やらないぶん、共演者を引き立てる柔軟性があると感じたんですね。

特に、私が魅了されたミズオカ君が奏でるピアノのハーモニーを壊さないドラミングをしてくれると確信したので、すでに彼を「ディファレンシア」のドラマーにするつもりでいました。

アオキ君やミズオカ君とすぐに打ち解けたドラマー君は、もうスタジオに入って数分後には、「ディファレンシア」の一員となっていました。

シーサイド・メモリー

さて、ミズオカ君が作った《シーサイド・メモリー》。

この曲は、とても美しくてドラマティックなナンバーなので、私としては凝ったアレンジで演奏するべきだと考えていたのですが、ミズオカ君的には、ベースはルートの8分音符弾きでOK、ドラムスもステディな8ビートでOKとのことでした。

ええ、本当にいいの?と念を押すと、前のバンドで使っていた譜面を見せてくれました。

たしかに、ベースラインはルートの8分弾きだし、ドラムスは8ビートになっています。

単調すぎるぐらいのリズムがバックで鳴っていたほうが、ピアノのハーモニーが映えるという計算だったのかもしれません。

そんなミズオカ君の思いを汲み取り、私はちょこっとオカズめいたフレーズを要所要所に入れる以外は地味なルート弾きに徹し、そのかわり、サビの後のピアノソロのところだけは、曲のテイストを損なわない程度に、自分なりに作ったベースラインを挿入することにしました。

この私が作ったベースラインをミズオカ君に「いいですね」と言われたときは嬉しかったな。

それと、いつの間にか楽器歴が一番浅く、一番ヘタクソな私が「ディファレンシア」のリーダーになっちゃっていて、アオキ君もミズオカ君も全面的にアレンジなどは私の意見に従うと言ってくれたので、私は思い切って、「《シーサイド・メモリー》は、ギターなしにしよう!」と提案しました。

どうも歌いながら弾くアオキ君のギターのパワーコードと、繊細なミズオカ君が奏でるピアノのハーモニーがぶつかってしまっているようで、だったら、思い切ってギターを抜いてしまったほうが、ミズオカ君のエレピの繊細さが際立つと思ったからです。

別に『バグズ・グルーヴ』で、マイルス・デイヴィスが「俺がトランペットを吹いている間はピアノを弾くな」とセロニアス・モンクに命令したエピソードを真似したわけじゃないですよ。

単純に、ハーモニーのぶつかり合いが、この曲に限っていえば、良くない方向に作用しているんじゃないかと直感的に感じたからなのです。

ギターと歌が一心同体だったアオキ君はイヤな顔をするかなと思ったのですが、意外と素直に「んじゃ、俺は歌に専念するわ」と言って、この曲はギターを置いてヴォーカルに徹してくれました。

その時に演奏したものをカセットテープに録音した音源が、YouTubeにアップした下の映像です。

いつもの私は、フレットレスを弾いていたのですが、なぜかこの時のリハに限っては、友人から借りたフェンダージャパンのボクサーというベースを弾いています。

このベース、スラップの音が弾いていてとても気持ちが良いのですよ。

なので、調子に乗って、演奏の何箇所かで「ベキッ!」と思わずチョッパー(スラップ)をかましてしまっています。

本来であれば曲のイメージを損ないかねないアタック音、今聴き返しても、これはちょっと調子に乗りすぎたなと反省することしきりです。

美しいピアノ

この曲の聴きどころは、1にも2にもミズオカ君のピアノの美しさだと思います。

現在はプロピアニストとして活動中の彼ですが、すでに学生時代から、普通のアマチュアピアニストにはない、人をひきつける「何か」を持っていたことは確かです。

解散

この後、ほどなくしてバンドは解散。

それからはミズオカ君に1~2回会ってジャズのセッションをしたことを除けば、およそ十数年の間、私とミズオカ君とは音信不通状態が続きました。

再開

何年か前に、私がFM局でラジオ番組を持たせていただき、ミズオカ君をゲストにお呼びました。

20年以上ぶりの再会!

なんか、久々にお会いしたミズオカ君は、ウルトラマンに変身するハヤタ隊員みたいになっていたぞ(笑)!

SANYO DIGITAL CAMERA

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そして、それこそ、かれこれ20年近くぶりにミズオカ君のキーボードと、私のエレキベースが東京FMの狭いスタジオ内で交錯することになりましたが、その時のミズオカ君の鍵盤は強くなっていた。

その時の番組の音源です。

番組前半での私との会話で、ミズオカ君は「ディファレンシア」時代のこと、彼の記憶の中からスッポリ抜け落ちていることが発覚!

うーん、それはかなり残念ですが(涙)、とにもかくにも番組終盤の《枯葉》を聴いてちょ!

あのときの、そう《シーサイド・メモリー》の時のイメージとはまったく異なる、しっかりと骨格のあるタッチ、自信と確信に満ちたフレージングとハーモニーが私が繰り出す貧弱ベースの上に覆いかぶさってきて、当たり前すぎることではあるのですが「さすがプロ!」と驚嘆することしきりでした。

それはそうですよね。

20年といえば、赤ちゃんが大学生になるほどの歳月です。

赤ちゃんの時の印象を記憶を持ち続けたまま、いきなり成人した人物に出会えば、そりゃあビックラこくのが当然です。

もちろん、現在、プロとして活躍している現在のミズオカ君のピアノも素晴らしいです。

しかし、力強くプレゼンテーション力のあるピアノを弾く現在の彼にも、こんなにデリケートである意味、若さ特有のモロさが滲み出ているピアノを聴くたびに、おそらく、こういうピアノは彼のピアノ人生の中の貴重な1コマだったんじゃないかと思うわけです。

記:2016/02/06

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