反逆する夢の中、あるいは過去の風景 2001/10/29

子供の頃の私は、父の仕事の関係で、名古屋、大阪を2箇所、東京の下町と、4つの小学校を転々とした、いわゆる転校生だったのだが、小学校4年の10月から卒業するまでに通った東京の下町の小学校の2年と数ヶ月は、一つとして良い思い出がなく、別にイジメられたり仲間外れにされていたわけでは無いのだが、小学校ではクラスメートや教師どもとはそりが合わず、通っていた塾は殺伐として友達が出来ず(その前に通っていた塾は友達が多かったがレベルアップした途端ガリ勉君ばかりになってしまったので)、住んでいた周りの環境も妙に寂れている上に、息が詰まるほどの閉塞された空間だったので、自分を取り巻く周囲の環境が大嫌いだったためか、今でもその時のドンヨリした陰鬱で暗澹とした風景は、しばしば私の夢の中にあらわれ、必死に脱出しようともがくのだが、結局脱出はかなわないまま絶望的な気持ちになり、汗をグッショリとかいた状態で眼が覚め、夢だったことに心底安堵するといったことを、かれこれ20年近くも繰り返していたので、いい加減、拭い切れない過去の呪縛から解放されなきゃイカンと思って、今日は会社を早めに切り上げ(といっても9時近くだが)、いくつかの地下鉄と私鉄を乗り継いで、実に20年ぶりに、小学校の4、5、6年生の時期を過ごした問題の土地へ向かった。

鄙びた駅前も、活気の無い商店街も、閑散として人が一人も歩いていない不気味な静けさの漂う古い住宅街(何故か電気がついている家があまりない)も、小学校のクラスメートの家々も、そして20年前に引っ越した私たちが住んでいた家も、何ひとつ変わっていず、ただ20年もの時間の埃だけがうっすらと溜まって、少しだけくたびれているだけだった。

夢で感じる不快感は、あくまで夢の中だけで感じるものだが、現実の風景の中に身を置くと、夢と記憶の中の不快感がいっそう増幅された状態になり、「今、オレは本当に“此処”にいるのだろうか?」「オレだけが本当で、周囲の風景は夢の中に出てくる20年前の記憶の中の再生なんじゃないのか?」と考えているうちに、全身に悪寒が走り、背中にべっとりと冷や汗が滲み出てきて、両耳の奥で耳鳴りがし、足がだんだんと痺れはじめ、頬はこわばって引き攣りはじめ、普段は縁の無い頭痛までが襲ってきたのだが、それでも頑張って、隣の駅まで延々と歩き、駅前で転がりこむようにタクシーに乗って逃げるように帰宅したのだが、20年前の風景と忌まわしい記憶に対して復讐するつもりが、逆に復讐された形となってしまった。

三文日記

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