『ALWAYS 三丁目の夕日』の良さは、ノスタルジーによるものではない。

      2018/01/09

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『三丁目の夕日』の「ジーン」

今日は、雨で特にすることもないので、レンタルビデオ屋で借りてきた『ALWAYS 三丁目の夕日』をコーヒーと黒糖かりんとうを食べながら観た。

ベタなストーリーながらも、演出と音楽の挿入が効果的で、不覚にもジーンときた。

しかし、この「ジーン」は、あの時代のほうが今よりもいいという単純な比較からくる憧れやノスタルジーからくるものではない。

たぶん私はハミ出し者だっただろう

なにせ、この時代、昭和33年には私はまだ生まれていのでノスタルジーなど感じようもなく、 私にとっては、ボットン便所ではなくウォッシュレットがあり、ネットで気軽に自己表現が出来る今の時代のほうがイイ時代に決まっている。

また、近所づきあいが生きていた時代=触れ合いがあって良かったね とも思わない。

日本はまだ貧しく、隣近所と助け合いをせざるを得ない時代といったほうが正しく、あかの他人との距離が今よりも近かったと言えば聞こえは良いかもしれないが、裏を返せば、人付き合いの選択肢を自らが下すことが出来ない状況だったともいえ、気の合う者同士なら良いが、イヤな相手、付き合いたくもない隣人が近所にいた場合でも、我慢して付き合いを維持せざるを得ない状況だったともいえる。

今のネット社会のように、同じ嗜好を持つ仲間をカンタンに見つけられるインフラが整っていない時代だったからね。

もし、私が昭和33年の東京下町で、ジャズ好きが一人もいないような環境でジャズばかり聴いていたら、きっと町内の変わり者だっただろうし、そういう扱いを受けていただろう。

ジャズ喫茶のある街に頻繁に通うしかなかっただろうし、隣近所の付き合いが濃厚ということは、要するにプライバシーが筒抜けな環境でもあったわけだから、私は、きっと怪しげな場所に頻繁に出入りしている変わり者と烙印を押され、ますます住みづらくなっていたかもしれない。

今の方が人付き合いもコントロールできて便利

今なら、同好の志が一人も町内にいなくても、カンタンにネットで見つけることが出来るし、時には、関西、北海道、ひいてはアメリカ、イギリスと、ワールドワイドの規模で交流が持てるので、対人関係の選択肢も広まり、なおかつ、そういうマニアな人種とは、たまに会うのはいいが、毎日顔を突き合わすのもちょっとツラかったりすることもあるので、気が合うんだけれども、月に一回会えばいいや、とか、年に1度会えばいいや、という距離感をおきたい人も中にはいるわけで、そういう人たちとは、たまにオフ会を催したりすることによって、会う回数も自分裁量で自由にコントロールすることがその気になれば出来る。

つまり、人と人の距離感までもが、(面倒ではあるが)自分でカスタマイズできるという、なんて便利な時代なんでしょ? と私は思っている。

しかし、この映画で描かれている昭和33年の世界は、交友関係の選択権が今ほど幅が広かったとは言えず、いってみれば都市部においても、ムラ社会の名残りが色濃かったことが見て取れる。

昔は良かったね?

それを良しとするか、鬱陶しいとするかは人それぞれだが、『三丁目の夕日』の良さを「人と人との繫がりの濃さ」に挙げる人が多いということは、やはり多くの人は、ムラ的な社会のほうが居心地良しと潜在的に感じている人が多いということだろうし、だとすれば、まさにこの映画のヒットは、21世紀になっても、昭和30年代に生まれていない新しい世代が見ても、あいも変わらずムラ社会的コミュニティに居心地の良さを感じる農耕民族ニッポン人のDNAを刺激したことの証明だろう。

私が感じた「じーん」は、あくまで、演出、グラフィック、役者の演技の良さから来るものだ。

私は、藤沢周平や池波正太郎の人情味溢れる江戸が舞台の短編がいくら良いからといって、「江戸時代の人情はいいねぇ。やっぱり、あの時代に戻るべきだよ」とは思わない。 良いと感じたのは、あくまで作者の筆致であり、ストーリーであって江戸時代が良いわけではないからだ。

『三丁目の夕日』も同様。混同している人も多いかもしれないが、良かったのは、あくまで映画という作品なのであり、昭和33年そのものが良かったとは限らないということだ。

しかし、あたかも、「人の繋がりが希薄な現代と違って昔は暖かくてよかったね」と鑑賞者に感じさせてしまう、作り手のガイドラインに則った感動を覚える人が私の周囲には多いように感じる。

それに対して私はどうこう言うつもりもない。

もとより、「携帯もパソコンもTVもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう。」というのがこの映画のキャッチコピーなのだ。

つまり、最初からこの作品の感動の方向性は、現代のニッポンへのアンチテーゼが込められているわけで、まさに「人の繫がりが云々」で感動している人たちは、送り手が目論む感動のガイドラインに則った感動をしてくれる「素直で従順な鑑賞者たち」なのだと思う。

だから、「この映画イイよ、現代人が失った何かが昭和30年代にはあったんだよ」と『三丁目の夕日』を語る彼らの気持ちも分からないでもない。

寂しい人が多いのかな?

しかし、少々気になるのは、おしなべて「今と違って昔は人と人の繋がりがあってよかった」が感動の理由とする人の多くが、ワールドカップの時には、大画面テレビでサッカー試合の放送をしているビアパブのような場所へ行き、青いユニフォームに着替え、顔にペイントをし、見知らぬ隣同士で肩を組みあって、「ニッポンガンバレ!」と歓声を上げて、「ああ、あのときは楽しかったね。見知らぬ人同士と感動を共有できた!」と喜んでいた人ばかりなのはいったいどういうわけだろう?

ワールドカップ観戦よろしく、大勢で肩を寄せ合って、今度は力道山の空手チョップで感動したいってわけでもないだろうが、しかし、そういう人たちの常套句が「あかの他人同士がお互い肩を寄せ合って、ひとつのものを共有する喜び」なのだという。

寂しいのか?(笑)

私は、寂しくも淋しくもない人間なので、わざわざ好き好んで、自分の好きなことを見知らぬ他人と共有しようという発想がまったく分からない。

分かろうとも思わないから、そういう人たちの行動原理が「寂しさ」から来るものかどうかも、断定は出来ないのだが、寂しくない人がわざわざ好き好んで「人と人との繋がり」という言葉を連発するとも思えない。

私の場合は、好きなことは、自分一人で、自分だけの贅沢時間として満喫したいと思っている。

あるいは、対象によっては、好きなことは、好きな人とだけ一緒に共有したい。

幸い私には、家族含め、そのような人が何人かいてくれるし、頑張ればそのような愉しみの時間を作り出せるだけの環境がある。

だから、昔は他人との繋がりが濃かったけど、今は薄いとも思っていないし、第一、人と人との繋がりは、自らが歩み寄れば、昔と違って幅広いエリア、世代、地域から得ることも可能になっているわけで、便利か不便利かの二者択一で言うならば、昔よりもはるかに便利な時代だと思うのだが、如何なものなのだろうか? 

今の時代の方が良い

もっとも、自ら求めて、行動すれば、の話だけどもね。

何もせずに、ただ引きこもっているだけの者の嘆き節や昭和と比較した現代批判などは聞く耳もたん(笑)。

冷蔵庫もテレビもエアコンも珍しかった時代、ネットもなく、それ以前に携帯電話もパソコンもなかった時代よりも、今の時代のほうが便利でいい時代に決まっている。

ジャズのレコードが当時の物価からすれば異常に高かった当時よりも、今では1000円ちょっとの超低価格で手に入ってしまう21世紀の今のほうが、恵まれた時代だと思う。

……オレにとっては、だよ。

こんな物質的にも世の中の状況的にも恵まれた時代なんだから、私はそれらをフル活用して、駆使しまくって、好きなものだけ選択して、嫌いなものは切り捨てて、楽しく面白おかしく生きていくつもりだし、実際そうしているつもりだが、もっと拍車をかけてゆきたい。

そして、仮に対人関係でうまくいかないことがあっても、決して「今の時代」に責任を転嫁したりはしないだろう。悪いのは、俺なんだから。物の豊かさでも社会的インフラのせいであるはずがない。

ましてや、「昭和30年代は良かった」などと、あらぬ時代への逃避もしないだろう。そういう奴は、昭和30年代に生まれていたらいたで、戦前の大正デモクラシーの時代は良かったと言い出すに決まっているのだ。

「昔」に逃げてない?

対人関係は、時代の状況、背景が生み出すものではない。多少あるかもしれないが、それは受身の発想。本当の繫がり、絆というのは、自分で働きかけ、築き上げてゆくしかないのだ。

人付き合いが苦手な人は、現代だろうが、昭和30年代だろうが一緒。
時代背景に逃げてはいけない。

『ALWAYS 三丁目の夕日』は“作品として”とても良い映画だったが、だからといってそれを引き合いにして、今の時代がどうの、昭和の時代がどうのこうのと無いものネダリをしたり、振り返ったりしているヒマは今の私には残念ながらない。

むしろ、「2007年は良い時代だったね」と、50年後の人から言われるような生き方をしたらどうだ? と思ふ

もちろん、作品としての『三丁目の夕日』は、グラフィックといい、話の運び方のテンポ感といい、心憎いまでにツボを抑えた秀作だとは思うが。

記:2007/09/30

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