グレイテスト・ヒッツ/ラブサイケデリコ

   

THE GREATEST HITS
THE GREATEST HITS/LOVE PSYCHEDELICO

軽やかに物憂げポップ、クセになる

ちょっとした仕事の関係でラブサイケデリコを聴くようになったのはかれこれ2~3ヶ月ほど前のこと。
ジャケットのグラフィックがなかなか良い上に、音楽自体も相当クセになる。

耳に残って離れないサウンドは、言い方は悪いが、ゲップの出ないハラ八分目のカッコ良さだ。

お腹一杯にならないからこそ、飽きずにリピートすることが出来るのだ。

よく語られることの一つにアルバムのタイトルがある。

1枚目のアルバムにして『The Greatest Hits』だということ。

そうとう自嘲気味になっているのか、あるいは諧謔精神に富んだイカガワシサをも売りにしたユニットなのかなとも最初は思っていた。

ところが、毎日繰り返して聴いているうちに(そう、なんだかんだで毎日飽きることなく聴いている)、そうでもないんじゃないか、とも思うようになってきた。

彼らは本気なのだ。自分の表現に100%自信を持っているからこそ、そして彼らなりの洒落っ気と照れも入り混じった結果のネーミングなのではないか?

彼らはウマイ。

Kumiのネイティブな発音のボーカルや、佐藤直樹のギターや作曲がとりわけ、というわけではなく、全部がウマイ。

このウマさは、編集センス、とでも言うべきか。非常にしたたかな音の作り込みだと思う。

《Lady Madonna~憂鬱なるスパイダー~》といえば、曲全体を貫く「例のリフ」が真っ先に思い浮かぶ人も多いことと思う。

あのリフからにして古くはビートルズ(Money~That's What I Want)から、最近では森高千里(ごきげんな朝)までもが使用した、いわゆる典型的なロックの常套句とでも呼ぶべき手垢のつきまくったフレーズだ。

しかし、この曲のリフはまるで《Lady Madonna~憂鬱なるスパイダー~》のためにこの世で始めて生み出されたリフだと錯覚させてしまうほどサウンドに説得力がある。

このリフに限らず、アルバムのあらゆるところに「デジャブ感」を催す「どこかで聴いたことがあるんだけどなぁ」と思わせるサウンドピースがいたるところに散りばめられている。

これは、彼らのバックグラウンドとなるアーティストがストーンズやツェッペリンといった古き良きロック、あるいは最近だとシェリル・クロウだということも無関係ではないとは思うが、肝心なことは、たとえカタチが似ていても、ラブ・サイケデリコの音楽は他のどのロックにも似ていないということ。彼らなりの料理の施し方がウマい。

ハッキリ言って、音楽的には新しいことは、ほとんどやってないと思う。

そのかわり、目からウロコなのは、同じものでも角度を変えれば違って見えます的な手法が積極的に取り入れられて、それがある種の新しさなのかもしれない。

着ているものは古着なんだけど、新しい着こなしを見せつけられているような、そんな感じ。

アルバム全体を貫く物憂げなトーン。

うるさすぎないギター、曲によってはアコースティックを使っているにもかかわらず、強烈に漂うロック臭さ。

しかし、それでいて、一個一個の楽器が頑張りすぎていない。自己主張をしすぎない。あくまでアンサンブルの一パーツに徹している。一音一音がストイックなまでにの抑制されている。

この手のサウンドはボーカルがもう少し奥に引っ込むようなバランスでミックスされるものだが、ラブ・サイケデリコは通常よりもボーカルが前に出てきている。

サロン・ミュージックも一時期、竹中仁美のボーカルにエフェクトをかけていたが、曲によっては同じような効果のエフェクトを控えめにかけ、主に「sh」の発音の余韻を際だたせる手法。

決して露骨ではなく、さり気なく薄くシンセをかぶせるアレンジ。 イヤミにならないコーラスと、それを巧みに挿入する曲のポイント。

心地よくリスナーの耳をくすぐる聴かせ方。

非常にかゆいところをついたサウンドメイキングだ。

大感動の嵐という世界ではないが、その逆でむしろアッサリと素っ気ないぐらいにクールでダークな世界が冒頭に書いた腹八分目のカッコ良さを感じさせ、故に毎日聴かせてしまうのだと思う。

秋頃にまた新しいアルバムを出すらしいが、2枚目のアルバムも今から楽しみだ。

『グレイテスト・ヒッツ』の次のタイトルは一体何だろ?

ところで、サウンド面は格好良く、興味の尽きないラブ・サイケデリコだが、プロモーション・ビデオに関しては個人的にはあまりいただけなかった。

彼らのプロモーション映像は平坦でのっぺりとしすぎ。想像力がふくらまない。

椎名林檎のプロモーション・ビデオを引き合いに出すのもヘンな話しだが、彼女のプロモ映像は一曲一曲が制作者の「この曲はこう撮りたい!」という意志が明確に伝わってくる。

ちょっとしたお遊びやイタズラに付き合わされたり、自分のイメージする曲のイメージとかけ離れていたとしても(たとえば《アイデンティティ》や《闇に降る雨》)、送り手の明確な「意図」のようなものはハッキリと伝わってくる。

しかし、ラブ・サイケデリコの映像からはそのような意志はほとんど感じられない。

街の中や、ガレージや、ホテルのバスルームや、アジアのどこかの国の人混みの中で、「ただ立って歌っている」様子をコラージュ風に淡々と繋げているだけ。

もしかしたら、受け手側に特定なイメージや色を押しつけないフラットな作りにすることが制作者の意図するところなのかもしれないが、個人的にはあまり面白くなかった。

映像はいらない。音楽の方だけ繰り返し聞ければいいや、って感じです。

以下、余談。

深夜《憂鬱なるスパイダー》をかけていたら、女房が「《仙波山》みたいだね、サビのところ」と言った。

サビに移り変わったところに合わせて、

♪仙波山にはタヌキがおってさ~、それを猟師が鉄砲で撃ってさ~
と口ずさむとピッタリとはまる。

ただそれだけの話しです、ハイ。

記:2001/02/12

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