マイルス「夜明け前のヘタくそ」時代

   

村井康司氏、必殺の一文

月刊『PLAY BOY』の今月号はマイルス特集、チェックしました?

そう、今年はマイルス生誕80周年なんだよね。

充実した記事。
写真も充実。
なかなか楽しめる特集だった。
(写真といえば、カークとマイルスの2ショットの写真がカッコいい!)

さて、個人的に「おぉ!」となったのが、村井康司氏の一文。

これは、「伝説の2大ケンカの謎を解く」という記事中の、マイルスとウイントンの確執についての考察だが、最後の一文が素晴らしい。

引用しちゃいましょう。

ウイントンはジャック・ジョンソンの時代の音楽に「似ること」を考え、マイルスは自分自身がジャック・ジョンソンに「なること」を考えたのだ。

端的かつ簡潔に両ジャズマンの違いを示した素晴らしい一文だと思う。

しかも、この「必殺フレーズ」を記事の締めの箇所で放つところがニクい(笑)。

良い弾き手は良い書き手

村井さんはジャズ評論家であると同時にギター奏者でもある。

まだ、村井さんの演奏を聴いたことはないのだが(村井さんのビッグバンドのライブ見に行かなくちゃなぁ)、きっと巧いギタリストなのだろう。

いや、もしかしたら本人は「そんなことはないよ」と謙遜されるかもしれないが、楽器を操る技量の巧拙とは関係なしに、「聴かせる」プレイをするギタリストなんだろうなぁと勝手に推測。
だって、演奏と文章ってリンクするところがあるから。

私もヘタの横好きながらも、文章も楽器も両方やっているけれども、その両者に求められる大切な要素って、相手にどう訴えるかということ。

テクニック、楽器操作の巧みさというのは、演奏においては「点」の要素。
もちろん、「点」も大切な要素だが、「点」のみを優先にさせるとテクニック重視な演奏に偏りそう。
演奏全体をどう聴かせるかという「線」あるいは「面」の要素を考える視点も必要なのだ。

文章も同様だ。

全体を通して何を訴えるか、どういう構成にするのかという視線は必要だ。「点」のレベルで優れたレトリックや気の利いた表現をしたとしても、文章全体の構成がイマイチだと読者への訴求力は弱くなる。

これは私の仮説だが、良い書き手は、良い演奏者である可能性が高いのでは? と思う。

もちろん、楽器をやっていなくても、「読ませる」文章を書く人は、楽器を習得すれば、味のあるプレイをする可能性が高いのではないか、と。

ネットサーフィンをしていると、時々「読ませる文章」を見つけるが、もしこの書き手が楽器を演奏したらどんなプレイをするのかな? などと勝手に妄想している私。

逆に楽器をやっている人の文章にも興味がある。
面識のある人の場合、必ずしも演奏内容と文章は完璧にリンクするわけでもないが、やっぱり傾向というものはあるようだ。
たとえば、クドい文章の人は、やっぱり演奏もクドいとか(笑)。
ソロが支離滅裂な人は、文章も脈絡がないとか。あ、それはオレだ(涙)。

マイルス「夜明け前のヘタ」

話は「点」と「線」に戻るが(松本清張みたいだな)、初期のマイルスのプレイは、自分の演奏能力、すなわち「点」を、たくみに「線」へと落とし込んでいたのだなと、今日、改めて思った(笑)。

田町のグランパークタワー。博報堂が入っているビルだけれども、そこの1Fにあるタリーズコーヒーで人を待っていた私。

そこで流れているBGMが、延々とサヴォイのチャーリー・パーカーの《ナウズ・ザ・タイム》なのよ。
館内の環境のせいもあってか、エコーがかかり気味の音で聴こえる《ナウズ・ザ・タイム》は普段聴き慣れた演奏内容とはまた違った響きとなって聞こえてきた。

しかも延々とリピートされて聴こえてくるのだよ。かれこれ10回ぐらいはコーヒー飲みながら聴いていた。
でも、ま、嫌いな演奏じゃないからイイんだけれどもね。

さらに、1時間後、打ち合わせを終えて同じ場所に戻ると、まだ同じ《ナウズ・ザ・タイム》が流れていた(笑)。

そこで、マイルスのソロを耳で追いかけながら感じたのは、「やっぱり、この時期のマイルスのラッパはヘタだなぁ」と(笑)。

音を節約している、というと聞こえはいいが、今のレベルではコレが精一杯というニュアンスも感じられる。

しかし、ヘタはヘタでも、単なるヘタではなく、自分で何かを生み出そうとしている過程でのヘタだということが分かる。

つまり、夜明け前のヘタ(笑)。
マイルスは一生懸命考えて吹いている。

現時点の技量で出来うる最大のことは何なのか、と。

ヘタはヘタなりに、自分のキャパの狭さ、数少ない持ち駒を上手に演奏の中で配分しようとしている意思が強く感じられるのだ。
技術が3だったら3をうまく時間の中に配分する意思。
少ない「点」を、上手に「線」の中で生かそうとする心意気。

だから、マイルスは後年、キャパが10になっても、あるいはメンバーに恵まれてグループとしてのキャパが100になっても、それ相応の配分を上手にこなし、数々の傑作を生み出せたのだと思う。

さて、またもや話が「楽器と文章の関係性」に戻るが(笑)、ここまでお読みになった方はお分かりのことだろう。構成を考えずに、だらだらと思いついた内容を思いついた順で書き連ねてゆく私の文章には「線」の視線が欠如している。

つまり、私は、楽器の演奏もへたっぴーってことですね(笑)。

記:2006/06/26

関連記事

>>ファースト・マイルス/マイルス・デイヴィス
>>サヴォイ・オン・マスターテイクス/チャーリー・パーカー

 - ジャズ