映画版『奈緒子』鑑賞記

      2021/02/03

映画批評サイトに「イントロ」に、先週土曜日から公開がはじまった『奈緒子』という映画の感想文が掲載されました。

▼ごらんになってください。
上野樹里目当てで観に行くと肩透かしをくらうかも。

よくも悪くも、原作の漫画が換骨奪胎されており、それをどう捉えるかは、きっと、観る人次第で評価がガラリと変わる映画だと思います。

原作の漫画ではきわめて重要な描写、「ある部分」を削ぎ落とし、かわりに、映画ならではのオリジナルな話が盛り込まれており、きわめて、映画文脈に翻訳・脚色された作品だとは思いますが、「ある描写」がゴッソリと削ぎ落とされたためか、漫画独特の佇まいとはまったく違った灰色チックさの漂うテイストからカラリと晴れた青空テイストな作品となって生まれ変わって(?)いると感じます。

さて、そのある部分とは何でしょう?

▼書いてます(笑)
上野樹里目当てで観に行くと肩透かしをくらうかも。

一部だけ抜粋♪

雄介は走る。奈緒子は走らない。

走ることで移動を続ける雄介と、一箇所にとどまり雄介を案じる奈緒子。

この二人が物理的に接触する時間は、特に試合中においては一瞬でしかない。

奈緒子は応援者であり傍観者。たとえ(原作では)陸上の選手とはいえ、試合中に、いちいち雄介の走る姿を追いかけて応援するわけにはいかない(映画では追いかけるが)。

だから、二人をつなげる要素は、
気象、
ということになる。

空。天気。風。

これら自然現象が奈緒子と雄介をつなぐ重要な手段となる。

(中略)

逆にいえば、この奈緒子と雄介をつなぐ天候の要素があるからこそ、『奈緒子』という作品は好き嫌いがあるにせよ、単なるスポーツ漫画に終わらない、独特の雰囲気をたたえた作品となっていた。

そう、三浦しをんの『風が強く吹いている』じゃないですが、そう、「それ(ら)」がないんですよ。

あと、上野樹里の位置づけも、これも、観る人によって評価がだいぶ分かれるでしょうね。
原作を知った上で見ると、やっぱ、ちょっと、どうしても……、です、私は。

ただ、私は「のだめっぽくない上野樹里」、あるいは、「スゥイングガールズの鈴木友子っぽくない上野樹里」も嫌いではないので、『幸せのスイッチ』や『エンジン』ほど不機嫌でもなく、『冗談じゃないっ!』ほどノーテンキでもなく、『サマータイムマシン・ブルース』ほど普通っぽくもない、微妙なテンションと温度を保った女子高生役の上野樹里も、それはそれで悪くないとは思ってはいます。

ファンからしてみれば、「もうちっと、スポット当ててよ~」な作品かもしれません。

ただ、奈緒子の役は、べつに上野樹里じゃなくてもよかったのかな?というのも正直な感想。

良くも悪くも、彼女の根底にあるイメージって「健康的」というか「元気」なんですよね。
それはどんなに不機嫌な役やしおらしい役を演じたとしても。

「奈緒子」って、アスリートでありながらも、やはりどこか儚く触れたらヒビがはいてしまいそうな脆さ、そんな感じが漂っている女性なんですよね。

それって演技でカバーするというよりも、女優が最初から持っている存在感や佇まいのほうが大きいと思う。

記:2008/02/18

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