自分の意図や目論見とは違う評価を下すのが世間というものなのだ。

      2015/05/28

maru

昨日の夕方から夜にかけて、息子の小学校の体育館で「カラオケ大会」が催されました。

残念ながらシゴトで私は参加できませんでしたが、地域の、お爺さん、お婆さん、父兄なども大勢参加し、さながら年に一度の仮装祭りの様相で、かなりの盛り上がりだったようです。

小学生も何グループかカラオケに参加したのですが、ほとんどがグループ参加。

ソロで歌ったのは、小学校6年生のお兄ちゃんと、小学校2年生の息子の2名だったそうです。

「オレはボスタングのリーダーなんだから、リーダーとしてメンバーに恥じないよう、カラオケでウケを取らねばならない!」

と使命感に燃えていた息子。

ボスタングってバンドは、息子を除くとメンバーの平均年齢は30代後半なんですが、その30代後半のボンクラな男たち(笑)を束ねるのが、息子にとっては大きなミッションのようで、なんだかよく分からないけど、そういうセリフを吐くときの息子の目は心なしかキリッと凛々しく、そんな息子の顔を見ると、「リーダーの資質というのは、経験値や年齢とは無関係に、生まれつき持つ者と持たざる者とハッキリ分かれているのではないのだろうか?」などとどうでもいいことを考えてしまいます。

ま、そんなことはどうでもいいのですが、

使命感に燃えてカラオケのマイクを握った息子。

自分に注ぐ何百の目を相手に、彼らを笑わそうと真剣勝負を挑んだようですが、結果は惨敗……、だそうです、息子によると。

笑いはあまり取れなかった。

そのかわり、

「あの子はえらいねぇ。小さいのに、一人で人前で歌おうなんて肝が座ってるねぇ」

とか、

「引っ込み思案の子が多い中、一人で頑張る積極性が素晴らしい」

などと、予期せぬ反応だったのだそうです。

当然、歌が終わった後は、爺さん、婆さん、父兄に囲まれて、「ボクえらいねぇ」などと褒められたようですが、息子的には、「ちがうんだー!オレはお笑い芸人なんだぞー!」

つまり、観客の自分に対する評価は、自分のパフォーマンスの内容ではなく、心意気だったというところが息子にとっては面白くなかったようです。

しかし、

ま、

いいじゃないか、

人生、まだまだ先は長いのだ。

自分の意図や目論見とは違う評価を下すのが世間というものなのだ。

だいたい、作曲者や音楽家でも、本人は駄作や失敗作だと思ったものほど「代表作」とされることが多いのだ。

オレだって、軽い気持ちで書いた駄文ほど「あれ読んで感動しました」といわれることが多いのだから。そのかわり、練りに練って考えて書いたテキストにはリアクションはほとんどなかったりするもの。

今回のカラオケパフォーマンスで、またひとついい勉強したじゃないか。

と、言い聞かせてあげよう、あとで。

記:2007/09/16(from「趣味?ジャズと子育てです」)

 - 雑想 雑記