極めて優れた習作/ウェイン・ショーターの『ジュジュ』
ウェイン・ショーターの『ジュジュ』。
このアルバムの中でも、コルトレーンライクな直線的なアプローチをみせながらも、コルトレーン特有の硬さとは違い、ショーターとしか言いようのない楕円形な柔らかさで旋廻してゆく《イエス・オア・ノー》が好きだ。
もうひとつコルトレーンっぽさを強く感じるのは、やはりリズムセクションだろうね。
ピアノがマッコイ・タイナー、ドラムがエルヴィン・ジョーンズ。
つまり、ベース以外は、あのコルトレーンの「黄金のカルテット」の人員だ。
特に、マッコイのピアノが、アトランティック時代のコルトレーンのバックで弾いていたアプローチとそっくり。
ワンパターンといえばワンパターンかもしれないが、情熱的で煽るようなマッコイならではのアプローチがあるからこそ、ショーターも熱く燃えることが出来たのだろう。
特にタイトル曲《ジュジュ》の後半、つまりマッコイのピアノ終了後のアプローチなんて、もろコルトレーンだもんね。
ピアノに割り込むようにはいってくるテナーの旋律、音色。
8音吹いて、1音♪てら~と上昇するメロディ構築っぷり。
ゆるくフラジオをかけながら、絶妙なタイミングで挿入されるロングトーン。
ボーっと聴いていると、一瞬、コルトレーン・カルテットを聴いているのではないかと錯覚するほど、このアルバムの演奏は随所にコルトレーンの影が色濃く伺える。
もちろん充実した熱い演奏に、完成度の高い演奏には違いない。
しかし、このアルバムはショーターの代表作の一枚に挙げられることが多いが、私は反対。
代表作の5枚の中の1枚に挙げることには吝かではないが、1枚だけなら、もっとショーター的なアルバムはたくさんあるでしょう?と思う。
ショーターの魅力は枚挙に暇がないが、強いて一つあげるとすれば、ストーリーテリングの妙にあると思う。
ソロの最初から最後までが、一つの大きな流れとなっていることが多い。
もちろん、この『ジュジュ』においても、ショーター流のストーリーテリングの妙は生きているが、文章でいうと、文体がまだコルトレーンチックなんだよね。
使用する単語も常套句も、コルトレーンが好んで使っているものを踏襲している。
ま、それはそれで、作家も音楽家もキャリアの初期においては、仕方のないことではある。
いや、むしろ、私淑している先輩のコピーから出発して、少しずつオリジナリティを獲得してゆくことことこそが、正しく表現者が育ってゆく過程なのだ。
最初から、自分のオリジナリティがどうのこうのと言っているうちはケツの青いサルのようなもので、どんなに強烈なオリジナリティを持った表現者も、突然変異的に生まれるものではない。
あの、オーネット・コールマンだってそうだ。
そういった意味では、『ジュジュ』はショーターがコルトレーンをベースに自己のスタイルを形成してゆく過程、しかも、音楽的にもきわめて優れた内容を聴かせてくれる。
プレイ面においては、スタイル形成期かもしれないが、作曲においては、すでに「ショーター流」の萌芽が見てとれる。たとえばメロウで微妙に東洋的な旋律の《ハウス・オブ・ジェイド》なんかがそうだよね。
こういう曲想はショーターが得意とするところ。
くわえて、このようなメロウっぷりと、ショーターの音色はとても良く似合っている。
だからこそ、私はショーターの『ジュジュ』を愛してやまないのだ。
記:2017/10/30