雑想 2000年10月
2024/01/21
アウトする恰好よさ
単なる瞬発力、あるいは無知さゆえの勢いと、根拠のない思い込みで暴走した結果のルール違反はダサイが、基本とルールをきちんと理解した上でのルール違反は恰好いい。
何ごとも「やり過ぎ」は恰好悪いものだが、分かった上で「少しだけアウトする」、これが一番恰好良い。
「どのように、そしてどれぐらいアウトするか」に各々のセンスや個性が表れるのだろうが、何はさておいても、「アウト」するためには構造やルール(基本)をまず知らねばならないし、それを把握するためにかかる労力や手間などは「努力以前の問題」だということを認識することからスタートしなければならない。
「自由じゃない」、「ルールや規則でがんじがらめだ」と駄々をこねるのは子供のレベル。ルール、規則があるのは当たり前。
では、その枠組みや仕組みをいち早く理解し、その枠の中での己の立ち振る舞い方を考えられる人こそ大人だ。
しかし、それだけでは物足りない。
制約された枠組みの中で、最大限の自由を獲得出来る人こそ、限りなくクールなのだ。
記:2000/10/01
煙草の自動販売機
煙草の自動販売機に、新500円玉なり千円札を入れる。
250円の煙草のボタンを押す。
なんだか押した手ごたえがあまり感じられない。
だから、もう一回押す。
そうしたら、煙草が2箱、あるいは3箱、受け取り口から出てきた。
こういう経験のある人っていませんか?
あ、それって私だけ……?
気のせいかもしれないが、なんか煙草の自動販売機って、反応が遅いような気がする。
微妙な「タメ」が効いていて、この「間」は、ついついもう一回ボタンを押すのを待っているような気がしてしまう。
あ、そう感じるのって私だけ……?
客が間違えて余計に買うように、わざと反応を遅くしているのだろうか?
だとしたら、なんだかセコイ話だ。
なんて、一人でブツブツ考えてるのって私だけ……?
しかしそれ以上に、たまにだが2度押し、3度押しをして、間違ってまとめ買いをしてしまう、せっかちな自分も情けないのだが。
はい、セッカチですね。
タックスマン/ザ・ビートルズ
ビートルズの『リボルバー』冒頭の《タックスマン》は、ジョージ・ハリスン作で、彼にとっては最初で最後のアルバムA面1曲目となった曲だ。
当時の税制を痛烈に皮肉ったこの曲は、英首相のエドワード・ヒースとハロルド・ウィルソンの実名が出てくるくらいなので、相当アタマにきていたに違いない。
タイトにまとまって畳み掛けるようなリズムは、ポールのベースが最高にカッコいいし、さすがにジョージ、自分の曲なだけあってギターソロも激しくていいね、と、思っていたら、リードギターもポールが弾いていたのね……。
私は世代的にリアルタイムでYMOを聴き、そのYMOがカバーをしていた《デイ・トリッパー》という曲経由でビートルズを知り、少しずつ聴くようになっていったという、順番的には「逆」の聴き方をしている。
中学1年生の冬、待ちに待ったYMOの新譜『テクノデリック』が発売され、友だちの家で固唾を呑んで針を下ろした瞬間に飛び出てきた高橋幸宏のアカペラ。
《ピュア・ジャム》という曲の冒頭なんだけれども、この幸宏のボーカルの節回しに、めちゃくちゃ強烈にビートルズを感じたものだ。
ビートルズのコーラスや節回しには独特な「臭み」みたいなものを当時の私は感じており(今でも)、幸宏のヴォーカルにも同質なものを感じた、というよりも、あえて意識的にビートルズを意識しているのだろうということが分かった。
私が感じ取った「匂い」、というよりも「臭み」のようなものを象徴する曲の1つが、《タックスマン》なのだ。
そういった意味でも、《タックスマン》という曲は私にとっては思い入れのあるビートルズナンバーのひとつだ。
記:2000/10/15
被虐的な白人ジャズマンのニックネーム
白人⇒被虐的なニックネーム
黒人⇒偉い称号
言われてみれば、そのとおりですな。
ジャズ王国ではキングの地位を争って血みどろの争いが起り、初代のバディ・ボールデンは、二代目のフレディ・ケパードにその地位を奪取され、ケパードは、心ならずもジョー・オリヴァに破れ、オリヴァは、養子的ルイ・アームストロングに王冠を与え、一九五七年の現在、この王国は依然として、アームストロングの統治下にあります。
ルイ・アームストロングによって占められた王様の地位が、どうも、かれが死ぬまで取れる見込みがなくなると、同年輩のニグロはあわてまして、テンデ「公爵」「侯爵」「伯爵」「男爵」「大統領」に、自薦、他薦いりみだれ、ラッシュ・アワーの座席とりみたいに、ぞくぞく即位をいたし、これを中外にセンメイするという、イヤまことに被虐族にふさわしいメークビリーヴィングをやり出したしだいです。
白人が、「しかめっ面」のスパニアと、あ、「ピーウィと鳴く」ラッセルとか、気の毒な名前を貰っているのとくらべて、まるで天国と地獄みたいなもんです。要するに、優越感をかんじる奴ほど、あべこべにヘリクダッてみるという、いずれにしても小綺麗な心境ではなさそうですが、まあ、世わたりの秘訣として、被虐族をみたら、おおいに、「社長」、「専務」、「支店長」、「先生」、「大先生」とたてまつり上げることですな、このお話の教訓は―。
(油井正一『ジャズの歴史』より)
なるほど、ピーウィー・ラッセルの「ピーウィ」は擬音だったんですね。
油井先生の本、面白いし、勉強になります!
ディキシーランド・ジャズの語源
むかし、まだニューオリンズが、フランスの統治下にあった頃、ニューオリンズの中央銀行が発行していた十ドル紙幣に、大きくDIX(フランス語で十のこと)と印刷してあったそうです。このことからして、ニューオリンズをDIXIE(ディキシー)とアダナするようになり、まもなくニューオリンズのみならず、アメリカの南部一帯を、ディキシーないし、ディキシーランドとよぶようになったということです。
ニューオリンズ・スタイルとは、黒人によって演奏されるニューオリンズ的ジャズであり、ディキシーランド・スタイルとは白人によって演奏されるニューオリンズ的ジャズのことであったのです。(油井正一『ジャズの歴史』より)
ニューオリンズ的編成のディキシーは、不思議なことにニューヨークではうけなかったのです。というのは、ニューヨークのダンス・ホールはシカゴの秘密酒場などとちがって大規模にできており、たとえばハーレムの「サヴォイ・ボールルーム」などは一度に二千カップル(四千人)も踊れるというだだっ広さ。とても七人編成ぐらいのコンボではみみっちくてお話にならなかったからです。
そこでニューヨークのダンス・バンドは、イディオムを南部の創始者に学びながら、新しいオーケストラル・ジャズ―編曲を使うビッグ・バンド・ジャズを創造しなければならなかったのです。こうしてオーケストラル・ジャズは、ディキシーランド・ジャズの発展とは別な、新しい音楽をつくりだしたのであります。(油井正一『ジャズの歴史』より)