雑想 2005年11月

2022-12-05

人生謳歌

もちろん、うまくいかないことも多いし、不満もたくさんある。

アタマにくるアホもいるし、それどころか百発ぶんなぐってやろうかと思うヤカラもいないことはない。

でもね、俺は人生楽しんでるよ。

いや、本当に。

そういう、どうでもいいウンコなことも含めてね。

そういうウンザリでザンネンすぎることも含めて、そういうのは人生のスパイスだと思っている。

人生楽しんだもの勝ち、とよく言われているけど(言われているよね?)、まあそのとおりだと半分は思う。

なぜ半分なのかというと、勝ち負けじゃないとも思っているし、生き様に対して「勝ち負け」という概念がそもそもないから。
生きることは、ゲームでも試合でもないからね。

しかし、もし、強引に「勝ち」か「負け」かを分けなければいけないとしたら、おそらく私は勝ちだと思う。
だって決めるのは他人ではなく自分だから。

私が勝ちだと思っている限り、勝ちなんだよ。

100人が負けだと思っていても、自分が勝ちだと思っていれば、それは勝ち。

それでいいんじゃない?

100人の判定が間違っていて、自分が正しいと思っていれば、それでいいんだよ。極論すれば、ね。

ヤマ アート・ブレイキー & ザ・ジャズ・メッセンジャーズ

もちろん、このアルバムの目玉曲は《チュニジアの夜》。

でも、今日のように曇り空で肌寒い日は、熱いお茶をすすりながら、まったりと《ヤマ》を聴くのも悪くないですね。

気だるい一日は、無理して空元気にふるまうよりも、その日の空気に身を委ねるのも悪くない。

▼収録曲
1. チュニジアの夜
2. シンシアリー・ダイアナ
3. ソー・タイアード
4. ヤマ
5. 小僧のワルツ

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チックの「はね」~『ナウ・ヒー・シングズ・ナウ・ヒー・ソブズ』

「跳ね」は「訛り」

ジャズピアニストの個性が大きく出る要素の一つ、それは「3連」をどう弾くかにあると思います。

跳ねの要素の有無もありますし、同じ「跳ね」るにしても、どう跳ねるかの「跳ね具合」も各演奏者によってかなり異なります。

これは、いわゆる「訛り」のようなものだと思います。

ウイントン・ケリーのように、跳ね気味に弾きつつも、その「跳ね」の頂点が決して鋭角的にはならず、微妙に丸みを帯びたスタイルもあれば(日本人がこれをマネすると、祭り太鼓みたいにダサくなってしまう)、ジュニア・マンスのように、上からぐっと押さえ込むようなニュアンスの跳ねを独特なニュアンスで表出させるピアニストもいます。

その一方で、白人ピアニストの多くは、あまり跳ねを感じさせずに弾くピアニストが多いですね。

たとえば、チック・コリア。

彼の代表作であり、ピアノトリオの名盤にも挙げられることの多い『ナウ・ヒー・シングズ・ナウ・ヒー・ソブズ』の《マトリクス》は、ブルースでありながらも非ブルース的なニュアンスの漂うナンバーですが、他にも、《ナウ・ヒー・ビーツ・ザ・ドラム-ナウ・ヒー・ストップス》のアドリブラインも直線的で、ほとんど3連やハネの要素が感じられません。

水平ラインがメリハリなく一直線に突き進むといった感じ。

まあ、いわゆる都会的な感じといえましょう。

フレーズもいわゆるブルーノートをほとんど使わないので、ブルースっぽく感じない。
ブルージーさの表出は最初から意図されておらず、あくまでブルースという「形式」のみを土台にすることによって、己のスタイルをプレゼンテーションしようという試みなのでしょう。

そして、その試みは十分に成功しているといえます。

でも面白いのは、チックの場合、右手のシングルトーンは水平なんだけど、左手の和音を弾くときが微妙にハネていたり。
この跳ねっぷりがけっこう鋭角的。

この落差が面白かったりする。

同じような展開の曲でも、高速演奏の《マトリクス》よりも、《ナウ・ヒー・ビーツ・ザ・ドラム-ナウ・ヒー・ストップス》のほうがテンポが少々ゆったり目なだけのことがあって、その「ハネ」が顕著。

チックの「ひょっこり」としたハネがけっこう楽しかったりします。

そして、ひとたび、このことに気がつくと、どうも左手の和音の「跳ね」のほうばかりに耳がいってしまうんですね。

それって、いいことなのか、悪いことなのか。

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>>ナウ・ヒー・シングズ・ナウ・ヒー・ソブズ/チック・コリア

十割蕎麦を食ふ

昼飯に蕎麦を食いたくなったので、息子に蕎麦の買い物を頼みました。

女房は体調が悪くて寝室で寝ているし、私はベース教室で教え中だったので、教えるのをサボって買い物に出かけるわけにはいかなかったからです。

「昼飯は蕎麦だから、なんでもいいから適当にスーパーで蕎麦を2袋買ってきておくれ」

そう言って小銭入れに1000円札を入れて息子に渡しました。

買ってきたよー。

勢いよく、息子はすぐに帰ってきました。

ベース教室が終わり、さーて、蕎麦を茹でるぞーと、スーパーの袋の中を見ると、おお、息子が買ってきたのは十割蕎麦。

小銭入れの中のおつりを見ると、ほんのちょっとしかお釣りの小銭がはいっていない……。

高いの買ってきやがって(笑)。

ま、いいんだけどさ、どうして、この蕎麦を選んだのか興味深くなって聞いてみたら、「この蕎麦がいちばんカッコよい袋に入っていたから」茹でました。

すごーく濃厚な蕎麦湯が発生してます。

食後が楽しみです。

久々に食べる十割蕎麦の喉越しは最高です。

soba

んー、うまい。

一口一口ゆっくり味わって食べている私は、食べるペースがゆっくりです。

ところが、気がつくと、盛られている蕎麦が物凄い勢いで減っています。

息子が、猛烈な勢いで蕎麦をバクバクと喰っているのです。

「この蕎麦、おいしい。すげー、おいしい。今までの蕎麦とは全然違う」

はいはい、よかったですね。

自分が買ってきた蕎麦をおいしく食べられるなんて最高じゃないですか。

私はよくないよ。

だって、いつもは最低300g以上は茹でて一人で食べてしまう蕎麦好きの私。

息子に食われ過ぎて残り少ない蕎麦を恨めしく眺めているのでした。

記:2005/11/20(from「趣味?ジャズと子育てです」)

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