雑想 2025年2月

      2025/03/04

複雑系から考えるこれからの時代の幸福

科学が進歩は、物事を細分化しながら真理を探求してきた歴史といっても良いかもしれない。

しかし、単なる分解だけでは世界の本質を理解することはできない、ということにある時点で人類は気がついた。
世界は単なる物質の集合ではなく、それぞれが相互に作用し合いながら成り立っている、ということに。

いわゆる「複雑系」。

「複雑系」とは、多くの要素が相互に影響を及ぼし合い、全体として予測不能な振る舞いを示すシステムを指す。
自然現象や生態系、社会の仕組み、さらには私たち自身の思考や感情もこの「複雑系」の中で動いている。個々の要素を単純に分析しただけでは、全体の動きを把握することはできない。むしろ、そこには「創発」という現象が生じ、要素の組み合わせから新たなパターンや秩序が生まれる、のだと思う。

であれば、この考え方を私たちの生き方に視点を向けるとどうなるのか。
ベタだけど「幸福」について考えてみよう。

近代社会は、幸福を単一の指標(収入や地位など)で測ろうとしてきた。
しかし、私たちの幸福もまた「複雑系」の一部である。

人間関係や環境、個人の価値観など、多くの要素が絡み合いながら、人生の質を形作っていく。たとえば、ある人にとっての成功が別の人にとっての重荷になることもあるし、ある選択が思わぬ幸運をもたらすこともある。
幸福とは単なる結果ではなく、無数の要素の相互作用から生まれる「動的なプロセス」なのだ。

動的プロセスなんて書くとちょっと難しげでイヤな感じなので、これを「川の流れ」に置き換えるとわかりやすいと思う。

川の水は常に上流から下流へと流れ、刻々とその姿を変え、雨が降れば水量が増え、晴れが続けば減り、川底の石や砂も、水の流れによって少しずつ移動し、川辺の植物や生き物も川の変化に合わせて成長したり、枯れたりするように、川は多くの要素が複雑に絡み合い、相互に影響を与え合いながら、常に変化し続けているということ。

これを人間の幸福に置き換えてみると、仕事で成功したり、人間関係で悩んだり、健康状態が変わったりと、私たちの状況も常に変化しており、これらの変化は、私たちの幸福感に影響を与えており、何かを達成したからといって、そこで終わるものではなく、常に変化し続けるものだ、ということ、つまり単に「お金持ちである」「地位が高い」といった状態を指すのではなく、日々の生活の中で、さまざまな要素と相互に作用し合いながら、常に変化していく「生きた流れ」のようなものだ、ということなんだけど、書いているうちにますますややこしくなってきたような気がする…(汗)。

さて、現在の私たちは、AIやテクノロジーの発展により、旧来の価値観が崩れつつある時代に生きている。
それに伴い、仕事のあり方、コミュニケーションの形、人間の役割そのものが変わろうとしている。
その中で、「どう生きるべきか?」という問いの答えは、固定されたものではなくなっている。もっともこの「問い」は、高度経済成長の終焉(学生運動の時代の終焉)を境に少しずつ芽生えつつあったのではないかと感じているが、21世紀に入り、テロ、災害、コロナ禍、技術革新などの出来事がかなりの勢いで加速をかけた感がある。

急激な周囲の変化の中で我々は何に幸福を見出し、どう生きていくべきかと考えると、複雑系の視点から見れば、「自己組織化」というキーワードが重要な意味を持つのではないか。
周囲の変化や外部からの指示に従うだけでなく、環境との相互作用の中で自分なりの秩序を作り出すこと。社会の変化に適応しながらも、自らの価値観を築き、新たな関係性の中で成長していくことこそが、これからの時代の幸福の鍵となるのかもしれない。

一言で言ってしまえば「感度全開・より柔軟に!」といった感じだろうか。

当たり前だが、世界は単純ではない。
そして、私たちの生活も人生も単純なものではない。
しかし、それゆえにこそ、無数の可能性が存在し、新しい価値が生まれる余地がある。
これからの時代、私たちは「複雑であること」を恐れるのではなく、それを受け入れ、楽しむ生き方を模索していくべきなのかもしれない。

つまり、もう少し具体的予測不能な出来事をチャンスと捉え、そこから学び、自らの成長へとつなげる姿勢が求められるだろう。
なんて書くとカッコ良さげだし、そもそも「学び」とか「成長」という言葉が嫌いな人もいるだろうから(私もそうだ)、もっと柔らかく翻訳すると、「柔軟に風向きを感じ、状況状況に応じて臨機応変に楽しもう(遊ぼう)」ということになるかな。

なんだ、(私にとっての)ジャズのジャムセッションと一緒じゃないか(笑)。

麻生久美子の眼差しが持つ力

麻生久美子といえば、『時効警察』の三日月しずかを思い出す。
コミカルな存在感も魅力的だったが、彼女の眼差しに惹かれた人も多かったのではないか。

現在彼女は、NHKの朝ドラ『おむすび』では、主人公・米田結(橋本環奈)の母・米田愛子を演じている。主人公や夫(北村有起哉)が話しているとき、ふと横から見守る距離感や眼差しが実にいい。

この“見守る眼差し”の良さは、『時効警察』の頃から際立っていた。オダギリジョー演じる主人公・霧山修一朗が、時効になった事件の真相を解き明かしていく毎週お決まりのシーン。そこには必ず、オダギリジョーと麻生久美子のコンビが登場し、犯人の前で事件の謎を解明していく。ここでの麻生久美子はあくまでアシスタント役に徹している。時効になった事件の謎を鮮やかかつコミカルに解き明かしていくオダギリジョーに送る眼差しが良い。彼に淡い恋心を抱きながらも、頼もしさ、誇らしを滲ませながら見守る目線、表情が印象的だった。

初期の『時効警察』放映から早くも18年以上経過してしまった現在の『おむすび』での麻生久美子は、母親役としての客観的な視点が加わり、より深みを増した。
その眼差しには、温かさと愛情、そして年齢を重ねたからこその包容力が宿っている。かつては交通課のおてんば巡査部長だった彼女が、母として新たな“見守りの目”を手に入れたのだ。

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