人々の心を豊かにしてきた、奄美「街の灯」を消してはいけない

   

steve eto

text:高良俊礼(Sounds Pal)

奄美 魅力

外から見て、「奄美って魅力的だな」と、思える部分は沢山あるだろう。

綺麗な海と手つかずの山林は、貴重な野生動植物の宝庫であり、シマ唄や八月踊りといった伝統芸能の神秘性は、他に求め得ぬ奄美ならではの文化である。

そして、シマ料理や奄美ならではの果物、独特の旨味を持つ黒糖焼酎など”食”の部分の熱狂的なファンも多い。

しかし、そのいずれかを足がかりにシマを訪れた人は、皆それぞれに「人が最高」「昔ながらの人情がある」と、口々に言ってくれる。

そして「ただいまー!」と笑顔で“帰ってきて”くれる。

昭和 佇まい

そして、彼らと連れだって名瀬の商店街や、屋仁川通りを歩くと、皆一様に安堵の表情で「昭和の街だなぁ~、何か“故郷”って感じがするんだよ」と、口にする。

そして、行き交う友人知人らと私の他愛もない挨拶を面白そうに見物し、古い商店の佇まいや、私にしてみれば単なる日常の風景でしかないちょっとした物までを、まるで宝物でも掘り当てたように驚きと興奮を交えて無邪気に楽しむ。

夜、居酒屋やレストランを案内すると、いつの間にかそこのオーナーさんや従業員の人達と“お友達”になっていて、紹介するつもりの私があたふたしてしまう。

彼ら「奄美が好き!」と何度も来てくれる人達というのは、単に「観光で奄美に来る」というよりも「どこどこのお店の誰々さんに会いに」とか「超イイ味出してるあの辺りを散歩しに」とか、「○○集落の親切なおばちゃん達が忘れられなくて」など、かなりピンポイントでそれぞれ思い思いの魅力を見付け、堪能し尽くす。その勢いと、余りにも自然な“溶け込みよう”たるや、地元の私ですら圧倒させられるものだ。

触れ合い

さて、奄美で最も「昭和」を感じさせる一画でもある屋仁川通りの最奥地。通称“柳町エリア”の居酒屋「ニュートン」で、2008年10月から11月までの「音庫知新」の収録が行われた。

ゲストは筋金入りの“奄美リピーター”であるスティーヴ・エトウさんと、初来島にも関わらず、初日から焼酎でご満悦だったベーシストのKenKenさんとDJTakakiさん。

お座敷で思い思い、リラックスして楽しむ3人。

そして圧倒される私・・・。収録が終わった後で「生粋の下北沢っ子」であるKenKenさんが、「街にとって一番大切なのは、人と人との触れ合いですよ! この街は、東京に昔あったけど、今はすっかりなくなった“人情”がある。俺は奄美に来て、奄美の人達が大好きになったから、この“街”にまた来ようと思ってるんだ! 絶対にコレをなくしちゃダメですよ。」と、熱く語った。

KenKenさんのこの言葉を聞いた私は、改めて故郷を誇りに思った。

都市計画 名瀬

あれから6年、名瀬の街はすっかり変わってしまった。

「ニュートン」はその後間もなく店を閉じ、我が「サウンズパル」も、都市計画の煽りを喰らって、4年前に立ち退きを余儀なくされた。

CD屋の商売は今他の仕事と掛け持ちで、常連だったお客さんからの注文を個人として受け、 配達したり自宅近くまでわざわざ取りにきてもらったり、通販でお取り寄せしてくれるCDやDVDを発送する形で何とか続けている。

馴染みだった近所の店も、街の真ん中にあったスーパーも、どんどん取り壊され、更地になっていって、今、皆が愛した名瀬の街は、もうすでに「街」ではなく、「かつて街だった何か」に、なってしまっているのかもしれない。

街 文化 灯

だが、ありがたいことに「サウンズパル、早く再開してくださいよ!」「応援してます」という支援の言葉を、本当に多くの人から、今もらっている。

そう、「街」というのは、そこに住む人々にとって、文化を発信し、新たな文化を生み出す場所だ。音楽にせよ文学やファッションにせよ、様々な豊かな文化は「街」の中から生まれて時代を創ってきた。

それは「街」というものが、様々なものを取り込み、消化して、人々の生活を照らす「灯」を供給し続けてきたからだ。

奄美という土地は、離島でありながら、かつて「街の灯」が、人々の心を豊かにしてきた。

その灯を消してはいけない、それを守るにはどうしたらいいか?

私は日々考えている。

記:2014/11/17

※奄美新聞.2008年11月15日『音庫知新かわら版』記事を加筆訂正

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●高良俊礼(奄美のCD屋サウンズパル

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