カフェモンマルトル

text:高野雲

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推定年収一億の坂上忍と『桐島、部活』野球部のキャプテン

      2017/05/25

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mansatsu

坂上忍 年収

先日、坂上忍がバラエティ番組の「バイキング」で年収1億円以上あることを匂わせるような発言をしていたそうです。

年収を聞かれ、「言うわけないだろ!」と一喝するも、野々村真からの予想から、1億円以上はあることを匂わせるニュアンスの発言。

だとすると、なかなかの稼ぎ手ですね。

億を超える年収を稼ぎだす芸能人は、ほんの一握りですから。

貧乏芸人

たとえば、先日婚約した椿鬼奴とお笑いコンビ「グランジ」の佐藤大。

鬼奴さんは、佐藤大氏から婚約指輪をもらったそうですが、佐藤大さんが借金に借金を重ねて指輪を作ってくれたとのことです。

このエピソードからもわかるとおり、お笑い芸人は貧乏……というか、一時的に注目される程度の芸能人、あるいは「その人のキャラ」が番組の看板にならないような芸能人の収入はたかがしれているんですね。

もうひとつ例を挙げるとすると、今話題の「8.6秒バズーカー」も、一ヶ月、ほとんど休み無しで働いた月でも、一ヶ月の収入は9万6000円だったという報道が先日ありました。

それも、2人で9万6000円。

つまり、毎日休みなしで働いても、一ヶ月に一人5万円弱なのだから、コンビニやマックでバイトしている高校生よりも少ない収入かもしれません。

「お金目当て」だけだったら、芸人の仕事はやってられませんよね。

あのキンタロー。だって、有名になってからも居酒屋でバイトを続けていたとそうですし、まあとにかくギャラが驚くほどに少ないんですよ、少し名前が売れたぐらいの芸人は。

もちろん、事務所やマネージャーがギャラをピンハネしているということもあるようですが、そのピンハネされたぶんを取り返したとしても、それほど収入に大きな差があるわけではないから、やはり、好きでやっていないとワリに合わない仕事だということは確かですね。

高額ギャラの芸能人は一握り

しかし、タモリ、たけし、さんま、ダウンタウン級になってくると、ギャラが「どっ!」と上がるんですね。

あと、昔のみのもんたとか?

最近だと、有吉弘行も彼ら「勝ち組」の仲間入りをしているかもしれませんね。

彼の年収は、現在5億前後といわれていますから。

彼らの共通点は、バラエティ番組の「看板」になれるレベルの芸能人であること。

その人の名を冠せば、視聴率が取れるという判断された人の収入は一気にはね上がりいます。

その人の名前で人が集められる。

その人の名前で視聴率が集められる。

このような知名度と人気を得られれば、売れない芸人の一回のギャラの何十倍、いや、もしかしたら何百倍にもなるわけです。

たとえば。

一本の番組制作費が200万円の予算としましょうか。

すると、もちろん契約条件によっても異なりますが、タモリ、たけし級のタレントであれば、一回につき150〜160万円前後のギャラを貰えるそうです。

もちろん、それ以上の人もいるかもしれないし、それ以下の人もいますが、それは交渉や契約次第でしょう。

ま、仮に200万円中、番組の看板となる人物に支払われる額が160万円だとすると、残りの40万円が他の出演者や、制作会社やスタッフに支払われるギャラや、取材費、交通費、弁当代などの経費になります。

看板となるタレントに7〜8割を支払い、残りの額が、その他の関係者に分配るわけです。

しかも、バラエティ番組は、出演者の人数も多いので、一人一人に支払われるギャラは雀の涙のことが多いです。

しかし、お笑い芸人などのタレントは、今は売れなくても、ゆくゆくは、タモリやさんまのように……と夢を見るわけです。

しかし、その夢叶わず、多くの芸人が消えてゆく……。



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東大入るよりも難しい

将来芸能人になりたいという子どもに、「やめなさい!」という親が多いのは、
このような事情があるからですね。

いつまでも、「お金がない」と子ども達にパラサイトされるのはゴメンだという思いもあるかもしれませんし、30歳過ぎても、月収10万円前後の生活をしているようなわが子姿を見たくないという気持ちもあるのでしょう。

いずれにしても、芸人になり、さらに金持ちを狙うという選択は、東大に入学して高級官僚になること、あるいは給料の高い企業に就職して、そこそこの年収をもらうよりも難しいコースであることは間違いありません。

「東大なんて入れないよ」という人も多いと思いますが、東大は、毎年2000人以上合格者が出ますし、倍率だって、高くて10倍前後でしょう?

お笑い芸人になれる確率と、お笑い芸人となり、さらにキャリアを積んで有名になり、さらにギャラが高い人間になれる確率はどちらが高いか?ということですね。

勉強に必要なのは「努力」だけです。

性格の良し悪しなどの人間性や、スタイルやルックスの良し悪しは関係ありません。

しかし、お笑いや芸能人に必要なのは「努力」だけではなく、「運」や「好かれる・好かれない」など、自分の努力では左右できない様々な要素が絡んでくる。

つまり、自分の努力だけではコントロールが不可能な要素が多いなかで成功しなければならないということなので、それだけ、リスクの高い選択なのです。

それでも、「なりたい!」という人が後をたたないのは、このような現実を知らないのか、あるいは、心の底から芸能の世界に憧れている人が多いからなのでしょう。

あるいは、実家がお金持ちとか。特に働かなくても、不労所得を得ている家の子どもであれば、「趣味」で芸能活動をし、収入が限りなくゼロでも楽しくやっていけるかもしれません。

実際、「あったかいんだから〜」のクマムシの相方(歌ってないほう)の実家は、北陸地方のけっこうな金持ちらしいですし。

こういう人は、「売れる・売れない」にこだわらずに、楽しくお笑い稼業をマイペースで続けることが出来るのでしょうね。

芽が出なければ、実家を継げばいいのだし。

しかし、そうじゃない人は、ハングリーにならざるを得ない。

多くの成功した芸人(芸能人)の若い時代の話を聞くと、みな、アパートで食うや食わずの生活をしていた人が多いですよね。

このような生活は、若い頃は我慢できるかもしれませんが、、40代、50代になってもそれに近い生活をしている人だっています。

将来、オジサン、オバサンになっても、このような生活でも全く大丈夫!という覚悟がある人だけ、芸能人を目指すべきでしょうね。

と、このような現実は、程度の差こそあれ、多くの人が、薄々は知っていることではあります。

しかし、それでも、皆、なりたがるんですよね……。

夢は呪い

夢を追いかけることは素晴らしいことには違いありません。

しかし、「夢は呪いと同じだ」というセリフも、たしか『仮面ライダー555』にも出て来まして、当時、この言葉に衝撃を受けた若者も多いと聞きます。

つまり、自らの夢に拘泥し、追いかけ過ぎると、周囲の小さな幸せを見逃してしまう結果になりかねない⇒「叶わなかったときが悲惨」ということなのでしょう。

『桐島、部活やめるってよ』という映画がありました。

この映画は、色々な意味で素晴らしい映画なのですが、そのことについては機会があれば書くとして、この映画の中に登場する野球部のキャプテンについてだけ書きたいと思います。

高橋周平が演じる野球部のキャプテンは、3年の夏になっても部活を引退せずに、秋になっても愚直に練習を続け、野球の試合に出ています。

彼は、主人公の一人・東出昌大から「先輩、野球部を引退しないんですか?」というようなことを尋ねられ、こう答えます。

「ドラフトが終わるまでは、ね。」

つまり、ドラフトが終わるまでは、とりあえず自分は野球部を続ける、ということです。

本人は、ドラフト指名が来るわけがないと心の中では分かっているのかもしれません。

でも、もしかしたら、あるいは指名が来て、プロ野球の選手になれるかもしれない。

こういうのを「一縷の望み」というのでしょうが、叶うはずもないということを分かっている夢が叶うかもしれないことを待ち続けている。

毎日、夜になっても黙々と公園で素振りの練習を愚直に続けながら。

プロ野球選手になるという夢を早々に諦めて、秋から大学受験の勉強に取りかかれば、あるいは違う未来が拓けていたかもしれない。

そして、そのほうが「利口な」生き方でしょう。

しかし、彼は、まるで夢に縛られたかのように「ドラフトが終わるまで」野球をやめようとしない。

この姿は、まるで「叶わぬ夢」に縛られた奴隷のようにすら見えるかもしれないし、夢という「呪い」に取り付かれた姿にも見える。

「お利口に生きている人」からは、彼の姿は滑稽に映るかもしれません。

誰も彼を笑えない

しかし、私たちは彼のことを笑えるでしょうか?

美女(あるいはイケメン)と結婚したい、億万長者になりたい、スタイルよくなりたい、遊んで暮らせるほどの大金を得たい、有名人になり多くの人々から注目されたい……。

このような「夢」を抱いている人も少なくないでしょう。

そして、その「夢」に向かって努力を重ねている人もいることでしょう。

しかし、今の努力の先にある夢、叶いそうですか?

ひょっとして、叶わないとわかって、それでも「一縷の望み」を心のどこかに抱きながら、「そう考えないとやってられないよ」と思いながら、ルーティンワークのような努力を黙々と続けていませんか?

もし、そうなのであれば、『桐島、部活やめるってよ』に登場する野球部のキャプテンのことは笑う資格はありません。

もしかしたら、この映画に登場するキャプテンの姿は、「夢という奴隷」に縛られている我々の姿の象徴なのかもしれません。

夢を追うことは素晴らしい。

しかし、夢を見つづけ、叶わぬ夢を追い続ける姿は、ある種「夢の呪い」にかかっている姿にも見える。

そして、その姿は、場合によっては、悲しいほど滑稽に見えることもある。

でも、誰もその姿を笑う(嗤う)権利はない。

あなたや私の姿は人々にはどう映っているのでしょう?

そんなことを考える暇もないほど、夢に向かって打ち込んでいる人は、とても幸せだと思います。

呪いにかかっていながらも、それでモガき苦しみ、みっともないほど諦めない姿、そういう姿のほうが「人間」らしくはありませんか?

さらに、叶う・叶わないということなど、まったく考えず、単に好きなこと(この映画では、映画製作)に純粋に打ち込むことが出来、日常生活で感じる不条理をも上手に昇華できるものを持った人(この映画では、神木隆之介)が、もっとも強く、最初から「呪い」から解放されている人なのかもしれません。

記:2015/03/30

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