雑想 2005年11月
2024/04/01
人生謳歌
もちろん、うまくいかないことも多いし、不満もたくさんある。
アタマにくるアホもいるし、それどころか百発ぶんなぐってやろうかと思うヤカラもいないことはない。
でもね、俺は人生楽しんでるよ。
いや、本当に。
そういう、どうでもいいウンコなことも含めてね。
そういうウンザリでザンネンすぎることも含めて、そういうのは人生のスパイスだと思っている。
人生楽しんだもの勝ち、とよく言われているけど(言われているよね?)、まあそのとおりだと半分は思う。
なぜ半分なのかというと、勝ち負けじゃないとも思っているし、生き様に対して「勝ち負け」という概念がそもそもないから。
生きることは、ゲームでも試合でもないからね。
しかし、もし、強引に「勝ち」か「負け」かを分けなければいけないとしたら、おそらく私は勝ちだと思う。
だって決めるのは他人ではなく自分だから。
私が勝ちだと思っている限り、勝ちなんだよ。
100人が負けだと思っていても、自分が勝ちだと思っていれば、それは勝ち。
それでいいんじゃない?
100人の判定が間違っていて、自分が正しいと思っていれば、それでいいんだよ。極論すれば、ね。
200CD 菊地成孔セレクション―ロックとフォークのない20世紀/菊池成孔
200CD 菊地成孔セレクション―ロックとフォークのない20世紀 (学研200音楽書シリーズ)
値段は、ちょっと高いんじゃねぇの? だけれども、“まっとうな音楽ディスク・バイヤーズガイド”としても、自分が持っているアルバムの評価を知る読み物としても、重宝する楽しい本だ。
プリンスのアルバムから、リー・コニッツの『サブコンシャス・リー』まで。
『マイルス・イン・ザ・スカイ』が、まるまる1P扱い!……などと、個人的には、かなりツボにくるセレクションとレビュー。
その理由は、おそらくセレクションに偏りがあるからだろう。
いや、偏りというか、選ぶ上でのルールだね。
すなわち、ロックとフォークをあえてバッサリと斬り捨てて選択の対象外にしているということが大きい。
ロングインタビューや対談も面白く、充実した中身だ。
私も、これを見て、もう一回聴きなおしてみようと思ったアルバム、いくつもあるからね(まだパラパラと目を通した範囲だけれども)。
成孔ファンも、そうでない音楽ファンも、一度はチェックしておきたい本でしょうね。
記:2005/11/01
ヤマ アート・ブレイキー & ザ・ジャズ・メッセンジャーズ
もちろん、このアルバムの目玉曲は《チュニジアの夜》。
でも、今日のように曇り空で肌寒い日は、熱いお茶をすすりながら、まったりと《ヤマ》を聴くのも悪くないですね。
気だるい一日は、無理して空元気にふるまうよりも、その日の空気に身を委ねるのも悪くない。
▼収録曲
1. チュニジアの夜
2. シンシアリー・ダイアナ
3. ソー・タイアード
4. ヤマ
5. 小僧のワルツ
チックの「はね」~『ナウ・ヒー・シングズ・ナウ・ヒー・ソブズ』
「跳ね」は「訛り」
ジャズピアニストの個性が大きく出る要素の一つ、それは「3連」をどう弾くかにあると思います。
跳ねの要素の有無もありますし、同じ「跳ね」るにしても、どう跳ねるかの「跳ね具合」も各演奏者によってかなり異なります。
これは、いわゆる「訛り」のようなものだと思います。
ウイントン・ケリーのように、跳ね気味に弾きつつも、その「跳ね」の頂点が決して鋭角的にはならず、微妙に丸みを帯びたスタイルもあれば(日本人がこれをマネすると、祭り太鼓みたいにダサくなってしまう)、ジュニア・マンスのように、上からぐっと押さえ込むようなニュアンスの跳ねを独特なニュアンスで表出させるピアニストもいます。
その一方で、白人ピアニストの多くは、あまり跳ねを感じさせずに弾くピアニストが多いですね。
たとえば、チック・コリア。
彼の代表作であり、ピアノトリオの名盤にも挙げられることの多い『ナウ・ヒー・シングズ・ナウ・ヒー・ソブズ』の《マトリクス》は、ブルースでありながらも非ブルース的なニュアンスの漂うナンバーですが、他にも、《ナウ・ヒー・ビーツ・ザ・ドラム-ナウ・ヒー・ストップス》のアドリブラインも直線的で、ほとんど3連やハネの要素が感じられません。
水平ラインがメリハリなく一直線に突き進むといった感じ。
まあ、いわゆる都会的な感じといえましょう。
フレーズもいわゆるブルーノートをほとんど使わないので、ブルースっぽく感じない。
ブルージーさの表出は最初から意図されておらず、あくまでブルースという「形式」のみを土台にすることによって、己のスタイルをプレゼンテーションしようという試みなのでしょう。
そして、その試みは十分に成功しているといえます。
でも面白いのは、チックの場合、右手のシングルトーンは水平なんだけど、左手の和音を弾くときが微妙にハネていたり。
この跳ねっぷりがけっこう鋭角的。
この落差が面白かったりする。
同じような展開の曲でも、高速演奏の《マトリクス》よりも、《ナウ・ヒー・ビーツ・ザ・ドラム-ナウ・ヒー・ストップス》のほうがテンポが少々ゆったり目なだけのことがあって、その「ハネ」が顕著。
チックの「ひょっこり」としたハネがけっこう楽しかったりします。
そして、ひとたび、このことに気がつくと、どうも左手の和音の「跳ね」のほうばかりに耳がいってしまうんですね。
それって、いいことなのか、悪いことなのか。
>>ナウ・ヒー・シングズ・ナウ・ヒー・ソブズ/チック・コリア
十割蕎麦を食ふ
昼飯に蕎麦を食いたくなったので、息子に蕎麦の買い物を頼みました。
女房は体調が悪くて寝室で寝ているし、私はベース教室で教え中だったので、教えるのをサボって買い物に出かけるわけにはいかなかったからです。
「昼飯は蕎麦だから、なんでもいいから適当にスーパーで蕎麦を2袋買ってきておくれ」
そう言って小銭入れに1000円札を入れて息子に渡しました。
買ってきたよー。
勢いよく、息子はすぐに帰ってきました。
ベース教室が終わり、さーて、蕎麦を茹でるぞーと、スーパーの袋の中を見ると、おお、息子が買ってきたのは十割蕎麦。
小銭入れの中のおつりを見ると、ほんのちょっとしかお釣りの小銭がはいっていない……。
高いの買ってきやがって(笑)。
ま、いいんだけどさ、どうして、この蕎麦を選んだのか興味深くなって聞いてみたら、「この蕎麦がいちばんカッコよい袋に入っていたから」茹でました。
すごーく濃厚な蕎麦湯が発生してます。
食後が楽しみです。
久々に食べる十割蕎麦の喉越しは最高です。
んー、うまい。
一口一口ゆっくり味わって食べている私は、食べるペースがゆっくりです。
ところが、気がつくと、盛られている蕎麦が物凄い勢いで減っています。
息子が、猛烈な勢いで蕎麦をバクバクと喰っているのです。
「この蕎麦、おいしい。すげー、おいしい。今までの蕎麦とは全然違う」
はいはい、よかったですね。
自分が買ってきた蕎麦をおいしく食べられるなんて最高じゃないですか。
私はよくないよ。
だって、いつもは最低300g以上は茹でて一人で食べてしまう蕎麦好きの私。
息子に食われ過ぎて残り少ない蕎麦を恨めしく眺めているのでした。
記:2005/11/20(from「趣味?ジャズと子育てです」)
遺言書きました。
遺言書きました。
といっても、残念ながら(?)、今の私は、余命○ヶ月の病気でも、借金取りのような怖い人たちに追われていて捕まったら東京湾に沈められることをした、とか、自殺の予定があるとか、そういうわけではありません。
近い将来死ぬことがイメージできるようなことは何にもないのですが、だからといって、近い将来死なないとも限りません。
私が突然死んだ場合、家族が困ります。
というよりも、私だって困ります(笑)。
私は、自分で言うのもヘンですが、結構充実した毎日を送っていると思います。
恵まれていると思います。
この恵まれた境遇にすごく感謝しています。
だから、たとえ、突然クルマに轢かれて即死しても、きっと、この世に大きな未練は残さないで、スッキリと成仏することでしょう。(唯一の未練としては、たぶん、成長した息子の姿が見れないことになるでしょう)
でも、やっぱり、やりかけのことや、家族に伝えておきたいこと、知っておいて欲しいことを知らせないまま死ぬのはイヤだ。
もし、余命が数ヶ月と医師に宣告されれば、それに合わせて、女房や息子などに「人生の引継ぎ」が出来ます。
しかし、「人生の引継ぎ」を果たせぬまま、突然、事故などで死んでしまった場合、死んでも死にきれません。
ホームページやメルマガ、連載の閉鎖&終了の手続きなどは、女房にやってもらわなければ関係者に迷惑がかかるし、作りかけのプラモも息子に完成させてもらわなければ困るわけです(笑)。
仕事に関しても、やりかけのこと、進行中のことなど、ほかの社員に知らせておいてあげないと、彼らは困って途方に暮れてしまうことでしょう。
これらのことが知らされないまま、いきなりあの世に私が逝ってしまったら、誰も進行中の私の仕事のことや、私の仕事の後始末をしてくれないことでしょう。
仕方なく、私は幽霊になって、生きていたことの後始末をしにこの世に戻ってこなければなりません。
その姿を見られて、「わー、お化けだぁ!あっち行けシッシッ!」と煙たがられたら、悲しいじゃないですか。
だから、そうならないためにも、私が突然死んでも、遺された人たちが大丈夫なように、遺言を書いてみたのです。
当初は、こまごまと色々書く予定でした。
ところが、いざ書いてみると、そんなに書くことって無いんですね。
いまのところ、ワードで打って、ペラ2枚ぐらい。
でも、思っていること、引き継いで欲しいこと、特に息子宛てには、今後の生きてゆくための心構えを書いたら、すごく気持ちがスッキリしました。
あとは、思いついたときに、どんどん更新してゆけば良いのです。
で、書き終わったら、すごく気分がスッキリしました。
家の近所のお洒落な喫茶店で書いたのですが、書き終えた瞬間、意味もなく、「ドーンと来いやぁ!」と独り言を言ってしまい、周囲の客から変態扱いな目で見られました(笑)。
この心の奥底から沸き起こった「ドーンと来いやぁ」な気持ちは、これで何の気兼ねもなく、素っ裸な心で物事にぶつかっていける!という自信なのだと思います。
これで、自分のことをヘンに庇ったり、かわいがったりすることなく、物事に挑めるぞ!という爽やかな気持ちです。
遺言というと、重くて構えてしまいますが(つい昨日までの私がそうでした)、常日頃、死を意識して、というよりは、自分が死んだ後のことを意識して行動することって大事なことのような気がしてきました。
常に死を意識するからこそ、生きていることの有り難さが実感できるし、キチンと毎日を生きてゆこうという気持ちが、ムクムクと芽生えてくるのです。
これは、今までにない感触です。
死を意識することは、生を強く考えることなんだなぁと感じました。
と、なんだか立派なことを書いてしまってますが、ちなみに、私は無宗教です(笑)。
記:2005/11/28(from『趣味?ジャズと子育てです』)
遺言書きました。2
昨日、バイトの女の子と六本木に晩飯を食べに行きました。
和風イタリアンの店で、ワインを空け、ビールにバーボンを飲み干したあたりで、ほろ酔い気分が回ってきて、なんとなくいい気分になってきます。
いい気分になったついでに、「俺さぁ、今日、遺言書いたんだよね(ニコニコ)」と突然切り出したものだから、
「え~、雲さん、死ぬんですかぁ!!?」と向こうは驚き顔。
そりゃそうか。
突然そんな話題を出すんだから、驚くのも無理ありません。
「いや、死なないよ。でもね、自分が死んだ後に家族や死んだ自分自身が困らないように、いまのうち、思いついたことを書いて遺しておこうと思ってね。」
向こうは、「ふ~ん」と怪訝な顔。
「雲さん、やっぱり筆で書いたんですか?」
「いや、PCのワードで書いたよ。」
「なんだぁ、ムードないなぁ」
「ムードとかの問題じゃないでしょ(笑)。必要なときにすぐに加筆修正出来るよう、データで保存しておくほうがイイんだよ。もちろん、書いたものはプリントアウトして封筒に入れているけどね。」
「でも、遺言って、やっぱり正座して筆で書くもんじゃないんですかぁ?」
「切腹前の武士じゃないんだってばさ(笑)。遺言といっても、そんな大それたもんじゃないんだよ。私が突然死んだ場合、家族が困らないように、ということもあるけれども、それ以上に、私自身が幽霊になって出ないような対策でもあるんだよ。」
「なんで遺言書かないと幽霊になるんですか?」
「たとえば、連載をしているHPの管理者への連絡、メールマガジン配送者への連絡など、おもにネット上でしかやり取りをしていない人への連絡はやっぱり取ってもらわないと、相手が私の死を知らないまま、いつまでも私からの連絡を待たすのって、迷惑かけるじゃない? こういう残務処理をやっといてもらわないと、私自身が困るわけよ。女房は、誰にどう連絡をとればいいのかすら分からないじゃない? だから、私がやるべきことを女房に引き継ぐわけよ。もし、女房にそのことが伝わってなければ、私が幽霊になってパソコンの前に座ってメールを出すしかないじゃない?」
「ふーん、べつに死んじゃったら、放っておけばいいと思うんだけど、雲さん律儀なんですね。」
「うーん、べつに律儀ってほどでもないけども、済ませておかないと、なんか痒いじゃない? 生前にやっておくべきことをやらないで あの世には行きずらいよ、やっぱ。」
「じゃあ、たとえばガンなんかで、余命が何ヶ月って、自分の死期が分かっている場合は、自分で後始末はするわけですね?」
「そうそう、死ぬことが分かっている場合は、自分で処理するよ。でも、今日、この帰りに車に撥ねられて即死する可能性も無いわけじゃないよね? そういうときは、やるべきことを遺しておかないと、誰も今私がやっていることが分からないままになってしまうでしょ?」
「なるほど、この世に思い遺す言葉がつらつらと書かれているんじゃなくて、事務的な手続きの方法中心に書いたわけですね?」
「そう!そういうことデス。結構ドライな内容なの。つまり、仕事でいう“引継ぎ”だね。私の生きている間やっていたことの引継ぎとクロージングを、女房はじめ、いろいろな人に引き継いでもらうんだよ。私がやるべき仕事を分散して押し付けちゃおう、という発想なんだよ。ある意味、残された人にとっては迷惑な話(笑)。ね? 全然律儀でもマジメでもじゃないでしょ?」
「ふーん。」
「遺言って、実際書いてみると面白いよ。君も書いてみれば?」
「遠慮しときます!(笑)」
そんなことを話しながら、西麻布のバーへ移動しました。
ここでは、バーのママの初恋の男の人の名前や、今日はいているパンティの色など、ことごとく当ててしまう超能力者のようなお客さんが来ていたので、面白かったです。
▼記入式のこういう本も出ているんだねぇ。
記:2005/11/29(from『趣味?ジャズと子育てです』)