雑想 2010年12月

      2022/08/29

hikoukigumo

ポートレイツ・オブ・セロニアス・モンク

ランディ・ウェストンの『ポートレイツ・オブ・セロニアス・モンク』!

ウッドベースがうねるウネル。

重量級アコースティック・ファンクとでもいうべき、ピアノトリオ+パーカッションの編成で奏でられるモンクナンバー集です。

私はこれ、リアルタイムで買って聴いていたので、最近のジャズだと思っていたのですが、クレジットを見ると、1989年にフランスで録音されている。

もう20年前だったんだね。

ま、発売されたのは90年代だったので、最近のものだと思っていたのでしょうが、それにしても、この重さ、黒々しさはいつ聴いても新鮮、新しい。

Portraits of Monk
Verve

雅楽 東風

いつ聴いても心が洗われる。

滂沱レベル。

動画のタイトルは、「東風 (Yellow Magic)」。

そうか、トンプーは別名「イエロー・マジック」だったんだ。
トミー・リピューマ盤では、そう表記されていたね。

しかし、どう聴いてもこのバージョンはイエローマジックじゃあないよね。

いいね~。

アヴィシャイ・コーエン トランペッター

何度も書いていることではあるのですが、私はピアノレストリオというフォーマットが好きです。

理由は、これも何度も書いているのですが、演奏にスリルを生み出しやすいフォーマットだから。

ピアノやギターなどのコード楽器がはいった編成は、演奏に安定感が増すことが多いです。

ま、モンクのようなピアニストの場合だと、かえって安定感よりも緊張感が増したりもするわけですが、それは例外。

通常は管楽器の伴奏に回ったコード楽器は、フロントが奏でるアドリブのメロディをサポートする役どころに落ち着くこと多いゆえ、演奏に安定感がもたらされる場合のほうが多いです。

この安定感はたしかに落ち着いて聴けるというメリットはあるのですが、時として物足りなくなってしまうこともあります(もちろん演奏にもよりますが)。

スリルが欲しい~、1秒先はどうなるのかまったく予測不能の緊迫感を味わいてぇ~!

そういう贅沢というか無茶苦茶な欲求がふつふつと湧いてくるのが、重度のJAZZ患者の性なのかもしれません。

もちろん、ピアノが参加していても予測不能のスリルを味あわせてくれる演奏もあります。

ハンコックが参加していた頃のマイルス・クインテットなどがいい例ですよね。

しかし、通常は、やっぱりピアノやギターがいない編成のほうが、経験的にスリリング度が高いと感じています。

「音楽ではなく、演奏を聴いている」
「曲ではなく、演奏を聴いている」

そういう生き生きとした時間の連続を味わうことこそ、ジャズ鑑賞の醍醐味の一つです。

トランペット・プレイヤーのアヴィシャイ・コーエンのリーダー作『ザ・トランペット・プレイヤー』なんかは、まさに、その瞬間瞬間に形作られるリズムとメロディを同時体験的に味わえる、ピアノレストリオの快楽の極致ともいうべき演奏なので、考え事を“しない”時によく聴いています。

トランペット、ベース、ドラムの3人が、本当に、瞬間瞬間をその場で作りながら演奏が進行してゆく感じがとても生々しくて良い。

もしこれにピアノが入っていたら、おそらく10秒、20秒先の演奏の未来図がなんとなく予測できてしまっていたかもしれません。

これは、私の音楽的感性によるものではなく、何千枚もアルバムを聴いてきたという経験の堆積から無意識に抽出されてしまうことだと思うのですが、ハーモニーの流れを追いかけていけば、ある程度、次の流れというか展開が分かってしまうことが多い。

これは、楽器をやっていなくても、ジャズ、いや音楽をたくさん聞いている人には、無意識にそなわっている感覚だと思います。

ヘンな話をするわけじゃないけど、やっぱり音楽には重力というか引力みたいなものがあるので、よっぽどヒネクレた曲やアレンジではないかぎり、ハーモニーが流れてゆく方向は、やっぱり気持ちの良い落ち着くべき方向ってあるのです。

ピアノやギターがはいっていると、それこそ過去に聞いてきた何万曲の記憶のストックから“こっちの方向だろうな”と脳が勝手に検索をかけて、落ちつくべき未来位置を予想しやすい。

人間って、将来の保障や安定が約束されれば、気持ちは落ちつくものだと思います。
少なくとも、不安な気分にはなりにくい。

音楽にも同じようなところがあって、現時点から十数秒後に出現するであろう「お約束の展開」の心地よさがあるし、それをあらかじめ予測可能な状態の心の落ちつきが、これすなわち演奏を聴いているときの「安定感」なのだと思います。

しかし、ピアノやギターが抜けた編成だと、先の展開が予測しにくくなりやすい。
演奏しているジャズマンたちですら、もしかしたら演奏の行きつく方向が分からなくなってしまうこともあるかもしれない。

だからこそ、いいんですよ。

アヴィシャイ・コーエンを支えるリズムセクションは、本当にその瞬間、瞬間にトランペットのためにレールをリアルタイムで敷いているかのように聴こえる。
もちろん、彼らとて、演奏の方向性の設計図は漠然と頭には描いているのだろうけど、「1秒後はどうなっているのかまったく保障のかぎりではない」という、展開の予測不能なスリリングさが、常にあるのです。

もちろん、「展開の予測不能なスリリングさ」はジャズだけの特権ではなく、他のジャンルの音楽にもあります。

しかし、どういうわけか、ジャズにこの手のスリルを感じる演奏が多いのは、即興の要素を多分に、戦略的に取り入れている音楽だからと思います。

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