雑想 2016年9月
2022/02/08
コンプレックス解消手段
私が持つ唯一のコンプレックスは、「表現者」ではないこと。
小説も書けないし、音楽も作れない。
絵も描けないし、演技ができるわけでもない。
「俺はなにも作れないし、生み出せない。人様の作品や表現を、あーでもない・こーでもないと脇から突いているだけのザコ」という思いに常に苛まされている。
本当はアーティストになりたい。
だけど、なれない。
なれる才能もない。
雑誌編集者になった時からその思いが強くなった。
ただ、毎月、雑誌という具体的なモノが出来上がってくるので、まあこれも共同作業で具体的なカタチになった作品だよなと心の中に落としどころを見つけることは出来ていた。
今月末に発売される私の本だって、ジャズマンという命を削って音を紡ぎ出した人たちについて、横から、あーだ・こーだ言っているだけに過ぎない。
人のフンドシで相撲を取っているだけなんだよね、音楽評論なんて所詮。
自分が書いている記事を「表現」とのたまい、ブロガー(自分)はアーティストだと主張していたブロガーがいたが、本人がそう思っているのであれば、別に揚げ足を取るつもりはない。
「お目出度きお人ですね」と苦笑するしかないのだが、私からしてみれば、ブログが表現?ブロガーがアーティスト?そんなのとんでもない!と思う。
少なくとも私自身は、ブログで人さまの作品や表現をあーでもない、こーでもないと書く行為は、とってもとってもザコい行為だと思っているのね。
そういう自覚はものすごくある。
だから、表現者に対しての敬意の気持ちは忘れないようにしている。
何かを作りたい、でも作れない。でも何かを作りたい。
そのような思いをインスタントに解消する手段として、ここのところプラモ作りが以前にも増して活性化してきているのかもしれない。
もっともガンプラを作ったところで、それとて創造でもなんでもなく、バンダイさんが作ったフォーマットの上で楽しく踊っているだけなんだけどね……(自虐笑)。
かつおのたたき
ワラで焼くと美味いんだよなぁ。
カツオのわら焼き!
辛口日本酒とともに、ちびちび楽しく談笑しながら食べたいですな。昼間から。
徳川家光 48歳
三代将軍徳川家光が没したのは48歳だそうです。
あらら、オラと同じ年齢じゃないの。
数え年の48歳だとすると、私よりも若い年齢で死没しているんだね。
そういえば、土方歳三とチャーリー・パーカーとジャコ・パストリアスは34歳で亡くなっているけど、敬愛する彼らと同じ年齢になった時は「俺はこの年になっても何事も成してない」と落ち込んだものです。
35歳になったときは、「結局34歳の時の俺も何もやってない」と思ったものですが、比べる対象が偉大過ぎることに気づき、以来、マイペースでのんべんだらりと生きており現在に至っておりますです。
ふりかけ
テレビで特集していた「ふりかけ」。
茹でたうどんにのりたま。
パスタにバターとのりたま。
サバの煮つけにゆかり。
ちょっちゅ貧乏くさい感じもするけど、お金かからず、時間もかからず。
一人暮らしの学生には重宝するアイテムかもしれないね、ふりかけは。
で、早速試してみたんだけど、讃岐うどんに丸美屋の「のりたま」をパラパラとふりかけて。
味は、もろスナックでございました。
でもせっかく買ったので、今度はパスタにかけてみよう。
パスタにはバターをからませてからふりかけると良いらしいです。
西新宿 河合塾
西新宿。
予備校・河合塾の前。
大小さまざまな重機が集結。
これはもう、ジオラマにしたいほどの風景です。
丸っこいミントグリーンの重機も、なかなか可愛いですね。
エリントン マイルス
デューク・エリントンも、マイルス・デイヴィスも、カタルシスを得る・与えるという点においては、自ら創造する音楽に求めた要素は似ていると思う。
ただし、アプローチがまったく違う。
楽団員の音色、個性の細部までを把握し、隅々までコントロールをしたエリントン。
積極的に新人を起用して(時には怪しい新人も)、彼らの新しい感性と、彼らが発する思いもよらぬ偶発性から生み出されるスリルをコントロールしようとしたマイルス。
おそらく2人ともコントロール欲求が強く、そしてまたコントロール力の強い音楽家だと思う。
ただし、そのコントロール欲が向かう対象がずいぶんと異なる。
スコア、アレンジの綿密さと、楽団員の演奏をコントロールの対象としたエリントン。
それにたいして、マイルスは、出来事そのものをコントロールの対象とした。
意図的に化学変化を画策し、コントロールしたエリントン。
偶然生み出されるであろう化学変化の舞台設定をしたマイルス。
当然生み出される音楽のタイプは違う。
練りこまれた濃密なエリントンの音楽。
時に拡散していくかのような、時にマグマのように熱く凝縮していくマイルスの音楽。これはその時々のメンバーの違いによっておこるものだ。
時に彼らの想定したスケール以上の音が生み出されることもあり、その瞬間の無上の喜びを味わうことこそが、彼らが音楽を続けた最大の理由なのではないだろうか。
夏はまだ濃厚に残っている
夏の香りはまだ消えない。
夏の気配はまだ濃厚。
輝く雲。
そして、
秋になっても、
冬になっても、
電信柱は佇みつづける。