雑想 2020年11月
2022/11/02
フランスなくしてジャズは生まれなかった
ジャズの発祥の地はニューオリンズだということは周知のとおり。
この地は、多くの黒人がアフリカから労働力として連れられてきた港町。
また、一時期は、スペインやフランスの統治下の街でもあった。
よって、アメリカでありながらも、ヨーロッパの文化も根付いていたのだ。
このような環境の中でジャズは生まれたわけだが、では、黒人たちが手にした楽器はどこから流れてきたのかというと、ニューオリンズに駐留していたフランスの軍楽隊からの払い下げなんだよね。
これを安い値段で手に入れ、自己流に演奏しはじめる者や、直接仏兵士から手ほどきを受けたりした者もいた。
そして、19世紀末にはブラスバンドが誕生し、祭りや葬式のときに演奏されるようになるわけだが、これが発展していきジャズの源流になった。
つまり、フランスの軍楽隊がニューオリンズに駐留していなければ、ジャズは生まれなかった可能性が大なわけで、そういう意味でも、ジャズの発祥に貢献したのは、じつはフランスだったといっても過言ではない。
1920-30年のビッグバンドリーダーの出身地
1920-30年にわたり、ニューヨークの第一線で活躍していたバンド・リーダーには1人としてニューオリンズの出身者がおりません。
デューク・エリントンは首都ワシントン、
フレッチャー・ヘンダーソンはジョージア州、
ジミー・ランスフォードはオレゴン州、
チック・ウェッブはメリーランド州ボルチモアの生まれです。
(油井正一『ジャズの歴史』より)
原初のピアノトリオ
ナット・キング・コールが活躍するまでは、ピアノトリオという編成は一般的ではなかった。
当時のジャズは、ビッグ・バンドのような大人数編成が好まれ、さらにはホーン奏者が主役だったからだ。
しかし、1930年代後半にナット・キング・コールがピアノ、ベース、ギターという編成のトリオで活躍しだすと、オスカー・ピーターソンなど、彼の影響を受けたミュージシャンがピアノトリオの編成で活躍しはじめる。
現在では、ピアノトリオというと、まずは、ピアノ+ベース+ドラムスという編成をまずは思いだす人が多いが、当時はまだピアノ+ギター+ベースという編成だった。
では、ギターが抜け、ドラムに変わったのはいつかというと、1947年あたり。
バド・パウエルがベーシストのカーリー・ラッセルと、ドラマーのマックス・ローチを従えて、1947年に録音したのが始まりとされる。
この時に録音された8曲と、6年後に録音された演奏を合わせて発売されているのが、『バド・パウエルの芸術』だ。
この編成で演奏されるモダンなスタイルが、大きな反響を呼び、後進のピアニストたちも、このフォーマットを積極的に取り入れるようになった。
以降、ピアノトリオといえば、この編成で演奏されることが通常となったのだ。
1958 マイルス
《グリーン・ドルフィン》に《フラン・ダンス》。
それと、《ラヴ・フォー・セール》。
繊細なミュート・トランペットを奏でるマイルスは、イメージとしては水彩画かな?
デリケートなビル・エヴァンスのピアノが、さらにマイルスの持ち味をグッと引き立てているように感じる。
『カインド・オブ・ブルー』のスタンダード版とでもいうべき内容が『1958マイルス』だ。
すごく切ない気分になってしまうんだけど、同時に心の隙間が満たされていくような不思議な感覚もあるんだよね、『1959マイルス』を聴いていると。
仙台のジャズ喫茶「カフェ・ド・ゾロ」で友人夫妻と一緒にコーヒーを飲みながらこれを聴いたこと、今となっては良い思い出です。
ちなみに『1958マイルス』のジャケットは、池田満寿夫描き下ろしのもの。
ビート・ゴーズ・オン
ソニー・クリスがビートルズの《イエスタデイズ》を取り上げているところが、このアルバムのトピックスかもしれない。
ただ、クリスの吹奏は、いつものクリス節なので、ビートルズの有名曲であろうとなかろうと、特にウケ狙いを狙ってやっていますという感じが漂わないところが良い。
▼収録曲
1. The Beat Goes On
2. Georgia Rose
3. Somewhere My Love
4. Calidad
5. Yesterdays
6. Ode To Billy Joe
▼パーソネル
Sonny Criss (as)
Cedar Walton (p)
Bob Cranshaw (b)
Alan Dawson (ds)
ジャズ観
「ジャズマニアが10人集まると11の派閥が出来る」というジョークを飛ばしたのは、たしかパット・メセニーだったと思うが、それだけジャズを聴く人は、ひとつの音楽の感じ方や、音に求めるものは違うもの。
だから、自分と考えが違うからといって、他者を揶揄したり攻撃したりすることは、ジャズという音楽の特質や、受け手の多様さを理解していないことに他ならないわけで、これほど愚かなことはない。
レコードは減らない
「すり切れる程」云々というのは、あれはSP盤時代の名残の台詞で、まともなプレイヤー、まともな神経さえ持ち合わせればLPレコードは容易に減らない。(コルトレーンの)『アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』も『アット・バードランド』も同様に二十五年かけたくらいでは減らない。減ったのはハラと針とカネだけだった。
(一ノ関「ベイシー」店主 菅原昭二氏のエッセイより)
たしかにハラも減る。(・∀・)b